新古今和歌集の部屋

比企探検 東松山市 宗悟寺

比丘尼山


天正18年(1590年)徳川家康の関東転封に伴い大谷村や山田村を知行した旗本森川金右衛門氏俊の菩提寺です。森川氏は、徳川家康の旗本として姉川の合戦や小牧・長久手の戦いなどに参加し活躍しました。




森川氏は大谷村や山田村を知行するとしばらく大谷に居住し、 天正20年(1592年)比丘尼山にあった大谷山寿昌寺を現在の扇谷に移し、寺の名を「扇谷山宗悟寺」と変えました。
森川金右衛門氏俊の法号は「桐蔭宗悟居士」と云います。




宗悟寺には、若狭の局が持ち帰ったと伝わる頼家公の位牌、若狭の局が夫頼家を失った苦しみから逃れるために祀った蛇苦止(じゃくし)観音や森川家から寄贈された森川氏の陣羽織等が伝えられており、寺の墓地には市指定文化財森川氏の墓地も整備されています。
また、境内には地元の有志による比企一族顕彰碑が設置されています。


コメント一覧

jikan314
@shou1192_2010 ポエット・M様
愚詠を掲載頂けるとの事、恐縮しております。
愚詠や拙句は、100年間劣ったものとして誰も作らなかったので、目新しく見えるだけかと存じます。
たぶん普通の短歌会、俳句会に出詠したら、主宰から出入り禁止されるかも?("⌒∇⌒")
桜は、入学など新しい生活の象徴と捉えられがちですが、サラリーマンにとっては、辞令を貰い、お互い東西の新転地に向かう別れの花だと思っております。議論したり、時には反発したり、終電まで飲んだりして、一つの仕事を成し遂げ、そして二度と会う事は無いですね。
ともを二度使ったのは、共であり友であるをイメージしました。
又、愚詠を投稿致しますので、笑覧頂き、寛容頂ければ幸いです。それにしても子規の影響力は大きいですね。☺️
拙句
人の想ひなどは知らずにいちりんそう
shou1192_2010
自閑さん こんばんは。
「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。

『古今集』は正岡子規の『歌よみに与ふる書』で、痛烈な批判を浴びてから
一時期肩身の狭い想いをした時期もありましたが、批判を恐れず申し上げますと
『古今集』から『新古今集』への時代は「短歌の完成期」でもあったと思っています。
本歌取りや、掛詞、折り句等々短歌の技巧が精緻を極めた時代とも思っています。

自閑さんの『新古今集』の造詣の深さにはいつも学ばせて頂いていますが、俳句も
自在にこなし、それらの土台の上に紡がれる口語自由律の短歌の世界観には、
短歌表現の広大な可能性を感じています。

さらに今回の「惜別桜」の一首の「ともにかたらむ」には、移ろう季節の象徴でもある
桜と、それを眺める人の世も移ろいゆくもの、せめて桜を共に眺めるひと時を
心行くまで語ろうではないか・・・と、そのように理解させて頂きました。

これからもよろしくお願いします。
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