新古今和歌集の部屋

美濃の家づと 二の巻 冬歌9

 

 

 

 

 

題しらず           西行

昔おもふ庭にうき木をつみおきて見しよにもにぬ年のくれ哉

こは年の暮に年木とて薪をつむことあるをよめるなり。

それをうき木とよめるは、浮木の名をかりて、うきこと

にいへるなり。昔おもふといひ、見し世にも似ぬといへるうき意


なり。 ふるき抄に、昔をこひたるにはあらず。思ひ出たる

ばかり也といへるは、かなはず。さてはうき木といへる、何のよしぞや

すべてよめる哥を、みな其人の境界にかなへてとかんとする

から、かゝるしひごとはいふ也。西行ならんからに、岩木にあら

ざれば、をりにふれては、などか昔をこふることもあらざらん。

歌はおもふ心を、いつはらず、たゞありによみ出ればこそ、め

でたき物にあれ。うはべをつくろひかざりて、いさぎよく

見するはうるさきから国ごゝろ也かし。

                     摂政

いそのかみふる野のをざゝ霜をへて一よばかりに残る年哉

夜〃をへたることを笹の縁に、霜をへてといへる也。一よもさゝの

縁也。さていそのかみふる野とは、霜の縁のふるのために

いへるのみか、又年ノふるくなれる事もあるか、よみ人の心しられず。

四の句のに°もじ、一よばかりになるとこそいふべかれ。残るとてはいかゞ。

                     慈圓大僧正

年のあけてうきよの夢のさむべくはくるをもけふといとはざらまし

夢は、夜の明れば、さむる物なる故に、年の明てといへり。さ

れど年に明といふは、俗にちかし。又いとふといへるも、か

なはず、すべていとふとは、物にても事にても、あるをにくみて、

なかれと思ふをこそいへ、年のくれゆくを、いとふとはいひがた

し。年ならば、来るをいとふとはいふべし。これよく人のあや

まる事なり。心得おくべし。此結句はなげかざらまし

とあるべきを、後撰集に√花しあらば何かは春のをしからむ

くるともけふはなげかざらまし。といふ哥ある故に、すこしかへ

られたるにや。もし然らばをしまざらましと社あるべけれ。

 

 

 

 

※後撰集 春歌下
 やよひのつごもり
                よみ人しらず
花しあらば何かははるのをしからんくるともけふはなげかざらまし

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