神楽岡
吉田社
新續古今
万代を
早四かへり
の
霜を
へて
たえぬ
吉田の
神祭
かな
兼熈
新続古今集
吉田兼熈
ももとせをはやよかへりの霜をへてたえぬ吉田の神祭かな
吉田宮齊場所は神皪岡にあり(神代のとき天照太神天の岩戸に入給へば八百万の神達
集まりて神楽を奏せし、其所降りて山となりしより号る也).
當社は清和天皇の御宇貞観二年中納言山蔭卿の勧請又一説にはト部
兼延の造立ともいふ。(日本紀の
抄に見えたり)。樓門の額は日本最上兩大神宮中門の額は日本
最上神祇齋場とあり共に清水谷實秋卿の筆なりとぞ。本殿大元宮には
日本神祇三千一百三十二座を鎮座し奉る。日本最上日髙日宮の額は嵯峨天皇
の宸筆也。大元宮の額は後土御門院の宸筆。日本國中三千餘座天神地
祇八百萬神の額は清水谷實秋卿の筆也。八神殿の額は後土御門院の
宸筆。此社は大内裏の時神祀官にありて八州守護の験神を崇め奉らる。内
外の太神宮は八神殿の左右にあり。日本国中の神紙は本殿の兩脇になら
びておの/\国名を著し神社の数を記す。春日の杜は西の麓にあり。是も山蔭卿の勧請
なり(其外摂社多しといへども委は画図に見えたり.明星水はむかし此所星落けるとなり.龍沢は
春日杜の傍にあり.日降坂は竜沢より本殿に登るの道なり.新長谷寺の観音は
洛陽三十三所巡りの其一なり.傍らに霊符神います.智福院には虚空藏菩薩を安置す.
當所は一面の岡山にして嶮からず.弥生の頃は山躑躅咲乱れて都の貴賎童など引具し
わりごささえをひらき遅日を倦ずして興に乗ず.又長月のすへ木の葉の錦する折からも
此地に來つて秋の日の短を惜む輩おほかめり)。
京都大学(吉田経房別邸推察地)