JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

My essay,My life -水瓶-

2012年10月23日 12時43分24秒 | My essay,My life
先月の前田敦子泥酔報道。人ごとじゃあないね。「とったぞぉ~!」 よゐこ濱口のごとく、文春記者が叫んだのかどうかはおいといて…’或る「小倉日記」外伝デケデケデケ’を書いた折、誰からもツッコまれなかったのですがじんちゃん、密かに酒復帰しておりますの。そんなコッチャロとおもた~ってね、失笑されるのがオチでしょうが、まぁ聞いてくださいな。

あれは昨年2月のことじゃった~ (←常田富士男かい)。齢43にして、急性アルコール中毒で病院へ運ばれちまいまして。さすがにこのままではまずいと、断酒宣言をした訳です。ところがね、翌月のホワイトデーに、夫からこんな品を贈られた。http://www.sapporobeer.jp/news_release/0000020083/

愛深き?夫は何をする人ぞ。ったく、酒をやめる言うてる相手に、嫌味かいっ。( `д´) しかし美味そうやなぁ。一体どんな味やねん、ショコラビールて。さて飲むべきか、飲まざるべきか、それが問題だ…まっことショボいテーマにハムレット気取りで悩んだ挙句、「やっぱりやめとこ」恨めしげなる面持ちで、収納庫の奥へと仕舞い込んだ。

それから約5ヶ月、じっくり熟成させまして。残暑厳しい夏の終わりに’ふぅ、今日は朝から頑張ったー。こんな日は、自分にご褒美をあげたいわぁ’ そうそう、いいモノがあるじゃないかってね、アッサリ開けてしもた。

それでもしばらくは、自宅だけの楽しみに留めていたんですよ。奇しくもその頃、叔父の遺品のジョニー・ウォーカー 青ラベルがありまして。酒の友になるような献立の際には、ショットグラスに氷を入れて1杯のみ。これがすっごく、まろやかな味わいなのぉ~♪「ねぇこのお酒、舌がピリピリしないよ。」 夫に申しましたら、「ピリピリするのは安酒だ! 僕は毎日そんな酒を飲んでいる。」 いや、そこで胸を張られても。

こうしてホームグラウンドでひっそり、その実着々と、華麗な滑り出しを見せていたじんちゃん。とは言え、アウェイでやらかしてますからねぇ。完全復帰にゃ、やはりためらいがある。で、しばらくの間大人しく過ごしていたのですが、そのうち外で飲まずにいるのは、家の中より難しいことに、気がついた。

「なぁなぁ、知り合いから声をかけられたんやけど、ワイン飲みながら焼肉食べへん?」「それがねぇ。。。 私、お酒やめてるのよ。」「えーっ!?そうなん? ゴメンゴメ~ン。」事情を把握していない友人は、オモロそうな企画を持ち込んでくるし〜「何で飲まへんのや?」「いや、ちょっと…」「寂しいなぁ。一人で飲むのん、つまらんなぁ。」オッチャンのぼやきには、付き合わなならんし~

どうやら自分の現状、それに纏わる思いが周囲に行き渡り、さらに理解を得るには、随分な時間を要するらしい。それまで折あるごと、辛抱強く説明を続けねばならず、次第にですね、ああ~めんどくさっ ’いちいちんなことやってられるかボケ!’(『アウトレイジ』の西田敏行を、思い出しながら読んでネ)あら、魅惑の人妻としたことが。

そうしてそのうち、問題を避けて通るのが果たして本当の解決になるんやろか、なんて考え始めた。自分にとって程良い付き合い方を身に付ける。’それができりゃあ、苦労はしねぇーよ’かもしれないが、できるなら、それに越したことはない。

モノをモノとして扱えるか-酒その他に呑まれずにいられるか(脱依存)-というのも、感情のコントロール。あ、これ偶然手にした著書(中谷彰宏さんのhow to 本。ヤケクソのように出しておられマス)にあった解釈なんだけれどね。http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-67274-8

それまで感情のコントロールと言えば、気分の浮き沈みの話だと思っていたじんちゃんは、なるほどなぁと。振り返ってみるに、酒にとどまらず、いろんな事柄がここに結びついていたのだった。まずは、己の器を知ろう。はて、どれくらいのものかしらんと、心の内を覗き込んでみると…ちっさ!こりゃあ、すぐにオーバーフローするはずだ。しかしまぁ、それが私なんだから。無理にデッカク振る舞う必要もないのよね。うん。

ちなみに知人が気を配っているのは、「休みの日も5時まで酒を飲まない」。でもって夜は早く寝る。生涯現役を標榜する知人なりに、心に決めたルールなのだ。相変わらず、酒量は多いようだけどサ。何から逃げるために、あんなにお酒飲むのか…映画『酔いがさめたら、うちに帰ろう』で、主人公の母親(香山美子)がため息混じりに漏らすセリフ。わかるよ。傍で眺めている者の、偽らざる心境なんだよなぁ。当人には、そうせずにおれない理由があるのだろうが。

同病相憐れむか。アンタにだけは、心配されたないわぃ!と返されそうなので、この辺にしておこう。さて、小復帰からさらに月日が経ちまして。ついに⁉︎学生時代の友人たちと、夜の街へ繰り出す機会が、めぐって参りました。また例のごとく、いろいろ起こるのよねぇ、珍事が。ぶはっ。

ミューズの晩餐 My essay,My life -青春の門-

2011年12月20日 12時09分20秒 | My essay,My life
2010.12.29

43歳の誕生日。

じんちゃんは一人、大阪の某夜景スポットにおりました。


駅近のささやかな名所であるこのビルには、映画館あり高層階に広がる庭園あり、殊に夕方から絶好のロケーションとなって、ビルそのものの魅力が、燦然と輝き始めるのです。

ちょっとちょっと、じんちゃん「寂し過ぎるぞ~~~」
そんなお仲間さんの声もあったのだけどね。

夫や娘の身辺の心配ごとは、落ち着く所へ落ち着いたものの、今度はクリスマス。 心機一転、家族ができるだけ明るい心持ちで過ごせるようなんて頑張っていたら、くたびれてしもた。夫がいつ明けるともわからぬ休みへ突入する一方で、娘は可愛らしいお客様たちを連れてきてパーティーや。年の瀬の行事を片付けた後、とにかく一息つきたかった…

っと、この記述へたどり着くまでに一年がかりですよ。渦中にいた時、どうしてたんかな〜思て見返したら、案の定よどんでた。そら時間かかるはずだぁ(笑)。さて今回は、そんなあれやこれやの裏側で進行していた、思春期の娘のお話。愛知から兵庫の片田舎へやってきた、去年の春にまで遡ります。

母と子どもたちと私の暮らしが始まり、しばらく経ったある日、娘から 「お母さん、ちょっと」 声をかけられた。「何?」「2階へ来てくれる?」どうやら、人気のないところで話をしたいらしい。転校したばかりで、新しい環境へ慣れていかなくてはならない時期、初日から意気投合した女の子もいたけれど、まぁいろいろあるんやろなと。娘の心を量りつつ、小机挟んで向かい合った。

「んーっと…」娘はモジモジしていたが、やがて意を決し「今日コクられた」残りの言葉を一気に吐き出し、にっこり笑った。あらっ、結構可愛いやないの♪(ちょっちブル顔なもんで)相手はどんな子やろ。しかしチャレンジャーやな~。にしてもはやっ。んでもって小沢一郎にコクるて!頭の中で、さまざまな所感が一気に渦巻く。しかるに、その奥底に横たわっているのは、暖かく柔らかな感情。ああ、カグワシイ香りやわぁ。

兄にしろ、この妹にしろ、幼き頃から無邪気にちょ色気ネタを提供してきたものの、自身の恋バナにはまるで縁がなく…。母は、いささか味気ない思いをしていたのよ。「どうなの?」時折こちらが水を向けても、「あっしにはかかわりねぇことで」木枯し紋次郎みたく素っ気ない反応があるばかり。つられてこちらも、歌い出したくなるわぃ。どーこかでぇ だーれかが きっと待っていてくれる〜♪そーか、やはり待っていたか。だれかが風の中で。

「お兄ちゃんとお父さんには内緒だよ。」ちょっと真顔になって、娘は言った。そりゃそうだ。日頃からかっている妹に、先を越されたとあっては、兄貴も面目なかろう。しかし父さんもダメか~(笑)。こうして密やかに、女子の世界が形成されてゆくのであーる。

娘は、ぽつぽつと話し始めた。「休み時間にね、静かな所へ連れて行かれて」「うんうん」「好きですって」「ほうほう」「えーっ!?って、びっくりした。」「あはは。そりゃびっくりするわね。」突然、雷に打たれたようなものなんだから。「で、どうしたの?」

「しばらく考えて、やっぱり聞かなかったことにするねって言ったら」「何て答えた?」「うん。そうしてなって。」お互い笑顔で締め括ったらしい。「それで終わっちゃったの?」「だって…まだ早い。」「そっかー」「付き合える訳でもなし。」彼女なりに、一生懸命導きだした答えなのだろう。意外と現実的な思考回路であることに、いささか驚いた。「お母さんは、どう思う?」キターっ。

「お母さんは、そんな経験ないからなぁ。」胸より薄い過去の恋バナ帳をペラっと紐解いてみるものの、該当項目が見当たらない。大体、卒業の折に回したサイン帳で、クラスの某男子から返ってきたメッセージが 「天ザル覚悟しろ!」。兄貴どころか母も面目なーし。それでも、自分なりの考えは伝えることにした。

「まだ早いと思う気持ちは、大切にしていたらどうかな。周囲に流される必要はないよ。それから…」 私にできる、数少ないアドバイスを口にする。「クラスの子には言わない方がいい。仲の良い友だちだって、受け取り方は様々だからね。」困るのは、勝手な妄想で現実をふくらませた挙句、やっかまれる事態。面白がって囃し立てる男子も鬱陶しいが、心の中で不機嫌の種をじっとり増殖させる女子も大概で。微笑ましく眺めてくれる人ばっかじゃないからねぇ。

「にしても楽しい思い出やね。」「うふふ」「どんな子?」「勉強ができるタイプじゃないよ。」「スポーツは?」「どうかなーよくわかんない。」「ええ子やん」「そうかなぁ~」「ええ子やて!」母さんはわかる。’うちの娘を好きになる子に、悪人はいない’ (←お仲間さんの浜省ファンの法則をパクってもた)親バカやな~

その夜、愛知に残って引越し作業をしている夫に、こっそりメールを打った。「コクられたらしいよー♪花ちゃん。」「本当?」「相手の子、マニアやな。そうに違いない。」「あはは。おめでとうって言っといて。」「それが、まだ早い言うてるねん。」「へぇ~そうか」「あの子の準備ができた頃に、好きです言うてくれる人おるんかしらん。」「まぁ、いろいろ相談にのってやってよ。」夫とメールでこれだけ語り合ったのは、後にも先にもこの時だけである。ぶはっ。

まもなく家族そろっての生活が始まり、それから程なく授業参観の案内が届いた。むふふと内心ほくそ笑んだのは、’風の中の君’ (ふうくんと名付けるヨ)が見られるから。ワクワクしながら当日を迎え、夫と二人学校へ。どの子やろ〜教室の後ろから、一人一人の生徒を目で追っていく。おばちゃん先生頼むで。わかるように当ててや。振り返った娘に、小さく手を振り微笑んでいると、聞き覚えのある名前が耳に入る。ふうくんだ!グルリ見回した先に、立ち上がった男の子は… 優しい目をした、丸顔の、可愛らしい少年だった。

学年も半ばにさしかかり、緊張感の薄れる頃になると、実像が見えてくるのかしらん。娘は、ちょっぴり口をとがらせながら、ふうくんの話をするようになった。「今日は腹を立てて先生に物を投げつけた。最近いけないことばっかりしてるよ。」 気の強い女の子をつついて、泣かせてしまった日もあった。それから…「ふうくん、いろんな女の子にコクって、みんなに断られてるの。」「へぇ~」「私の所へ来たのも、転校してきて何も知らないと思ったからじゃない?」

ありゃりゃ とんだ裏話が露見してしもたんやねぇ。けれども不思議と、悪い印象には傾かなかった。それでもメゲずにアタックし続ける。見上げたもんやないか。告白時の娘との遣り取りから、一種の清々しさを感じていた私は、彼をチャラ男だと決め付ける気になれなかったのだ。それに… 彼が泣かせた女の子は、たまたま娘にイジワルしていた生徒だったのよね。にひっ。

そんな時、恋なんてまだ早いと言っていた娘の心を、すこーしだけほぐしたモノがあった。私がベッドの上へ放り出していた、中谷彰宏のエッセイである。どういう訳か、ふとその本を手に取った娘は、パラリとページをめくり視線を落とすと、「この字は、何て読むの?」目についた言葉を指でなぞり始めた。

「ぐたいてき」「ぐたいてきで、ちいさい、ほんのささいなことから… あ、これはわかるよ。こいでしょう?こいがうまれる。」続く本文を読もうとして、早くも躓く。「お母さん、この字…」「れんあい」「れんあいで、いちばんハッピーなところは、ほんのささいなことにあります。れんあいを… お母さん」「きわめる」「きわめるには、ディテールをきわめることです。」「ちょっと難しいかな。」初めて開く、大人の本なのだ。『ふたりのロッテ』や 『オズの魔法使い』のようにはいかない。「まずは、目次だけ読んでみたら?」

こうして、思いも寄らぬ不思議なレッスンが始まった。新たに出会う漢字や慣れない熟語に戸惑いながらも、娘は10ページあった目次を、読みあげていった。「イケるやん。」「本当?」「大丈夫。どんどん読みなさい。」各タイトルを追っていくだけでも結構なボリュームなのだが、ひと通り目を通すと、内容がほぼ分かる仕組み。恋にまつわる中谷語録を、娘は面白いと言った。

「お母さんも大好き。書いてあることは、至ってシンプル。ああ、その通りやなって、ストンと納得する。で、前向きな気持ちになる。」元来そういった傾向じゃないからこそ、手にしているのだ。どうせ後ろ向きよ。サクサク進めないわよ。ぐちゅぐちゅした感情を持て余してるわよ。

季節が変り、冬になった。クリスマスの足音が近づいてきたある日。所用で外出していた私が帰宅すると、いつになく弾んだ母の声が、耳に飛び込んできた。「今日は珍しいお客様がきたわ。」「誰よ」「男の子」「ふぅん」「明るい声でねぇ、こんにちはぁ!言うて、メグちゃんと一緒にな。」

メグちゃんは、娘がこの地へやって来て、一番に仲良くなった友だちだ。クラシックバレエをたしなむ彼女は、存在しているだけでキラキラとオーラを放つ。大人びた派手な造りの顔に、クルクルとカールした髪、背が高く、スタイルもよく、田舎の小学校では、バリバリ目立つタイプなのだ。当然、そうした個性は収まり切らずにいる。女子の中にちんまりと存在してるガラじゃないからなー。そうか。男子を連れてきたか。

「男の子が来るなんて初めてね。同じクラスなの?」ひょっとして、ふうくんかしら…。娘は、こちらの心を知ってか知らずか、にっと笑い「コウちゃん」。「あら、新しい名前ね。」「楽しい子やで~。ホンマ屈託のない。うわ~ここの家、床暖房入ってるー。 あったかいわぁ言うてな。」 気合を入れたリフォーム結果に賞賛の言葉をもらい、母はご満悦であった。

こうして、木枯し巻いかけていた娘の心は、周囲の環境と共に、少しずつ回復していった。転機となったのは、「一人でメソメソしてないで、先生とこ行こ!」ふうくんの言葉だったそうである。戸惑う娘を引っ張っていって、事情を話す場にも立ち合ってくれたというから、やっぱええヤツやん。

いろいろ振り返ると、大変だったと感じるあの頃の中にも、不思議な明るさがあったのだなぁと。きっとこういうことなのだろうと思います。’ほんのささいなことに、人生の幸せがある’ ですよね? 中谷さん。😉


http://www.youtube.com/watch?v=dhkU2-I-EPs

ミューズの晩餐 My essay,My life -分岐点-

2011年12月15日 10時25分00秒 | My essay,My life
さて、あっという間に師走ですよ。去年は、この時期いろいろあったな~。夫からのSOS、娘からのSOS。こうしてネットをやっている折にさえ・・・

ほらほら呼んでい・る・わ

今日もー また誰か~

家族のピ・ン・チ♪

と、今でこそ昇華して綴れるようになったものの、当時の家族を取り巻く状況は、彼らの言葉をベースに推し量るしかなく、そうして思う所はあれど、己の考えを強いる訳にもいかず、結局どう解決するかは、当事者の問題だもんなぁ。

一人、気を吐いたのは息子かしらん。 淡々と自分の道を歩み続け、明るい話題を提供してくれた。期末テストの5教科合計で学年上位へ食い込んだのを柱に、運動会他の学校行事を通して、日頃の努力を浮き彫りにした。

「母さん、家庭科(裁縫)の作品制作、クラスで1番に仕上げたんだよ。文化祭でも展示されるの。」ぶはっ。女子を差し置いてかい。母より大きくなった体を持て余し気味に、ちくちくと針を動かす様を思い浮かべ・・・笑ろてしもた。

おっと、心に木枯らし舞う娘の描写で終わっていたのだった。転校したばかりの頃、愛知から送り出してくれた親族の心配をよそに、新たな居場所へいち早く適応した娘。その揺り返しが、2学期も後半になってやってきた。

女の子の世界は難しい。ぐーっと接近したかと思ったら、さーっと離れていく、かと思えば戻ってくる。で、やっぱり意地悪な子がいる訳ですよ。そういった子から攻撃を受けている時、仲良くしていた子とも、いろんな事情で離れていたりして。

絶え間なく困った状況が続いている訳ではないのだけど、ポツッポツッと山があり、そんな時には、不機嫌な面持ちで帰ってきて、ランドセルを蹴飛ばしたりする。まったく、プレイガールかと思ったよ(←華麗な蹴り上げ←沢たまきかい←ふる~)。

夫の仕事をめぐる膠着状態は、意外な出来事が突破口となり、変化を見せ始めた。さる機関から、自宅へ電話が入ったのである。明るみになったのは、社長の非協力的な姿。支給されるべき手当が降りぬまま、数カ月が経過していた。

手続きに必要な書類を催促しているのだが、動いてもらえない。自分に何の益があるのかとドヤされたり、忙しいからと電話を切られたりする。正式ルートでは進展が見込めそうにないので、家の方と相談したい。担当者の物言いは柔らかだったが、ホトホト困っている状況や、それをどうにかして打開しようという決意は、伝わってきた。

年の瀬を迎え、何かと物入りな時期であることを気遣っての、直談判だった。「他の方々には手当が降りて、お宅だけなんです。ちょっとした額でもありますしね。」「すみません。あの…いっぱいいっぱいの現場で…」

しかし、どんな状況であれ、誰かにあたって気を紛らすなど間違っている。とばっちりを受ける側は、いい迷惑だ。「現場(客先)では、どんな感じなん?」夫に聞いたことがある。「それが、愛想いいらしいんだ(笑)。」特定の人間にだけ矢を放っているつもりなのだろう。が、そうした行為は得てして誰かに見られていたり、白日の下に晒されたりするものだ。

とにかく、第三者の証言は、夫も辛抱が足りないのではという私の疑念を払い除けてくれた。’頼まれたことを放置し、周囲に不快感を撒き散らし、何がサービス業だ!’ そんな対応を裏でしていて、お客の真のニーズが汲み取れる訳ないのである。惜しくはないかな…未成熟な人格の元を離れても。

それでも、一歩を踏み出した先に新たな居場所が見つかるのか、不安が頭をもたげる。あわよくば見つかったとして、当人がやっていける環境である保証はない。思い切る時期は、今でいいのか。ここでチャレンジする価値は、本当にないのか。夫も私も、数日間考え続けた。

本音は、すぐにでも辞めたい夫。辞めるにしても、せめて次の方向性を考えてからと思う妻。切ったら楽になるのは、わかってるよ。一時的にね。でも、そうやって生涯やり過ごす訳にはいかないんだ。

人生には、いくつかの分岐点があると共に、それぞれが我慢のしどころ、踏ん張りどころとなっている。どこまで向き合い、どこで見切りをつけるのか、果たしてどのような選択が良いのか。結果はすぐに訪れないから、見守る側だってしんどい。

自分自身のあり方もかなり迷ったが、何度目かのSOSに、こう答えた。「後になって、君が言ったからと私の所為にされてはたまらない。最終的な決断は、自分でして。」「わかった。」夫は、電話を切った。


ミューズの晩餐 My essay,My life -秋風-

2011年10月19日 13時21分00秒 | My essay,My life
前回は、久しぶりに心の内をうんと吐き出しまして。あ~スッキリした。「出会った頃のじんちゃんだ~!って嬉しくなっちゃった。」なんてメッセージをいただいたのですが、ようやく私らしさが戻ってきたのかな。

さて、じんちゃんの禁酒は続いているのか?話は’断捨離編’まで遡ります。齢43にして急性アルコール中毒で病院へ搬送されたじんちゃんが、翌日の帰宅に際し禁酒を決意するくだりで終わっていたのでした。あの時の心境はね・・・ ’車の運転と同じく、自分には向いてない。もう止めよう。’中途半端に折り合いなど、つけられそうになかった。このままでは、のりぴーや小向美奈子の領域へ足を踏み入れてしまう。いやホント。私、彼女たちをまったく笑えないから。

ホロ酔いかげんのうちはいいが、どうも行き過ぎる。いつとはなしにMOTTAINAIおばけが顔を出し、グラスの酒は飲み干さなきゃ気が済まない。帰り道、足をとられて、ずべーっと転ぶ華麗な姿を、友人つながりの初対面の方々に晒してしもた。一回きりの参加になってしまったけれど、楽しかったなぁ。マリアージュ勉強会♪

互いの味を引き立たせる、ワインと料理の組み合わせ。それを意識しながら食事を楽しみましょう。こういった趣旨の下、各々のシチュエーション(イタリアン、フレンチ、中華、和食etc)に見合うワインを、講師の方がセレクトしてくださるのです。私が参加したのは四川料理の回で、コース料理をいただきながらの形式。一皿ごとにワインが変わる贅沢な環境の中、手に入り辛いヴィンテージものを中心に5~6種類を味わったのでした。

初参加で、いささか緊張していた私も 、ワイン好きの有志が集うささやかな宴といった風情に、ちょっぴり安堵、すっかりリラックス。10人弱の参加者には、いろんな職種の方がおられました。群馬にある知る人ぞ知る酒蔵へ行こうなんて話が飛び出し、好きな人の探究心ってスゴいなぁと。

講師の方には素朴な事柄から丁寧に解説をいただいたのですが、ひときわ印象に残ったのは、こんなエピソード。不作の年、厳しい条件の中で、実をつけることができた。「そういったぶどうからできたワインは、これまた一興で美味しいのですよ。」

あの時には、さして特別な機会とは感じていなかった。定期的に設けられている勉強会。その気になれば、いつでもいけるサと。しかし、2ヶ月後に訪れた機会には友人の都合が悪く、そうして私を取り巻く環境にも軋みが生じ始め、とうとう酒を止める羽目に陥ってしまった。人生何が起こるかわからない。だからこそ振り返った時に、あの一瞬のつながりが、きらめきを増すのだろうな。正に一期一会。

覚悟をしていたものの、それぞれが新たな地で家庭以外の居場所を見つけるのは、容易くなかった。どうにか歯車が回り出した・・・と思えば、まさかの停滞。夫が、ようやく見つけた職場への不安を口にし始めたのは、11月も終わりの頃だった。忙し過ぎる現場、限られた人員、下請けとして割り振られた仕事を凌いでいくだけで精一杯。「あの職場には、人の面倒を見ている余裕なんてない。」

中高年で違う業種からの転職。とは言え、まったく門外漢な訳ではなかった。作業にまつわる、ちょっとした知識や技術は、持ち合わせていたのである。だのにそれが機能しない。日常生活において私に比べればうんと器用な人が、苦戦していた。趣味の一環で手掛けるのと、生業にするのとは違う。くるくると変わる現場での状況判断や的確な対応も必要なのだ。実際に業界へ身を置いて、わかる部分があった。

「実績はチャレンジして作っていくものよ。」「結果なんて早々に出せるもんじゃないでしょう?」継続していくことからすべてが始まると考える私は、就寝前の会話や携帯電話での遣り取りを通じて、幾度となくそんな言葉を繰り返した。どこの職場であろうが、大なり小なり言い分は出てくる。労働環境、人間関係、賃金・・・何の悩みもない恵まれた人は、稀であるはずだ。しかし、こちらの説く道理が通用しない領域が存在するのも、事実なのだった。

社長自ら現場で作業に取り組む状況の中、夫は短期間で成果を出すよう求められていた。それが叶わぬとなれば、言葉の暴力を浴びせられる。体育会系であるとか、地域特有の荒くれた方言であるとか、そんな言い訳では拭い去れない感情が、夫の心の奥底に、うっすらと積もっていった。

人としての尊厳を保てぬ関係において、喪失していく自信。そういった推移は、私にもいくらか想像できた。姿形は違えど似たような経験をしている。’限られた人間の価値観に己を見失わない方がいい’ と考えるに至ったのは、欠点より長所を見出してくれる人々と、つながれたからだ。

見習い期間に一定収入をいただけたのはありがたかったが、家計の為・家族の為という名目で、双方の意にそぐわない関係を続けさせるのには、限度があった。人の為の我慢は、いつか嫌な形で爆発する。

会社、夫、妻。各々の立場が、これといった決断をくださぬまま数週間が過ぎた。いやその実、徐々にある方向へ向かって、事態は動き出していた。当事者の間で、気持ちはほぼ固まっているのである。ただし最終的な決断は、双方口にしなかった。もしかして私の了承待ちスカ!?そうして大人たちの膠着状態が続く中、娘の心にも木枯らしが吹き始めていた・・・


ミューズの晩餐 My essay,My life -激突-

2011年09月13日 09時40分00秒 | My essay,My life
去年から心に溜めていたこと、ようやく吐き出しまして、肩の荷が少し降りた気分です。(*^_^*)関西へ戻ってきて何が嬉しいって、心置きなくたかじんさんの番組が堪能できる!もう、’じんちゃん胸いっぱい’よ。いっぱいになった所で、ほしのあきのバストには負けるけどね。やかましいわ。

さて、こうして始まった実家暮らし。まずは、ネット環境を整備するにあたり、PCを新しくしました。リビングの一角を解放し、穏やかな日差しを感じつつ、創作活動♪のはずが・・・ 時折聞こえてくるの。ハーメルンの笛の音が。あ、ご近所さんが奏でるアメイジング・グレイスやった。いささか心もとないんですが、それもご愛嬌と、気を取り直しPCへ向かおうとすると…笛の音に混じり、薄ら寒い呪文のごときものが。私、そっと耳をすましました。どうやら発信源は、我が家のキッチンのようで。

「・・・・・アホ!アホ!アホ!アホ!」奇妙な掛け声と共に、ダークな感情が徒党を組んで行進してくるーっ。こういう時はね、右から左へ聞き流す。気にしない。気にしないー。気にしない~♪ 一休さんの心持ちで、再び創作の世界へ入ろうとすると、今度は掛け声が変わった。「・・・・・キライ!キライ!キライ!キライ!」もぉ~ 集中できやしねぇ。

娘と同居言うても、嫁ぎ先で築き上げたモノを引っさげて帰ってきた訳ですから。気に食わんことも多い。食事、お風呂、掃除、洗濯。暮らし全般に渡り、互いの文化が火花を散らします。とりわけ食事は、母特有の美意識が働き、周囲との軋轢が生まれ易い。

お値打ちの食材を使って調理したものは、ハナから印象が悪いらしく、舌平目のムニエルは、口へ入れる前から「こんなクサい魚!」とケチをつけられ、ハタハタの煮付けも 、激烈な辛口コメントと共に切り捨てられ・・・たまりかねた息子が「庶民ナメんじゃねぇぞ」とつぶやく。自分の範疇にないモノ・理解し辛いモノへの態度が極端なのだ。80近い人間に異文化を受け入れろとは言わないが、それを前向きに捉えている状況に水を差さないでほしい。

調味料には、とりわけうるさい。○○ならこのメーカーという枠組みが、きっちりと構築されており、その他の商品に付け入る隙はない。愛知が誇る’味噌料理’は、散々な目に合った。何故だか並々ならぬ対抗心を燃やしていて、その文化を排斥しようとするのだ。「関西風の上品な味付けが一番」とのたまい、「伍代夏子も、そう言っていた」と付け加えるが、’それは、コンサートへやって来た人へのリップサービスだろ~’と、家族は内心鼻白んでいる。アサリの味噌汁、たまには赤だしで飲みたいがね。夫や子どもは愛知出身だもんで。

世界各地で勃発している紛争は、こうして起こるのか、と一家庭の出来事ながら納得する。自分の尺度で相手を測り、その領域に立ち入り、勝手気ままに振る舞う。そういったことが、混乱や小競り合いへ発展していく。

ある日、裏のゴミ置き場に、私の部屋の戸棚にあった写真立てが無造作に捨ててあったのには驚いた。お気に入りの俳優のプロマイドを入れ、ウン十年に渡って飾り続けていたのだが、本人の了承もとらぬままポイッ! 今更目くじら立てて怒るほどの情熱も持ち合わせておらず、’ああ~’とため息をつくに留まったが、せめて一声かけてくれればよかった。置いてあったモノが失くなり、まず疑いをかけられるのは母だ。己の裁量で人の事柄を推し進めるから。

しかしこれが自分の領分となると、思い切りが悪くなる。嫁入りで携えて来たままタンスの肥やしと化している布団類は、「ええ生地を使ったものなんや」と譲らない。実家が持たせてくれたものには、さぞや特別な想いがあるのだろう。が、使う機会のないまま、今の時代にそぐわなくなってしまっているのを見ると、’もったいなーい。若く体力のあるうち、自分たちの為に利用すればよかったのに’と感じる。

ふわりと軽い布団が横行している現代、真綿の布団はずしりと重く、出し入れも大変なのだ。着物も食器も先に同じで「いつか誰かが」「お客さまがいらした時まで」と、しまい込む。でも日頃使わないものが家の中の空間を締めているのは、ストレスなんだよね・・・

「その空間にも、お金を払い続けているのよ(固定資産税)」こんな視点を教えてくれたのは、私が関西へ戻ったのを知り、久しぶりに連絡をくれた友人だった。そこで生活する人間にとって快適な空間を作り出す為、-入ってくるモノを断ち、要らないモノを捨て、モノへの執着から離れる- ’断捨離’というワードが、このところ雑誌の見出しを飾っていると言う。

降って湧いた’おもいッきり生電話’に、待ってました!とばかり窮状を訴えた。母の身を案じ同居へ踏み切ったのに、「その言い草はないんじゃない?」と感じることしきり。基本姿勢は滅私奉公で、何かをしてあげることに喜びを見出そうとするのだが、そのベクトルがズレており、イマイチ周囲に感謝されない。プライドの高いお姫様なので困るetc・・・

「そうは言っても、お母さんのやりたいという気持ちも汲んであげなきゃ。」「元気でいてくれるのは、ありがたいことよ。」「異文化の衝突。うんうん。それもあるだろうけど、お母さんのお家なんだからサ。」「何度も同じ話をするのは、うちだってそうよ。私は黙って聞いてあげてるよ。」みのもんたのごとく、イタい所を突かれてしまった。(^_^;) それはまるで奔放な妹を諭すお姉ちゃんのようでもあり、「ははーっ。」深く頭を垂れ聞き入った次第です。はい。

父の遺品整理の話にもなった。大量の本と、ビデオテープ、音楽関係のモノ。明らかに趣味じゃないのは処分したが、その前に資料として内容を確認したいのもあり、3年がかりでコツコツやっていこうと決めた。気取った内容ならカッコつけられるんだけどね、カセットテープに入っていたのがラジオの贔屓番組(笑福亭松喬の歌謡大全集)から録音した、お色気川柳のコーナーだったりするんだよ。

「お色気川柳、遺されても困るよね!」と別の友人にはツッコまれたが、私は気に入って聴いていた。 いつしか娘にインプットされていまして(笑)。ある時、夫と皇室の話題で語り合っていると「美智子さん?レッツ都々逸 (どどいつ)の?」と、横合いから素っ頓狂な反応が入ってビックリ。娘にとって美智子と言えば、松喬さんの相方’鈴木美智子’なのである。まったくパーソナリティ冥利に尽きるね。しかし、インプットされたのが川柳の内容じゃなくてよかったよ。

余談ですが、ビデオテープからは『ボキャブラ天国』が発掘されました。若手芸人がネタを競うコーナーに、吹越満が出ていて(ワハハ本舗)と注釈が入っていた。ワハハ出身なのは知っていたけれど、まさか『ボキャ天』に出ていたとは。これが、キモいし、暗いし、ネタおもろないねん。それから『探偵ナイトスクープ』には生瀬勝久が。リーグ優勝で歓喜した阪神ファンに、道頓堀へ投げ込まれたカーネルサンダース。その行方を、ヘドロにまみれて追っていました。吹越さんも、生瀬さんも、今では立派な役者さん。何だか感慨深いわねー

本は、映像や音楽のようにサクっと進まない。自分のモノでさえ、ともすれば’積読(つんどく)’状態へ陥りがち。それを何とかしようと、断捨離を始めたのだが・・・「本は安易に捨てちゃダメ。中からへそくりが出てくるかもよ。ムフフ。」「あ~それ、あり得る~」「それに今は身の丈合わなくても、いつかお父さんの本から教えられることがあるかもしれない。とっておきなされ。」「うん。そうだね。」快適な空間を作り出す。その道のりは長い。

取り立てて波風のない時期に動いて、あらゆる環境が落ち着きを見せてきたのが約半年後。それから日々の生活ペースに慣れるのに、さらに1年を要しました。何事も一気には解決しない。一つ一つの案件を、地道に片付けていくだけ。それでも・・・「世界は日々変化している。毎日時間が来ると夜が明ける。でもそこにあるのは、昨日と同じ世界ではない。」 (BY 村上春樹『海辺のカフカ』)

最近母は、嫁入り布団をベッドパッドに作り変え、日常で使い始めました。そうして着物も、随分手放しました。自分の中で思い切るキッカケや時間の猶予が、必要だったのだと思います。日々の生活で笑ったり怒ったり、ドッカンドッカンぶつかり合って、疲れたりもするけれど娘曰く「お母さんとおばあちゃんは、どんなにケンカしても、すぐ仲直りしているねぇ」それが親娘、されど親娘なのでしょうか。ちなみに夫は、母と衝突すると「なにがあったん?」ニヤつきながら聞いてきます。余程人の諍いが面白いらしい。 (−_−#)