新古今和歌集の部屋

光る君へ 藤式部が土御門殿で講義した漢詩 白居易 新楽府七徳舞(再掲)

 

(36)待ち望まれた日 - 大河ドラマ「光る君へ」

(36)待ち望まれた日 - 大河ドラマ「光る君へ」

一条天皇(塩野瑛久)の中宮・彰子(見上愛)がついに懐妊。宮中が色めきだつ中、まひろ(吉高由里子)は彰子から、天皇に対する胸の内を明かされる。一方、清少納言(ファ...

大河ドラマ「光る君へ」 - NHK

 

 

其事太宗十八舉義兵白旄黃鉞定兩京

擒充戮竇四海清二十有四功業成二十

有九即帝位三十有五致太平功成理定

何神速速在推心置人腹亡卒遺骸散帛

收饑人賣子分金贖魏徵夢見天子泣張

謹哀聞辰日哭怨女三千放出宮死囚四

百來歸獄剪鬚燒藥賜功臣李勣嗚咽思

殺身含血吮瘡撫戰士思摩奮呼乞效死

則知不獨善戰善乘時以心感人人心歸

爾來一百九十載天下至今歌舞之歌七

德舞七德聖人有作垂無極豈徒耀神武

豈徒誇聖文太宗意在陳王業王業艱難示子孫

 


5:04

藤式部 御加減いかがで御座いますか?

中宮  今日は気分が良い故、内緒の話をしたい。

一条天皇 懐妊の祝いに、中宮に験の帯を贈る。手配致せ。

蔵人頭 承知仕りまして御座います。

中宮  藤式部は、何故、漢籍に詳しいのだ?

藤式部 父が学者で御座いましたので、幼い頃、父が弟に漢籍を読み聞かせているのを聞いて、覚えてしまいました。

中宮  私には、無理であろうか?

藤式部 学ぶ事は何時からでも始められます。

中宮  以前、帝が藤式部と話ておられた、

(一条天皇 高者、未だ必しも賢ならず、下者、未だ必しも愚ならず)

中宮  あれは、何の話だ?

藤式部 白居易の新楽府の一節で御座いました。

中宮  新楽府とは何だ?

藤式部 唐の国の白居易という詩人が、民人の声を代弁し、為政者のあるべき姿を示した漢詩に御座います。帝の御好きな書物と存じます。

中宮  それを学びたい。内緒で。

藤式部 内緒でございますか?

中宮  亡き皇后様は、漢籍も御得意のであったのだろう?私も密かに学んで、帝を驚かせ申し上げたい。

藤式部 はっ。

藤式部 独り善く戦ひ、善く時に乗ずるのみならず、心を以て、人を感ぜしめて、人心帰す。

藤式部 太宗皇帝は、ただ戦が上手く、時運に乗ずるに長けていたのみではありませぬ。人に対し、常に真心を尽くした故、自づと人々の心は、皇帝に付き従ったので御座います。

中宮  真心を尽くす。。。

藤式部 政の頂にある者が、人々の心を真に掴むのは、並大抵の物では御座いません。

中宮  そうか。続きを。

 


新楽府 其一 七徳舞

小序

美撥乱陳王業也  乱を撥(おさ)め王業を陳ぶるを美(ほ)むる也。

武徳中 天子始作秦王破陣楽 以歌太宗之功業。
武徳中、天子始めて「秦王破陣楽」を作り、以て太宗の功業を歌ふ。

貞観初 太宗重制破陣楽舞圖 詔魏徴虞世南等為之歌詞 因名七徳舞。
貞観の初め、太宗重ねて、「破陣楽舞図」を制(つく)り、魏徴、虞世南等に詔して之が歌詞を為(つく)らしめ、因りて七徳の舞と名づく。

自龍朔巳後 詔郊廟亨宴 皆先奏之。
龍朔より巳後、郊廟の亨宴に詔して、皆先に之を奏せしむ。

 

七德舞  七徳の舞

七德歌  七徳の歌

傳自武德至元和  伝へて武徳より元和に至る。

元和小臣白居易  元和の小臣、白居易、

觀舞聽歌知樂意  舞を観て、歌を聴きて、楽の意を知る。

樂終稽首陳其事  楽終わりて、稽首して、その事を陳ぶ。

太宗十八舉義兵  太宗、十八にして義兵を挙げ、

白旄黃鉞定兩京  白旄黃鉞もて両京を定む。

擒充戮竇四海清  充を擒へ竇(とう)を戮(りく)して四海清らかなり。

二十有四功業成  二十有四にして功業成り、

二十有九即帝位  二十有九にして帝位に即き、

三十有五致太平  三十有五にして太平を致す。

功成理定何神速  功成り理定まること何ぞ神速なり。

速在推心置人腹  速きは心を推して人の腹に置く在り。

亡卒遺骸散帛收  亡卒の遺骸、帛を散じて収め、

貞観初詔天下陣死骸骨 致祭瘞埋之 尋又散帛以求之也
貞観の初め、天下に詔して陣死の骸骨、祭を致して之を瘞埋せしめ、尋(つ)いで又帛を散じて以て之を求むる也。

饑人賣子分金贖  飢人、子を売れば金を分かちて贖ふ。

貞観二年大飢 人有鬻男女者 詔出御府金帛盡贖之 還其父母
貞観二年、大いに飢え、人に男女を鬻(ひさ)ぐ者有り。詔して御府の金帛を尽く之を贖い、その父母に還す。

魏徵夢見天子泣  魏徵夢に見(あら)われて天子泣く。

魏徵疾亟 太宗夢與徴別 既痦流涕 是夕徴卒 故御親制碑云 昔殷宗得良粥 於夢中 今朕失賢臣於覚後 
魏徵疾亟(きわ)まり、太宗夢に徴と別れ、既にして痦(さめ)て流涕し、是の夕、徴卒す。故に御親(みづ)から碑を制りて云ふ。昔、殷宗夢中に良粥を得、今朕は、賢臣を覚後に失ふと。

張謹哀聞辰日哭  張謹の哀聞こゆれば辰日にも哭す。

張公謹卒 太宗爲之擧哀 有司奏曰 在辰 陰陽所忌 不可哭 上曰 君臣義重 父子之情也 情發於中 安知辰日 遂哭之
張公謹卒し、太宗之が為に挙哀す。有司奏して曰く、辰に在り、陰陽の忌む所と。上曰く。君臣は義重し。父子の情也。情、中に発す、安くんぞ辰日を知らんと。遂に之を哭す。

怨女三千放出宮  怨女三千、放ちて宮を出だし、

太宗常謂侍臣日 婦人幽閉深宮 情實可愍 今將出之 任求伉儷 於是令左丞載冑給事中杜正倫於掖庭宮西門 揀出数千人 盡放歸
太宗、常に侍臣に謂(い)いて曰く、婦人、深宮に幽閉さるるは、情、実に愍(あはれ)むべし。今将に之を出だし、伉儷を求むるに任さんとすと。是に於いて左丞載冑、給事中杜正倫をして掖庭宮の西門に、数千人を揀(えら)び出し、尽く放ち帰らしむ。

死囚四百來歸獄  死囚四百、来たりて獄に帰す。

貞観六年 親録因徒 死罪者三百九十 放出歸家 令明年秋來就刑 應期畢至 詔悉原之
貞観六年、親ら因徒を録し、死罪者三百九十、放ち出で家に帰しめ、明年の秋に来たりて刑に就かしむ。期に応じて畢く至り、詔して悉く之を原(ゆる)す。

剪鬚燒藥賜功臣  鬚を剪り薬を焼きて功臣賜ひ、

李勣嗚咽思殺身  李勣は嗚咽して身を殺さんことを思ふ。

李勣常疾 醫云 得龍鬚燒灰 方可療之 太宗自剪鬚燒灰賜之 服訖而癒 勣叩頭泣涕而謝
李勣常て疾み、医云ふ、龍鬚を得て灰に焼けば、方に之を療すべしと。太宗自ら鬚を剪り灰に焼きて之を賜ひ、服し訖(おわ)りて癒ゆ。勣は叩頭泣涕して謝す。

含血吮瘡撫戰士  血を含み瘡を吮いて戦士を撫し、

思摩奮呼乞效死  思摩は奮呼して死を効さんことを乞ふ。

李思摩嘗中弩 太宗親為吮血
李思摩嘗て弩に中り、太宗親ら為に血を吮ふ。

則知不獨善戰善乘時  則ち知る、独に善く戦ひ善く時に乗ずるのみならず、

以心感人人心歸  心を以て人に感ぜしめて人心帰するを。

爾來一百九十載  爾來、一百九十載、

天下至今歌舞之  天下、今に至るまで之を歌舞す。

歌七德  七徳を歌ひ、

舞七德  七徳を舞ふ。

聖人有作垂無極  聖人、作有りて無極に垂る。

豈徒耀神武  豈に徒だに神武を耀かすのみならんや。

豈徒誇聖文  豈に徒だに聖文を誇るのみならんや。

太宗意在陳王業  太宗の意は王業を陳べて、

王業艱難示子孫  王業の艱難を子孫に示すに在り。

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