或人云ある哥合に五月雨の哥にこやのとこねも
うきぬべきかなとよめりしかあるを清輔朝臣
判者にてとこねといふ事きゝよからずとて
まけたり。このみちのはかせなれどもこの事
心をとりせしか。
後撰云
たけちかくよどこねはせじうぐひすの
なくこゑきけばあさいせられず
とよめり。この哥をおぼえざるにやと云々。この難
はなはだつたなし。すべて和哥の躰を心えざる
なり。そのゆへは哥のならひ世にしたがひて
もちゐるすがたあり。賞することばあり。しか
あれば古集哥とてみなめでたしとあふぐべから
ず。これは古集をかろむるにはあらず。時の風
のことなるがゆへなり。しかあれば古集の
中にさま/"\のすがたことば一偏ならず。
その中に今の世の風にかなへるをみはから
の哥このころならば撰集にいるべくもあらず。
題をしやうせざるは哥のおほきなる失也。
おぼろげの秀逸にあらざればこれをゆる
さず。つぎによとこねはせじといひあさゐ
せられずといへるすがたことばよろしからず。
しかあるをかのよとこねといへるさしもなき
ことばをとりてなを夜の字りやく
してとこねといへるまことにこと
やうなることばなり。これを後撰の威を
かりてひがなんとおもへるはよくこの
みちにくらきなり。
或人云、「ある歌合に、五月雨の歌に『こやの床寝も浮きぬ
べきかな』とよめりしかあるを、清輔朝臣判者にて、『床寝
と云ふ事、聞きよからず』とて負けたり。この道の博士なれ
ども、この事、心劣りせしか。
後撰云、
竹近く夜床寝はせじうぐひすの
鳴くこゑきけば朝いせられず
とよめり。この歌を覚えざるにや」と云々。
この難、はなはだ拙なし。すべて和歌の体を心得ざるなり。
その故は、歌の習ひ、世に随ひて、用ゐる姿あり。賞する詞
あり。然あれば、古集歌とて、皆めでたしとあふぐべからず。
これは、古集を軽むるにはあらず。時の風の異なるが故な
り。然あれば、古集の中に様々の姿、詞、一偏ならず。その
中に、今の世の風にかなへるを見計ら〔ひて、その中のこれ
を本として、かつはその詞を盗むべきなり。かの後撰〕の歌、
このころならば、撰集に入るべくもあらず。題を賞せざるは、
歌の大きなる失なり。おぼろげの秀逸にあらざれば、これを
許さず。次に、「夜床寝はせじ」といひ、「朝ゐせられず」
といへる姿、詞、よろしからず。然あるを、かの「夜床寝」
といへる、さしも無き詞を取りてなを、「夜」の字、略して
「床寝」といへる、まことに異やうなる詞なり。これを後撰
の威を借りて、僻難と思へるは、よくこの道に暗きなり。
※( )は二行闕しているので体系本より補った。
※清輔朝臣 藤原清輔。長治元年(1104年)ー治承元年(1177年)。六条藤家。
※こやの床寝 不詳
※竹近く 後撰集春中 48 ねやの前に竹のある所に宿り侍りて 藤原伊衡朝臣 竹ちかくよどこねはせじ鴬のなく声きけばあさいせられず
※時の風 時代の風潮
※その詞を盗むべき 本歌取りすべき。
(了)