(ウェッブリブログ 2008年03月24日~)
10 雁が音 山飛び越える
秋風に山飛び越ゆるかりがねのいや遠ざかり雲がくれつつ(新古今 秋歌上 498 柿本人麻呂)
この歌は、万葉集巻第十 2128 に
秋風尓 山跡部越 鴈鳴者 射矢遠放 雲隠筒
とある歌から来ているとのことです。
ところが万葉集の注釈本には
秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲隠りつつ
としており、古くは「山飛び越ゆる」と訓じたが、江戸時代の北村季吟の『万葉拾穂抄』から「大和へ越ゆる」になったそうです。
しかし、同じ2136に
秋風に山飛び越ゆる雁がねの声遠ざかる雲隠るらし
秋風尓 山飛越 鴈鳴之 声遠離 雲隠良思
という類歌があり、又
2294
秋されば雁飛び越える竜田山立ちても居ても君しそ思う
秋去者 鴈飛越 龍田山 立而毛居而毛 君乎思曾念
2214
夕去れば雁の越え行く龍田山時雨にきほひ色づきにけり
夕去者 鴈之越往 龍田山 四具礼尓競 色付丹家里
巻第十五 3687には
足引きの山飛び越ゆる雁がねは都に行かば妹に逢ひて来ね
安思必寄能 山等妣古由留 可里我祢波 美也故尓由加波 伊毛尓安比弖許祢
とあります。
3687は、雁信の故事を踏まえ、新羅への使者達が肥前の松浦に泊まった時の歌です。
大和へ越ゆるの注釈では、「難波あたりにいて大和の方へ飛んで行く雁を歌った」としています。
雁は、分類的にはカモ科ガン亜科ガン族の水鳥で、マガン、カリガネ、ヒシクイ、オオヒシクイ、コクガン、シジュウカラガンなどのを示すそうです。
昔は萩が散り、荻の風に揺れる9月頃カムチャッカ半島付近から日本のいたるところに飛来し、沢山の種類があったが、明治時代から減り始め、環境の変化から戦後は絶滅が心配される種もあったそうです。
シジュウカラガンは現在環境省レッドデータブックで絶滅危惧IA類(CR)(ごく近い将来における絶滅の危険が極めて高い種)に分類されております。
垣ほなる荻の葉そよぎ秋風の吹くなるなべに雁ぞ鳴くなる(秋上 497 柿本人麻呂)
葦辺在 荻之葉左夜芸 秋風之 吹来苗丹 鴈鳴渡(万葉集 巻第十 2134 読人不詳)
各地の湖沼で越冬した後、3月には北へ帰ります。
桜の花が咲く前なので
春霞立つを見すてて行く雁は花なき里に住みやならへる(古今 春上 伊勢)
又新古今にも
忘るなよたのむの沢をたつ雁も稲葉の風のあきのゆふぐれ(春上 61 藤原良経)
他34首あります。
難波(大阪)は、太古には河内湾が淀川、大和川の土積により、淡水化し、河内湖(草香江)となり、更に浅くなり、葦が沢山生えた湿地帯だった事が知られ、難波潟、難波江、難波堀江として歌枕となっており、万葉集2135にも
おしてる難波堀江の葦辺には雁寝たるかも霜の降らくに
押照 難波穿江之 葦辺者 鴈宿有疑 霜乃零尓
とあります。
又新古今には有名な
難波潟みじかき葦のふしのまもあはでこの世を過ぐしよとや(恋一 1049 伊勢)
があります。
伊勢物語六十八段には住吉で
鴈なきて菊の花咲く秋はあれど春の海辺にすみよしの浜
とあります。
江戸時代に大和川の付替えにより乾いた土地となり、近年は大阪湾も埋め立てられコンクリートの街となってしまい、ガン類の飛来は少ないかと思います。(どなたか御教示いただけると助かるのですが)
前述の万葉集の注釈本の大阪から奈良を見て詠んだとありますが、ガン類の飛来コースをみると、カムチャッカから北海道、北陸、琵琶湖と飛んで来るので、明らかに違う事が分かります。
昔、京都宇治市には巨椋池があり、そこでも羽を休めたと思います。現在は干拓され、インターチェンジの名で残っておりますが、池といっても周囲20km弱の大きなものだったそうです。
万葉集 1699に
巨椋の入江とよむなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし
巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井尓 鴈渡良之
琵琶湖からの飛来コースには少なくとも大和に向かうとする場合には大津宮か志賀から見ないといけません。
奈良にも、太古には盆地湖があり奈良時代に干上がったという説がありますが、確証は無く、又埴安池の様に沼池等がいくつかあったとは思いますが、そこに沢山飛来したかは不明です。万葉集にも飛んでいる雁はあるものの、大和で泳いでいるものはありませんから。
竜田山は、奈良県三郷町の西にある山で、特定の山を指してあるわけではないそうです。紅葉や桜が綺麗な事が知られ、新古今にも
葛城や高間のさくら咲きにけり立田の奥にかかる白雲(春上 87 寂蓮)
からにしき秋のかたみやたつた山散りあへぬ枝に嵐吹くなり(冬 566 宮内卿)
なお、一番有名な在原業平の百人一首の歌
ちはやぶる神代も聞かず竜田川唐くれなゐに水くくるとは(古今 秋下 294)
などもあります。この歌は屏風絵を詠んだものですが、紅葉とは一言も言わずに見事に紅葉を詠んでいます。
竜田山には、竜田姫という女神が住んでおり、中国の五行説から秋の女神となったそうです。
奈良県西部の竜田山を越えるコースを素人ながら推測すると、
琵琶湖→竜田山コースを考えると先は和歌山となってしまいます。従って琵琶湖方面から飛来する場合、琵琶湖→巨椋池→難波潟のコースが素直かと思います。
それでは竜田山を越えるには三河→伊勢→竜田山→難波潟が考えられます。
万葉集 1513 穂積皇子には春日山が出て来ており、
今朝の朝明雁が音聞きつ春日山もみちにけらし我が心痛し
今朝之旦開 鴈之鳴聞都 春日山 黄葉家良思 吾情痛之
ともあり、現在そのコースを飛ぶというデータはありませんが、一つの証拠となるかと思います。近代以前は遥かに多くのガン類が飛来していたとの事ですから、無いとは言えません。(有るとも言えませんが)
雁が全国に居たことを調べる為に戦前の昭和4~8年の狩猟統計(農林省畜産局『狩猟免許者ニ依ル種類別鳥類捕獲員数』がん)を見ると、
狩猟免許者ニ依ル種類別鳥類捕獲員数 農林省畜産局より
S4 5 6 7 8
滋 賀 112 64 23 84 132
京 都 1 1 3 2 22
大 阪 6 3 - 3 8
兵 庫 9 2 27 47 138
奈 良 2 - 4 - 2
和歌山 23 - - 1 1
北海道、栃木、埼玉、千葉、東京、新潟、富山、岐阜が多く、又5年間では7年が3,341と最も捕獲されていました。
万葉集の雁の歌を含め調べてみると歌が54首あり、
うち
春日山 6首
竜田山 2首
堀江 1首
明日香 1首
吉野 1首
咋山 1首(京田辺市飯岡)
富山 2首(家持越中国司)
松浦 1首(遣新羅使)
東国 1首(防人歌)
鳴く雁(雁が音)は、32首
飛ぶ雁(雁渡る)は、19首
※鳴きながら飛ぶのは飛ぶとした。
さて、万葉集には多くの「やまと」と訓じられている歌があり
倭 16首
山常 1首(山間跡 同歌)
日本 13首
山跡 17首(雁歌含む)
夜麻登 4首
也麻登 1首
夜末等 1首
と山跡が比較的に多くあります。
しかし、推測される飛来コース、越冬地の可能性の少ない大和地方などから、私の結論として「大和へ越ゆる」よりは、用例の多い「山飛び越ゆる」とし、越えるのは竜田山辺りで斑鳩で読まれたと推察致します。
大和へ越えるとした場合伊勢から大和へ飛んで行く風景となります。
図 古代の近畿圏内の湖沼と雁の飛行コースの推測
略
環境の変化に渡り鳥はとても弱く、野良犬、野性化狐などや局地の地球温暖化に影響されるそうです。
昭和46年狩猟禁止と天然記念物の指定や関係者の努力により、徐々にその数を増やしているそうで、又渡り国の湿原を保護するラムサール条約などの国際協力などの努力もあるそうです。
「雁がね」として日本人の心に住み付いたガン類の声ですが、一時期の絶滅の危惧は、回復基調にあると言っても突然飛来しなくなるとの事。ガンにも住み難い環境は人にも住難くなるかもしれません。
参考
雁(がん)よ渡れ 呉地正行 どうぶつ社
国土交通省大和川河川事務所「大和川の歴史を知ろう!」
農林省畜産局『狩猟免許者ニ依ル種類別鳥類捕獲員数』