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(6)田の谷峠県道30号ルート
比叡平は比叡山の窪地で、別荘地として開発されたが、住宅地に転用されて行ったとのこと。
山中町から比叡平への道は、車道を通す為に、結構山を切り崩した形跡が見られる。
田の谷の地名が有るとおり、窪地なので水が溜まる湿地で、今も池があって昔は、池を迂回した丘を通ったのかも知れない。
戦国時代の多聞院日記の永禄十三年に
内々三井寺、大津、松本可有見物之通ナルニ、今度今道北、ワラ坂南、此二道ヲトメテ、信長ノ内、森ノ山左衛門城用害、此フモト二新路ヲコシラヘ、是ヘ上下ヲトヲス、余ノ道ハ堅トヾムル故、三井寺へ通ル物ハ道ニテ剥取ト申間、乍思不参見、渡了、残多者也、新路ノ大ナル坂ヲ超ヘテ、山中ト云所ヲ通リ、白川ヘ出、東山ノ辺ヲ通ル
とあり、信長家臣の森可成が新路として宇佐山城の麓を通したと有る。
宇佐山城は、琵琶湖西岸、比叡山を見渡せる場所に有り、京へ通じる道があれば、浅井朝倉比叡山の動きにいち早く対応出来て、大変有利となる。
宇佐山城跡への登城道は既に無く、城跡にはNHKの電波塔が建っている。
京阪グループが昭和33年に開通させた比叡山ドライブウェイ料金所辺りが田の谷峠となる。
県道30号山中越の途中は、なだらかな傾斜となり、京都府道とは異なり、道路幅も十分取っている。
途中の鉄塔や墓地から山を見渡しても歩けるような道は無い。
小川が山から流れている場所が有るが、道が細く歩けなくなる。
実は、志賀峠越の志賀里の山中に有る馬頭観音から県道30号は80mしか離れておらず、崖を降りる道らしいものも有るが、個人の敷地内でも有り、何年も人が通った形跡も無く、歩行を断念した。
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(7)坂本城地蔵谷ルート
坂本城は、比叡山焼き討ちの後、明智光秀が織田信長から、比叡山監視の為築城を命じられたものである。
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坂本城址から京阪神石山坂本線穴太駅北、墓場の中を過ぎ、大津市野添古墳群がある。
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更に進むと、念仏碑が有り、ここから山道となる。
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四谷川に沿った山道は比較的なだらかで、物資や軍隊を動かすには丁度良い。
途中道が二つに別れており、左の道を更に登ると東海自然歩道に出る。
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ここから左の坂を登ると夢見が丘へ、右の坂を登ると桜茶屋跡・無動寺へ行く、所謂白鳥越である。
この坂は、牛馬の輸送は無理である。
無動寺・弁天堂道を行くとドライブウエイの下にトンネルが有り、一乗寺へ向かう林道が有る。場所は一乗寺病ダレと言う変な地名である。本当の地名を忌み、伏せたのかも知れない。この一帯は、一乗寺某と言う地名が多数有る。人が住んでいる訳でも無いが、かつては地名を付ける必要が有る程人の往来があったという記録で有ろう。宮本武蔵の一乗寺下り松から一乗寺駅まで一乗寺では有るが、一乗寺は応仁の乱で荒廃している。
一乗寺の山間部の町名
池ケ谷、井手ケ谷、井手ケ谷エノ木ケ尾、井手ケ谷菖蒲平、井手ケ谷ススガ平、井手ケ谷調専口、馬坂、厩ケ谷、延暦寺山、大谷、掛橋、北高山、黒目ケ谷、坂端、三百坊、地獄谷、シ谷、城、砂坂、勢ケ谷、天ケ丸、長尾、中尾ケ谷、西楽ケ谷、ヌノ滝、花ケ谷、東楽ケ谷、風呂ケ谷、ボケ谷、堀切、松原町、南高山、ヤケ谷、病ダレ、艾谷、割ケ谷
と異常に多い。しかも住民は松原町以外は居ない。
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舗装された林道なので楽である。
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途中、東塔に向かう道と明治10年建立の道標が有り、月吉大明神を祭った祠が鎮座している。
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音羽川沿の道を暫く行くと「京都トレイル東山67石鳥居」と言う場所に着く。
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①京都トレイルに従って右の坂を降りて登ると「水飲対陣之跡碑」に出て雲母坂に至る。
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②本来行くべき左の鳥居を行くと落ち葉がうず高く積もっており、道もほとんど無い。
川を渡る橋が有り、少しは行けるのだが、先は山越えで藪が多く断念。通った記録がホームページにあったが、5年も前であった。
川沿を行こうとしたが、最近土砂崩れがあったらしく、倒木が道を塞いでいるためにこちらも断念。
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地蔵谷へのルートで鳥居も有る事から、こちらがかつての主道と思われるが、燈籠の残骸が散見されるなど、かなり前に廃道近い状態になったと推察される。
③尾根伝いに整備された道を行くと瓜生山に至る。里に近付くにつれ、道が狭くなり、途中崖崩れもあって、人一人がやっと通れる場所も有る。山側から道を整備した林道だと思われる。
瓜生山は、戦国時代は京都を一望出来る為、永正十七年細川高国が将軍山城、別名瓜生城を築いた。明智光秀入城以降は廃城になったと思われる。
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瓜生山からは少し下ると、石切場跡や江戸時代の文人書家の白幽子が隠棲した場所に出る。
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この碑の裏を右に廻る道とそのまま坂を降りる道を行くと神社、パプテスト病院に出る。最初に訪れた時は道を失い、道の無い急な坂を降りてしまった。
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瓜生山頂上に有る御堂は、狸谷不動院の奥之院であり、幸竜大権現を祭っている。裏には、細川高国が勝軍地蔵を祭った祠が有るが、今は里に下ろされ信仰されている。
奥之院を囲むように不動明王の使者である三十六童子が祭られているが、道が削られ危険な箇所も有る。
不動院へ降りる道を探したが見つからず、やっと急な坂道を見つけて降りる事が出来た。
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