玉むしの前
○この日の
丸のあふぎは髙倉
の帝厳しま御幸
のとき奉●
ありける扇也。
与一これをい
たてしことは
みな人の知る
所なり。
那須の与市
平安時代末期の武将・御家人。系図上は那須氏二代当主と伝えられる。
『吾妻鏡』など、同時代の史料には那須与一の名は見えないため、与一の事跡は軍記物である『平家物語』や『源平盛衰記』に伝えるところが大きい。
※玉虫の前
源平盛衰記第四十二巻扇の的によれば、
柳の五重に紅の袴著て袖笠かづける女房あり。皆紅の扇に日出たるを枕に挟みて船の舳頭に立て、是を射よとて源氏の方をぞ招たる。此女房と云は建礼門院の后立の御時、千人の中より撰出せる雑司に、玉虫前とも云又は舞前共申。今年十九にぞ成ける。雲の鬢、霞の眉、花のかほばせ、雪の膚、絵に書とも筆も及がたし。折節夕日に耀ていとゞ色こそ増りけれ。
とある。