哥ヲイタクツクロヘバ必劣事
覺盛法師が云哥はあら/\しくとめもあはぬやう
なるひとつのすがた也。それをあまりさいくみて
とかくすればはてにはまれ/\物めかしかりつる
所さへうせてなにゝてもなきこものになるなりと
申しし。さもときこゆ。
季経卿哥に
としをへてかへしもやらぬおやまだは
たねかす人もあらじとぞおもふ
この哥ゑんなるかたこそなけれどひとふしいひて
さる躰の哥とみ給へしをとしへてのち彼集の
なかに侍をみれば
しづのをがかへしもやらぬをやまだに
さのみはいかゞたねをかすべき
これはなをされたりけるにや。いみじうけをとり
ておぼえ侍也。よく/\心すべきことにこそ。
歌をいたくつくろへば必劣事
覚盛法師がいわく、「歌は荒々しく止めもあはぬやうなる、一つの姿也。それを、
あまり細工みてとかくすれば、果てにはまれまれ物めかしかりつる所さへ失せて、
何にてもなき小物になるなり」と申しし。「さも」と聞ゆ。
季経卿歌に
年を経て返しもやらぬ小山田は種貸す人もあらじとぞ思ふ
この歌、艶なる方こそなけれど、一節云ひて、さる体の歌と見給へしを、年を経て
後、彼の集の中に侍るを見れば
賤の男が返しもやらぬ小山田にさのみはいかゞ種を貸すべき
これは直されたりけるにや。いみじうけ劣りておぼえ侍也。よくよく心すべきこと
にこそ。
※覚盛法師
比叡山阿闍梨。伝不詳。正治二年存命。
※季経卿
藤原兼輔の子。承久三年没。
※け劣りて
劣って。けは接頭語。