新古今和歌集の部屋

西行物語 東下り 武蔵

武蔵

 さしていづくをこころざすともなければ、月の光に誘はれて、はる/\とむさしの國に分け入るほどに、をばなが露に宿る月、すゑ越す風に玉散りて、こはぎがもとの蟲のねいと心細く、武蔵野の草のゆかりをたづねけむもなつかしく、宿をば月に忘れて、あすの道行きなむと口誦みて行くほどに、道より五六町ばかりさしいりて、きやうをどくじゆする聲しければ、人里はこの末にはるかに隔たりけるとこそ聞きしに、あやしと思ひて、聲につきて尋ね入りて見れば、わづかなるいほりの上をば、くず、かるかやにてふき、はぎ、をみなへし色々の秋の草にてめぐりをかこひ、夜ふす所とおぼえて、東に寄りてわらびのほどろを折り敷き、西の壁にゑざうのふげんを掛けたてまり、おんまへにはほつけはちぢくを置かれたり。

 庭にはちぐさの花露に傾き、蟲の聲々所がらにあはれにいつこそととふ人もあらじと思へば、かよひぢも絶えにけり。

 いほりの中を見れたれば、かふべには雪降り、まゆには霜を垂れたる老僧、きゆうじふいうよとおぼえたるが、ざいおかんしょ しゆせつこしんと読み奉る。(在於閑處 修摂其心)

もし仙人などにてもやと、あやしく思ひて、八月十五夜、名にたがはぬ月の影なれば、いづくの隱れがまでもまがふべきかたもなし。歩み寄り、前にはべりけれども、たがひにあきれたるさまにて、物ものたまはず。やや久しくありて、西行、いかなる人のかくてはおはするやらむと問ひけれども、答ふる事なし。重ねてわれはこれ、都のほとりの者なり。あずまのかたゆかしくてくだりはべりしが、武蔵野のけしき、ふるさとにて聞きしよりも、あはれにおぼえて、分け入るほどになむ。これより人住むかたも遙かなりと聞く。何をおんたよりの御住まひにか。いにしへの御事も、ゆかしくなむ。といへば、老僧

いふはうもんゐんのさぶらひのいちらふにてはべりしが、にょゐん隱れさせ給ひてのち出家して、國々修行せしが、この野へ佛道修行の隱れがにたよりありと思ひて、二十九の年よりすでに六十有余年この所にとどまれり。さればどくじゆの數七万よぶなり。

と語る。

 西行もいうはうもんゐんの御事もよそならぬ御事なれば、たがひに語り、こけのたもとをしぼり、なごり惜しくおぼえけれども、あかつきがた立ち別るるとて、

いかでわれ清く曇らぬ身となりて心の月の影を磨かむ

いかがすべき世にあらばこそ世をも捨ててあなうの世やとさらにいとはむ

秋はただ今宵ばかりの名なりけり同じ雲井に月は澄めども 


在於閑處 修摂其心
  妙法蓮華経 安楽行品 閑なる処に在りて、その心を修摂し、安住して動ぜざること須弥山の如くせよ。  

いかがすべき
  1830 第十八 雜歌下

(参考)

発心 郁芳門院の侍良、武蔵の野に住む事

 

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