アルビノーニ:《弦楽とオルガンのためのアダージョ》 ト短調
私といふ存在は
ほんの一瞬
ここにいた
確かなので歌ふ
よく、歴史学を読んでいると、「○○は、他に記載がない事から存在が疑われる」と論じている。自分の存在は、他者に証明されないと無いのだろうか?と何時も思う。少なくとも歌は残っている。
我が曾祖父は、百年以上も前に若くして亡くなったが、佐佐木信綱撰の短歌集に投稿した歌が三首採用されたと兄から言われ、国立国会図書館で調べて見付け、兄に伝えた。それまで父も祖父も曾祖父について語る事は、無く全く知らなかったが、この三首で身近に感じた。
50年後、私の存在は人々の記憶から消えるだろう?でも歌だけは残れたらと思ふ。
宮沢賢治 春と修羅
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)