侍らば、いかゞおぼさるべきと聞え給へば、
春宮 初春宮の女房
御かほをうちまもり給て、式部がやう
にや。いかでかさはなり給はんとゑみ
藤詞
ての給。いふかひなく哀にて、それは
おいて侍ればみにくきぞ。さはあら
で、かみはそれよりもみじかくて、くろ
ききぬなどをきて、よゐのそうの
やうになり侍らんとすれば、み奉らん
ことも、いとゞひさしかるべきぞとて
春宮 詞
なき給へば、まめだちて久しう
おはすねば、恋しき物をとて泪の
おつれば、はづかしとおぼしてさすが
地
にそむき給へる。御ぐしはゆら/\と
きよらにて、まみのなつかしげに
匂ひ給へるさま、おとなび給まゝに
源
たゞかの御かほをぬきすべ給へり。御
はのすこしくちて、くちのうちくろ
みてゑみ給へるかほりうつくしきは
女にて見奉らまほしうきよら
なり。かうしもおぼし給へるこそ心
うけれと、玉のきずにおぼさるゝも
世の◯づらはしさの、そらおそろしう
源 春宮
覚え給成けり。大"将の君は、みやを
いと恋しう思ひ聞え給へど、あさま
しき御心のほどを時々"は思しる
さまにも見せ奉らんと、ねんじ
つゝすぐし給に、人わろくつれ
/"\におぼさるれば、秋の野もみ
給がてら雲林院にまうで給へり。
故母御息所"の御せうとの律師
のこもり給へる坊にて、法文など
よみ、をこなひせんとおぼして二三日
おはするに、哀なることおほかり。紅
葉のやう/\色づきわたりて秋
の野のいとなまめきたるなどみ給
つゝ、ふるさともわすれぬべくおぼさる
此師ばらのざえあるかぎりめし
いでて論議をさせてきこし
めさせ給。所からにいとゞ世中のつね
/
なさをおほしあかしても、なをうき
人しもぞとおぼし出らるゝ、をし
あけがたの月影に、ほうしばらの
あかたてまつるとて、から/\とならし
つゝ、きくの花こきうすき紅葉な
ど、おりちらしたるもはかなけれど、此
かたのいとなみは此世もつれ/"\なら
ず、のちの世はたたのもしげなり。さ
もあぢきなき身をもてなやむかな
侍らば、如何おぼさるべき」と聞こえ給へば、御顔をうちまもり
給ひて、「式部がやうにや。いかでか、さはなり給はん」と笑み
て宣ふ。言ふ甲斐なく哀れにて、「それは老て侍れば、醜くきぞ。
さはあらで、髪はそれよりも短くて、黒き衣(きぬ)などを着て、
夜居の僧のやうになり侍らんとすれば、見奉らん事も、いとど久
しかるべきぞ」とて泣き給へば、まめだちて、「久しうおはすね
ば、恋しき物を」とて、泪の落つれば、恥ずかしとおぼして、流
石に背き給へる。御髪(ぐし)は揺らゆらと清らにて、まみの懐
しげに匂ひ給へる樣、大人び給ふままに、ただ、かの御顔を脱ぎ
すべ給へり。御歯の少し朽ちて、口の打ち黒みて、笑み給へる、
かほり美しきは、女にて、見奉らまほしう清らなり。かうしも覚
し給へるこそ、心憂けれど、玉の瑕におぼさるるも世の煩はしさ
の、空恐ろしう覚え給ふ成りけり。
大将の君は、宮をいと恋しう思ひ聞こえ給へど、あさましき御心
の程を、時々は思ひ知る樣にも、見せ奉らんと、念じつつ、過ぐ
し給ふに、人わろく、つれづれにおぼさるれば、秋の野も見給ひ
がてら、雲林院に詣給へり。故母御息所の御兄(せうと)の律師
の、籠り給へる坊にて、法文など読み、行ひせんとおぼして、二
三日おはするに、哀れなる事多かり。紅葉のやうやう色付き渡り
て、秋の野の、いとなまめきたるなど見給ひつつ、故郷も忘れぬ
べく、おぼさる。この師ばらの才(ざえ)ある限り召し出でて、
論議をさせて、聞こしめさせ給ふ。所がらに、いとど世の中の常
なさを、おぼし明かしても、なを、憂き人しもぞとおぼし出らる
る、をしあけがたの月影に、法師ばらの閼伽奉るとて、からから
と鳴らしつつ、菊の花、濃き薄き紅葉など、折り散らしたるも、
はかなけれど、この方の営みは、この世もつれづれならず、後の
世はた、頼もしげなり。さもあぢきなき身を、もて悩むかな
引歌
※/うき人しも 新古今和歌集巻第十四 戀歌四
題しらず よみ人知らず
天の戸をおしあけがたの月見れば憂き人しもぞ戀しかりける
よみ:あまのとをおしあけがたのつきみればうきひとしもぞこいしかりける 隠 定隆雅
意味:天の戸を押し開けて、太陽が昇る明け方の月を見ると、全くつれない憂き人のことすら恋しく思われるよ。
備考:押し開けと明け方の掛詞。古今和歌六帖に「君をのみ起伏し待ちの月見れば憂き人しもぞ恋しかりける」と言う下句が同じ類歌がある。定家十体で、幽玄様。
京都 雲林院