洛北十輪寺から見た大枝山
大江山
五番目 複式劇能 世阿弥?
源頼光平井保昌等が勅命を奉じて、山伏姿をして、大江山の鬼神退治に出掛ける。この鬼神は酒呑童子といつて、もと比叡山から負われたもので、童子は山伏にわが隠れ家を見顕された事を歎き、外に漏らさないようにと頼み、酒宴を開いて山伏を歓待しているうちに、自分が酔い伏してしまった。頼光等はこの隙に乗じて、これを退治する。
ワキ 源頼光 ワキヅレ 独武者、保昌、貞光、季武、綱、金時等 前ジテ 酒呑童子、子方 童女 後シテ 鬼神(酒呑童子)
ワキ ワキヅレ 秋風の、音にたぐへて西川や、雲も行くなり、大江山。
ワキ 抑もこれは源の頼光とはわが事なり。さてもこの度丹波の国、大江山の鬼神(きじん)の事、占方の言葉に任せつつ、頼光、保昌に仰せつけられる。
ワキヅレ 頼光、保昌申すやう、たとひ大勢ありとても、人倫ならぬ化生の者、いづくを境に攻むべきぞ。
ワキ 思ふ子細の候とて、山伏の姿に出で立ちて。
ワキヅレ 兜にかはる兜巾を著。
ワキ 鎧にあらぬ篠懸や。
ワキヅレ 兵具に対する笈を負ひ。
ワキ その主々は頼光、保昌。
ワキヅレ 貞光、季武、綱、金時。
独武者 又名を得たる独武者。
ワキヅレ かれこれ以上五十余人。
ワキ まだ夜のうちに有明の。
ワキ ワキヅレ 月の都を立ち出でて、月の都を立ち出でて、行く末問へば西川や、波風立てて白木綿の、御祓も頼もしや鬼神(おにがみ)なりと大君の、恵みに漏る方あらじ。たゞ分け行けや足引の、大江の山に着きにけり大江の山に着きにけり。
ワキ 急ぎ候程に、大江山に着きて候。この所にて童子の住家を尋ね宿をとり候べし。
ワキヅレ 然るべう候。
ワキ いかに誰かある。
強力 御前に候。
ワキ この所にて童子の住家を尋ねて宿をとり候へ。
強力 畏まって候。
強力 さても/\迷惑な事を仰せつけられて候。鬼の住家へ先驅はこわものでござる。まづ急いで參らう。
強力 扨も/\谷深く険難さかしき道にて候。あら不思議や。この川へ血の流るゝが合点が行かぬ事ぢや。さればこそあれに鬼が女に化けて濯ぎをして居る。扨も/\気味の悪い事ぢや。さりながらあの女は都で見たやうな女でござるが、まづ言葉かけて見よう。
強力 これ/\女房衆。
女 こちの事でござるか。そなたは何をしてこれへおりやつた。
強力 某は子細があつて來たが、まづそなたは何として此處に居るぞ。
女 その事でござる。妾は三歳以前に酒呑童子に捕らはれて、毎日毎日こやうな濯ぎをして居る事でござる。
強力 子細を聞けば尤もでござる。某がこれへ來たのは、この度頼み奉る頼光公、童子を退治あるべきと事ぢや程に、そなたも都へ同道せうによつて、何卒そなたは肝を煎つてお宿を申してくれぬか。
女 何がさて、都に連れて行つて下さるならば、お宿の事は妾が合点でござる。童子へその由申しませう程に、まづそれに待たせられい。
強力 心得ておりやる。
女 いかに童子の御座あるか。
シテ 童子と呼ぶは如何なる者ぞ。
女 山伏の御入り候が、一夜のお宿と仰せらえ候。
シテ 何と山伏達の一夜のお宿と候や。恨めしや桓武天皇に御請け申し。われ比叡の山を出でしより、出家には手をさゝじと、固く誓約申せしなり。中門の脇の廊にとめ申し候へ。
女 最前の人の渡り候か。
強力 これにて候。
女 その由申して候へば、中門の廊を御貸しあらうずるとの御事にて候。かう/\御通り候へ。
強力 心得申して候。
強力 いかに申し候。その由申して候へば、中門の廊を御貸しあらうずるとの御事にて候。かう/\御通り候へ。
シテ いかに客僧達、いづくよりいづ方へ御通り候へば、この隠れ家へは御出にて候ぞ。
ワキ さん候これは筑紫彦山の客僧にて候が、麓の山陰道より道に踏み迷ひ、前後を忘じ佇み候処に、今宵のお宿何より以て祝着申し候。さて御名を酒呑童子と申し候は、何と申したる謂れにて候ぞ。
シテ わが名を酒呑童子といふ事は、明暮酒を好きたるにより、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候。さればこれを見かれを聞くにつけても、酒ほど面白きものはなく候。客僧たちも聞しめされ候へ。
ワキ 仰せにて候程に一つ下され候べし。又この山をばいつの頃よりの御居住にて候ぞ。
シテ われ比叡の山を重代の住家とし、年月を送りしに、大師坊といふえせ人、峰には根本中堂を建て、麓に七社の霊神を斎ひし無念さに、一夜に三十余丈の楠となつて奇瑞を見せし処に、大師坊一首の歌に、阿耨多羅三藐三菩提の佛たち、わが立つ杣に冥加あらさせ給へとありしかば、佛たちも大師坊にかたはらされ、出でよ出でよと責め給へば、力なくして重代の、比叡のお山を出でしなり。
比叡山延暦寺
新古今和歌集巻第二十 釈教歌
比叡山中堂建立の時歌
伝教大師
阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわがたつ杣に冥加あらせたまへ
読み:あのくたらさんみゃくさんぼだいのほとけたちわがたつそまにみやうがあらせたまへ 隠
意味:無上正等覚の仏たちよ。比叡山の山林を切り開いて建立する延暦寺根本中堂と天台の仏教に加護を与え給え
作者:最澄さいちょう767~822日本天台宗開祖比叡大師、比叡山延暦寺山家大師、根本大師ともよばれる。傳教大師は勅諡。
備考:仮名序掲載歌 。和漢朗詠集 。八代集抄、歌枕名寄、釈教三十六人集、新古今注。
ワキ さて比叡を御出でありて、そのままここに御座ありけるか。
シテ いや何くとも定めなき、霞に紛れ雲に乗り。
ワキ 身は久方の天ざかる鄙の長路や遠田舎。
明石大橋
新古今和歌集巻第十 羇旅歌
題しらず
柿本人麿
あまざかる鄙のなが路を漕ぎくれば明石のとよりやまと島見ゆ
よみ:あまざかるひなのながじをこぎくればあかしのとよりやまとしまみゆ 定隆雅 隠
意味:都を遠く離れたところから長い道のりを、都が恋しいと思いながら舟を漕いで来てみると、明石海峡から大和の国の生駒や葛城の山が見えてきます。後もう少しで帰れます。
備考:万葉集第3巻 255 仮名序掲載歌万葉集 八代集抄、歌枕名寄、新古今注、宗長秘歌抄。
シテ 御身の故郷と承る、筑紫をも見て候なり。
ワキ さては残らじ天が下、天ざかる日のたてぬきに。
シテ 飛行(ひぎやう)の路に行脚して。
ワキ 或は彦山。
シテ 伯耆の大山。
ワキ 白山立山富士の御嶽。
シテ 上の空なる月に行き。
ワキ 雲の通ひ路帰り來て。
シテ 猶も輪廻に心引く。
ワキ 都のあたり程近き
シテ この大江の山に籠り居て。
ワキ 忍び/\の御住居。
シテ 隠れすましてありし処に、今客僧達に見あらはれ申し、神通力を失ふばかりなり。
ワキ 御心(おんこころ)安く思しめせ。人に顕す事あるまじ。
シテ 嬉しし嬉しし一筋に、頼み申すぞ一樹の蔭。
ワキ 一河の流れを汲みて知る。心はもとより慈悲の行。
シテ 人を助くる御姿。
ワキ われはもとより出家の形。
シテ 童子もさすが山育ち。
ワキ さも童形の御身なれば。
シテ あはれみ給へ。
ワキ 神だにも。
地 一稚兒二山王と立て給ふは神をさくるよしぞかし。御身は客僧われは童形の身なればなどかあはれみ給はざらん。かまへてよそにて物語せさせ給ふな。
地歌 陸奥の、安達が原の塚にこそ、安達が原の塚にこそ、鬼籠れりと聞きしものを、真なり真なりここは名を得し大江山、生野の道は猶通し。天の橋立、与謝の海、大山の天狗も、われに親しき友ぞとしろしめされよ。
拾遺集 雑下
みちのくになとりのこほりくろづか
といふ所に重之がいもうとあまたあ
りと聞きていひつかはしける
兼盛
みちのくのあだちのはらのくろづかに鬼こもれりときくはまことか
金葉集
和泉式部保昌に具して丹後国に侍り
ける頃都に歌合侍りけるに小式部内
侍歌よみにとられて侍りけるを定頼
卿局のかたに詣で来て歌はいかがせ
させ給ふ丹後へ人はつかはしてけん
や使まうで来ずやいかに心もとなく
おぼすらんなどたはぶれて立ちける
を引き留めてよめる
小式部内侍
おほえ山いく野の道のとほければまだふみもみず天の橋立
天の橋立
地 いざ/"\酒を飲まうよ。いざ/"\酒を飲まうよ。
地 さてお肴は何々ぞ。頃しも秋の山草桔梗刈破帽額(われもこう)。紫苑といふは何やらん。鬼の醜草とは誰がつけし名なるぞ。
シテ げにまこと。
地 げにまこと。丹後丹波の境なる、鬼が城も程近し。頼もし頼もしや。飲む酒は数そひぬ。面も色づくか。赤きは酒の科ぞ。鬼とな思しそよ。恐れ給はでわれに馴れ/\給はば、興がる友と思しめせ。われもそなたの御姿、うち見には、うち見には、恐ろしげなれど、なれてつぼいは山伏、猶々めぐる盃の、度重なれば有明の、天も花に酔へりや。足もとはよろ/\、たゞよふかいざよふか。雲折りしきてそのまゝ、目に見えぬ鬼の間に入り荒海の障子おし開けて、夜の臥処に、入りにけり。夜の臥処に入りにけり。
ワキ いかに誰かある。
強力 御前に候。
ワキ 汝はたばかつて童子が閨の鍵を預り候へ。
強力 畏つて候。
強力 最前の女房衆おりやるか。
女 これにおりまする。
強力 鍵をば頼光へ御渡しあつたか。
女 いかにも上げました。
強力 それは一段の事ぢや。扨頼光の仰せには、総じてこのやうな時に、女は足手纏ひぢや程に、某に先へ都へ連れて行けと仰せつけられたが、何とありがたい事ではないか。
女 やれ/\それは嬉しい事でござる。
狂言 それならばいざ參らう。さあ/\おりやれ/\。
女 參りまする/\。
強力 さてそなたは仕合せな者ぢや。
女 いかにも妾は仕合せでござる。
強力 その上そなたはお宿の世話をしたによつて、都へ帰らせられたならば、定めて御褒美が出るであらう。
女 妾は御褒美どころではござらぬ。この度都へ戻り夫(つま)や子に会ふと思へば、このやうな嬉しい事はござらぬ。
強力 それは近頃尤もぢや。さりながらそなたにはぢきに内へは行かれまい。
女 それは何でござる。
強力 そなたは童子に捕はれた事なれば、今ではどれからや眉目よい若い女房衆が來て、子供の事はわきになして、仲のよさといへば某などは羨ましい事ぢや。
女 なう腹立ちや。さては妻を入れましたか。
強力 そなたが生きたやら死んだやら知れぬ事なれば、妻を持つまいものでもないわさ。
女 妻を物はようござるが、子供をわきにするのが口惜しうござる。
強力 それについてちと談合があるわ。
女 何事でござる。
強力 某もこの度先駆をしたによつて、都へ帰らせられて褒美を下さるゝであらう。そなたも御褒美を下されう。両人は楽々と暮らさるゝ。幸ひ身共も妻がないによつて、某が妻になつておくりやれ。
女 なうぶつきやうや/\。妾は外に子のある中を、何とそのやうな事がなりませうぞ。
強力 そなたばかりそのやうに義理を立てゝも、内へ行くことはならぬによつて、是非とも身共が妻にならしめ。
女 その儀ならばこなたの妻になりませう。
強力 それは一段の事ぢや。もはや都も近うなつた。急がしめ。
女 參りまする/\。
強力 千年も万年も添うておくりやれ。
女 心得ました。
ワキ 既にこの夜も更け方の、空なほ暗き鬼が城。鉄(くろがね)の扉を押し開き、見れば不思議や今までは、人の形と見えつるが。
地 その丈二丈ばかりなる、その丈二丈ばかりなる、鬼神の装ひ眠れるだにも勢ひの、あたらいを払ふ氣色かな。かねて期したる事なれば、とても命は君の為、又は神国氏社、南無や八幡山王権現われ等に力を添へ給へと。頼光、保昌、綱、公時、貞光、季武、独武者、心を一つにして、まどりみ臥したる鬼の上に、剣を飛ばする光の影、稲妻震動夥し。
後ジテ 情けなしとよ客僧達。偽りあらじといひつるに、鬼神に横道、なきものを。
独武者 なに鬼神に横道なしとや。
シテ なか/\の事。
独武者 あら空言や。などさらば、王地に住んで人を取り、夜の妨げとはなりけるぞ。われをば音にも聞きつらん。保昌が館に独武者、鬼神なりとも遁すまじ。況してやこれは勅なれば、土も木も、わが大君の国なれば、いづか鬼の、宿りなるらん。
地 余すな漏らすな攻めよや攻めよ。人々とて切先を揃へて切つてかゝる。
地 山河草木震動して、山河草木震動して、光満ちくる鬼の眼、ただ日月の、天つ星、照り輝きて、さながらに、面を向くべきやうぞなき。
舞働
ワキ 頼光、保昌もとよりも。
地 頼光、保昌もとよりも、鬼神(おにがみ)なりともさすが頼光が手なみにいかで、洩らすべきと、走りかゝつてはつたと打つ手にむすゞと組んで、えいや/\と組むとぞ見えしが頼光下に、組み伏せられて、鬼一口に、食はんとするを、頼光下より、刀を抜いて、二刀三刀刺し通し/\刀を力にえいやとかへし、さも勢へる鬼神(きじん)を押しつけ怒れる首を、打ち落とし、大江の山を、又踏み分けて、都へとてこそ、帰りけれ。
伊勢物語 六
むかし、男有けり。女のえうまじかりけるを、年をへて、よばひわたりけるを、からうじて、ぬすみ出て、いとくらきにきけり。あくた川といふかわをゐて、いきければ、草のうへに、をきたりけるつゆを、かれは何ぞとなん、男にとひける。行さきおほく、夜もふけにければ、鬼有所友しらで、神さへいといみじう成あめもいとうふりければ、あばらなるくらに、女をばおくに、をし入て、男弓やなぐひをおひて、とぐちにをり、はや夜もあけなんと思ひつゝゐたりけるに、鬼はや一くちに、くひてげり。あなやといひけれど、神なるさはぎに、えきかざりけり。やう/\夜もあけ行にみれば、ゐでこし女もなし。あしずり、をして、なけどもかひなし
新古今
しら玉かなにぞと人のとひし時つゆとこたへてきえなまじ物を
これは二条の后の、いとこの女御の御もとにつかうまつるやうにてゐ給へりけるを、かたちのいとめでたく、おわしければ、ぬすみておひて出たりけるを、御せうどほり川のおとゞ、太郎くにつねの大なごん、まだげらうにて、内へまいり給ふに、いみじうなく人有を聞付て、とゞめて取かへしたまふてげり。それをかくおにとはいふなりけり。まだいとわかうてきさきのたゞにおわしける時となり
参考 謡曲大観第1巻 佐成謙太郎 著 昭和6年初版 明治書院