JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

ミューズの晩餐 My essay,My life -旅-

2011年08月24日 10時59分00秒 | My essay,My life
気がつけば、夏休みも残り僅か。月日の経つのは早いなぁ。せわしない日常を送っていたじんちゃんですが、心配したお仲間さんから「代わりに一筆書きましょうか?」なんて申し出もありまして。戻ってきた次第です。まずは旬のお話から。

先日、能登へ行って参りました…

夜明け間近 北の海は波も荒く

心細い旅の女 泣かせるよう~♪

若き日の石川さゆりに、そう歌われた能登半島ですよ。しかし四十半ばにもなると、あなた訪ねて行く旅どころか、あなた忘れて逝く旅になるね(←アルツかい!)。元気なのは、むしろ八十近い母の方で、一度でいいから泊まってみたいと、情念込めて高級旅館へぐーっと手を伸ばした。

加賀屋、加賀屋たずねて~ 行くー たーびは~

夏から秋への 能登半島♪

どうにか足腰動かせて美味しく料理をいただけるうちが花ですから。そうして、自分のお金は自分の為に使わんとね。その上、周囲も笑顔になれば、言うことナシだ。久しぶりの大型家族旅行。数年前までは伊豆半島を訪れていたのですが、通算8回ですか存分に堪能しまして、ちょいと趣向を変えてみたくなった。

で、今回は能登半島。別に半島好きな訳ではないのよ。大阪から’サンダーバード’に乗って約4時間。京都、滋賀、福井を経由しながら石川県に入る、特急列車の旅。大幅改装で、天空の城のごとき空間が出現した大阪駅構内に、ひゃあ~と感嘆の声を上げつつ、一同お目当ての列車へ乗り込んだ。

サンダーバード♪湯の香ただようまーち和倉へ

行け!風を巻いて~

サンダーバード♪かぞくーのしあわせーのためーに

行け!海に陸に~

こーのー キ・ズ・ナを~ 乱すもーのはだーれか(←私かよ)

よーんでいる あ・の・こえーは SOSだ~(←息子かよ)

すんません。ふざけ過ぎました。🙇‍♀️

この旅は、慌ただしい日常に浮かび上がった、つかの間の休日を利用し、実現したものでした。子どもが中学になるとねぇ・・・夏休みと言えど、毎日が部活三昧で予定が合わんのです。土曜や日曜でさえ大会等で容赦なく日程が押さえられていく。夫は夫で忙しく、母もまた、心情的に動き辛い状況を抱えていました。

そんな各々の縛りから放たれる瞬間が訪れたのを、じんちゃんは見逃さなかったね。キラリ、その瞳が怪しく輝き出す…「やるしかねぇ」組紐屋の竜か~い!手早くクルクルとふん縛り、和倉へ連行です。心なしか、皆楽しそうに微笑んでるよ。Mやなー

ここへ至るまでが大変やった。何がって、ワガママなお姫さまをですね、サンダーバードという鋼の籠に乗せるのに一苦労なの。小5の娘ちゃいますよ。80近いお姫さま!うちの家族は、この若干浮世離れしたお姫さまを頂点に、成り立っているのでございます。顔は菅井きんのな(←こら)。

’えーっ!?’と驚かれるお仲間さんもおられると思いますので、この場をお借り致しまして、ご報告を。’な~んや、じんちゃんも菅井きんに似てるんかぃ。’じゃなくてぇー!私、愛知での生活に区切りをつけ、兵庫の片田舎へ戻って参りました。長男である夫を連れてネ。

「じんちゃんは辛さや大変さをあまり表に出さないから心配してたんだ。でも無事で良かった~!」

ある時いただいた、お仲間さんの言葉どおり、その時々抱えていた感情がありました。まずは、愛知を離れる時。気づけば、13年間培ってきた縁に、がんじがらめの状況。手放すのも、簡単にはいかなかった。夫の親族には、泣いて訴えた。戦略じゃなくね。

「あらゆる可能性を探り、行き着いた答えなのか?」目に見えて、ひっ迫した状況じゃなければ、’何で?’と感じるのが人情だ。今なら理解できる。でも渦中にいる時、そうした相手の心情と向き合うのは、しんどかった・・・。当事者にしかわからない実情がありますから。それを説明して、多少なりとも受け留めてもらうには、労力を伴うのです。ふぅ~

息子の中学進学を機に、生活基盤を関西の実家へ移す選択をしたのですが、周囲には理解し辛い決断だったようで、そりゃ~いろいろ言われました。しかし私も夫も、それが最善の道だと信じて進んだ。切羽詰まってからでは遅いのです。母のことにしても、それに影響される子どもたちのことにしても。

父が亡くなってからというもの、愛知と兵庫を行ったり来たりの二重生活で、そうした日常に、ホトホト疲れていました。地元での役員活動、ちょっとした仕事・・・本人は勿論、支える家族だって、胸中様々な想いが渦巻いていた。そんな中「関西へ移ろう」と口火を切ったのは、夫でした。

という訳で、菅井きんの元に、ムコ殿がやってきたと♪が、ようできた話やな~なんて、しみじみしていられないのが、世の常でございます。どこで生きようとも、それぞれの場で、闘いがあるのではないでしょうか。たとえそれが、実家であろうとね。


ミューズの晩餐 My essay,My life -転機-

2011年06月26日 00時40分51秒 | My essay,My life
「世界は日々変化している。毎日時間が来ると夜が明ける。でもそこにあるのは、昨日と同じ世界ではない。」 (BY 村上春樹 『海辺のカフカ』)

この言葉を胸に、自分にとって旬の話をしようと思います。とにかく書いてみる。そのうち動き出すモノがあるだろう。

エッセイの更新が停滞しております。創作のタイミングも難しいのですよ。暇はあるのにネタがない。ネタはあるのに時間がない。恋と一緒で、入れ込んでいる時には、どんな隙間をも見つけ出すのでしょうけど。

お仲間さんとの交流から刺激を受け、それなりのペースで書き綴っていた数年前。あれは、かなり異常な状況下やったんです。’自分の生活’ という観点で、振り返ってみるとね。妻の心、母の心、ここにあらず。そんな有様が続いていました。

やがて迎えた父の死。そういった渦中に、引き受けた役員活動。口実を設けて逃げることはできたけれど 、’当たったもんは、しょうがない。これも何かの導きやろ’  なんて解釈してね。結果的には、こうした活動を通じて自分を取り戻していったので、良い巡り合わせだったのかもしれません。

蓋を開けてみれば…「あなた、実家の用事で忙しい時でしょう。」役員仲間が予想以上に動いてくれ、「ちと待ってくれ~~~。」いやはや頼もし過ぎる。置いてけぼりになるかと思った。適度に甘えるのが、人間関係で潤滑油の機能を果たすのを、身を持って知りました。周囲の人たちも、頼られることで自らの役割を認識したり・・・お互い支え合って、成り立っているモノなんですね。

ネットのお仲間さんには、こんな言葉をかけてもらっていました。「甘え下手なんて勿体無い。それは女性の特権の7割方損をしているよ。」「異性には頼る。同性には甘える。自分は、この方法で上手くやってきた気がします。」現実世界において、自らを追い込まずにおく一つの方向性を、示してくれたようでした。

行き場のない感情を、細やかな心遣いで掬い取る。そういった関係から離れる結果となっていましたが、当時の私には、それでよかったのでしょう。生きていれば嫌なこと、しんどいこと、勿論出て来るけれど、そんな部分で繋がっていたくない。やがては、その通過点を超え、歩き出さなくてはなりません。失った自信は、リアルで回復するしかないのですから。

こうして仲間や家族の助けを借りつつ、日々粛々と、為すべきことを為すうち、ある転機がやってきたんです。私を取り巻く環境は一変し、さらにそこから、様々な出来事が生じました。結局は、好きなことから世界が広がっていくんですねぇ。ドラマ・音楽・本・そしてエッセイ。さて、どんな体験をしたのか、ご紹介しましょう。


江頭美智留 フォーラム (((o(*゚▽゚*)o)))WAKUWAKU

『ごくせん』『1リットルの涙』の脚本家が、母校の学祭へやってきた!ドラマ好きと言えど、自分なりの支持傾向や、拘りがあるのでね、江頭さんじゃなければ、会場へ足を運んでいたかどうか・・・。その位、’お話を聞いてみたい’ と、心から思える人でした。

脚本家になるきっかけ、代表作にまつわるエピソード、制作環境の今昔etc。一つ一つの話に、耳を傾けました。関心をもって、眺め続けてきた世界。そこへ身を置いておられる方の、生の声です。自分自身、創作活動について、あれこれ考えていた時期でもあり (『恋愛戯曲』という映画を観たりしてね)、尚のこと心に触れたのかな。

「その時の自分にできたのが、書くことだった。」好きな分野に、時間の許す限り没頭できれば、誰しも幸せでしょう。が、これがなかなか難しい。生活していると、何らかのしがらみを、抱えてしまうものです。しかし、そのしがらみこそが、創作の糧になる。家族の介護で、外で働ける状況になかった江頭さんは、偶然目にしたシナリオコンクールに応募するべく、執筆を開始します。学生時代の演劇経験が、彼女の背中を押したのでした。

運の開ける萌芽は、どこに潜んでいるかわからない。最初から脚本家を目指していたら・・・家庭に縛られる状況じゃなければ・・・同じ道を歩んだのでしょうか?万全の態勢で臨めなくとも、勝負はできる。決してクサることなく、いつでもチャンスを捉えられるよう、自分の中のアンテナを立てておく。そういう姿勢が大切なのではないか、と感じました。

代表作や制作環境のお話も魅力的だったのですが、思い入れのある作品というのが、興味深かった。『Pure Soul~君が僕を忘れても~』と『凍りつく夏』。じんちゃんはねー『凍りつく夏』が、大好きでした!!’おお~あのドラマも、あなたでしたか’ って、ちょっとした感動に包まれましたね。ちなみに、『Pure Soul~君が僕を忘れても~』は、後に韓国で映画化され、話題になった作品。『私の頭の中の消しゴム』。このタイトルなら、聞き覚えのある方も、いらっしゃるのでは?

フォーラムなんて言うと、堅苦しい討論会のようですが、イケメン兄さん (当日の進行役) のライブで幕を開け、若者にも親しみ易い形式となっていました。現役の学生たちと、教室で肩を並べてお話を聞くのは、楽しい体験だったな。ちなみに、この後講堂では桐谷健太のトークショーが。 ひっそりと、『ごくせん』VS『ROOKIES』対決になっていたのね(笑)。


南 佳孝 レストランLIVE・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・ 】

数年前に、『捨てる! 技術』なんて本が流行りました。そういった流れを組むのでしょうか。去年あたりから、断捨離というワードが話題に上っております。女性週刊誌ではナント!その秘伝が、袋とじにまでなっているんですよ。悩まし過ぎる。

今の自分に必要なモノ ・ そうでないモノを見直す機会。私はそんな風に捉えています。随分たくさん溜め込んできたもんなぁ。気づけば、新たなものを収めるスペースが、なくなっていました。これは勿体無い。活かせるはずの空間を、ふさいでいるなんて。という訳で、まずは身辺の整理から。

手紙類に始まり、レコード・カセットテープといった音楽関係、写真にも手をつけました。本当はね、あれこれ思い出さず、処分品は袋の中へ、さっさか放り込んでいくのがいいらしい。でも、それはできなくて。時間はかかれど、吟味しながら手放すことに。やっぱり、納得のいく形で送りたいのよ。最後の対面を済ませてね。

身の丈合わなくなった品に、区切りをつける一方で、改めて魅力を確認したモノも。リビングでは、数十年ぶりにレコードの音色が響き渡りました。テープ、CD・・・その後も、音楽媒体はさらなる進化を続けていますが、この年齢になると、必ずしも最新鋭がいいとは思わなくなった。それよりは、上質の音楽をじっくり味わいたい。レコードの深みのあるサウンド、まことに心地よしヨ。

そうして、断捨離作業にいそしむうち、予期せぬ風が。しばらくぶりにそのアルバムを聴き直していた南佳孝さんのLIVEが、近日中に行われるのを知ったのです。私にとって、馴染みのある街でー

開港に伴って造られた外国人の為のエリアには、異国情緒漂うレトロな建物が並ぶ。駅周辺の喧騒から離れるに従い、オトナの佇まいといった風情をまといゆく街並み。高級ブティックが軒を連ねる通りには、レストランやカフェもちらほら。そんなうちの一つ、元英国銀行を改装して作ったレストランが、LIVEの舞台である。重厚な石造りのビルには飾り気がなく、そこに店舗があるのもわからぬ位だが、趣ある回転扉から中へ入ると、素敵な空間が広がっていた・・・。

スキッと高い吹き抜けの天井・大理石の壁は、適度に時代を帯び、品良く収まっている。「うわぁ~こんな所で食事ができるの!?歌や演奏が聴けるの!?」LIVE開始まで約2時間。食事をとりながら、まったりと過ごす。コンサートホールやライブハウスとは、いささか異なる趣向だが、落ち着いた年齢層に、ふさわしい展開だ。

座席はテーブル席、若しくはカウンター席を、自由に選択。じんちゃんは、ステージ中央の真ん前の席をゲットしたよ♪ぐるり周囲を見回すと、往年のファンもいれば、比較的若い世代で、ギターから入ったのだろうか・・・佳孝さんの演奏に熱心に耳を傾けるファンもいて、嬉しくなってしまった。

LIVEで人気のある曲を中心に構成されていて、最近の動向を知らなくとも、ついていける内容。『スローなブギにしてくれ』と『モンロー・ウォーク』しかわからん言うてた夫が、それなりに楽しんでましたから。’佳孝節’ は健在でした!歌い出すと、醸し出される色気も。かつて夢中になったミュージシャン、大きなホールでLIVEを続ける人たちもいるけれど、佳孝さんのスタイル、それはそれで年齢が上がったファンに優しい。

美味しい食事やお酒を楽しみながら、好きな音楽が聴けるなんて、極上の癒し空間♪帰りには、ご本人と言葉を交わしてしまった。相手はもうええ歳したオッチャンやったりするのですが、幸福な瞬間だったナ。そりゃもう、繰り返し聴いていましたもの。お酒の名前、懐かしの名画、男と女の情景、彼の歌を通して学んでいったことは数知れず・・・そんな相手と、言葉や想いを伝え合えるって感無量だわ。

ちなみに、このレストランLIVE。縁あって成立した、特別企画だそうで。そんな場に立ち会えて、本当にラッキーだったと感じています。人生、何がキッカケになるかわからない。 発端は ’断捨離’ ですから。さて、残ったモノはいい形で蘇ったし、今度は作った空間に、どんなモノを入れていこう。


ミューズの晩餐 My essay,My life -断捨離-

2011年03月23日 09時07分00秒 | My essay,My life
ん~っと、ご無沙汰です。プライベートでいろいろありまして、エッセイを手掛けられる状況になるまで、時間がかかってしまった。が、その分リアルで活動していると、受け止めていただければ幸いかな。

更新が滞っている間、かつてない大地震が日本列島を襲い、広い範囲で爪痕を残しました。被害のあった東北から関東は、歴代のお仲間さんがいらした所でもあり、どうしておられるだろうかと案じております。そういった中で私ができることを、考えてみたのですが…誰かの為に何かをするより、己の領分を全うした方がよいのではないかしらん、そんな風に感じまして。このご時世に!と、お叱りを受けるアホぶりを披露したりもしますが、ご容赦くださいませね。

まずは、ひじょーに個人的な報告から。私ね、お酒をやめました。宴席で失態をやらかし、周囲に迷惑をかけ、さすがに今まで通りの生活を続ける訳にはいかないと悟った。齢43にして、急性アルコール中毒で病院へ搬送て。その夜、妻は母は、家へ帰ることができませんでした。’お母さん、どうなっちゃうの?’娘は、不安な面持ちで泣きながら寝入り、夫は、その行状にあきれ果て(去年から、ちょこちょこさらしていたからね。ぶざまな姿を。)、しかしながら、じんちゃんが最も慮ったのは、息子の心境やった。

翌日帰宅した折、彼は絵筆を洗っていました。休日を使って、インフルエンザで登校停止となった間の、美術の課題に取り組んでいたのです。「ただいま」背中から声をかけると、抑揚のない声で「おかえり」。うつむいたまま、黙々と絵筆やパレットを洗い続けています。

「ごめんね。心配をかけちゃった。」少し置いて、「何があったの?」振り向くことなく、彼は静かに、そう尋ねました。「母さん、映画を観に行くって言ってたよね」「それは本当」「じゃあ、なんで酒飲んでるの」「うーん」たどたどしい答弁の始まり・・・夫からの事情聴収を受けていた為、ある程度の流れは予測がつくものの、息子相手はキツいべな。一通り説明を聞き終えると、「ふーん」やはり抑揚のない声を放ち、子ども部屋へ戻っていきました。

母の生還を素直に喜んだ娘、言いたいことをはっきり口にした夫。その感情を表現できる人は、まだしも幸せではないか。こちらも、相手の心の状態が見えるので、幾分ホッとする部分があります。しかし息子は、いろんな感情を抱え頑張るタイプでした。

勉強にせよ、部活にせよ、とにかく手を抜かない。「あなたの心や体が悲鳴をあげていても、周囲は簡単にわからない。限界がくる前に、SOSを出しなさい。」朝練に休日返上の部活漬けの日々。ぶっ倒れるまで打ち込んで、そんな忠告をした経験があります。モーレツ社員養成所かい!その生活ペースに体が慣れる以前は、学校の在り方に怒りを感じたことも。

そんな息子ですからね、私なりに気を遣っていたのよ。クソッせっかく横溝正史を介して、打ち解けつつあったのに。体調が概ね回復してから、学校へ行けるようになるまで、数日ばかり猶予があり、暇を持て余した息子は、よくリビングへやってきました。いつまでも隔離は辛いと言います。「まるで監禁だ!『デスノート後編』じゃないんだから。」「それだけ動き回ってりゃ軟禁だよ。スーチー女史だね。」

で、退屈しのぎに金田一耕助シリーズを見ていたんです。じんちゃんオススメの保存版。ドラマ『悪魔が来たりて笛を吹く(1977年版)』と、映画『病院坂の首縊りの家』を。泣けたな~。設定も、犯人も、仕掛けも分かっているのに、まったく色褪せない。

かつては、やはり推理モノらしく、華麗なトリックや映像美に惹かれたものですが、この年になると、女をどう描くかが気になりまして。草笛光子さんや、佐久間良子さんの芝居には、心打たれましたね。息子と二人、それぞれの展開にツッコんだり、しんみりしたりしながら、気持ちがほぐれていくのでした。’悪魔だの、首縊りだの、随分おどろおどろしいコミュニケーションね’。ほっとけ!

「映画館へ行く」と言いながら、病院へ運び込まれていた母。一体どこで、酒を飲んだのか。ミステリーマニアの息子としては、母が描く点と線に、想像をめぐらせたことでしょう。しかし真実は、思いも寄らぬ所にある。私には悪友がいました。酒という縁でつながってきた・・・その悪友が体調を崩し、年明けから入院していたんです。胃潰瘍による吐血の末の入院でした。

「年賀状を出せなかった。ごめんね。」そんなメールを経て、相手の現状を知ったのは、手術が終わり一息ついた数日後。病院へ見舞うことも考えましたが、未だ体力が回復しないうちに顔を出すのもどうだろうと思い留まった。「元気になったら、美味しいもん食べて楽しく過ごそうな。」それまで酒は止めや。よくしたもので、そんな時飲みたいという心情にはならないのねぇ。

しばらくして、容態が安定した悪友は、退院の運びとなりました。本人曰く’気の遠くなるような休養期間’の後(入院から約1カ月)、職場へ復帰。幸いにも仕事の形態が変わり、連続出勤はなくなったようでした。「それでも長時間勤務はあるんや。ああ~肌に悪い。」美容と健康にうるさいのです。だったら、酒と煙草を控えればよいと思うのだけど。ぶはっ。

もう以前みたいに’頑張って’なんて声は、かけられなかった。そんなことをしなくとも、十分頑張っている人なんだ・・・メールを通して今更ながら知る、悪友の側面。隠れた努力家であるのは理解していましたが、ぽろりと垣間見える部分が面白く、よもやま話に花が咲いた。

「今夜は、三日月がキレイだよ。」「三日月。絢香か?(笑)」たわいのない遣り取りに、それぞれの想いを重ねる。『三日月』は、悪友がカラオケで熱唱したことのある曲だ。

君がいない夜だって

そう no more cry もう泣かないよ

がんばっているからねって 強くなるからねって

現在のアーチスト事情に明るくないはずの相手から、予期せぬ歌が飛び出してきて、驚いた覚えがある。大切な人との思い出の曲なのかしら。その頃から抱いていた疑問を、軽くぶつけてみた。「かつての恋を、振り返っていたりしてな。」「ちゃうわい!」「あはは」がんばっているからね、強くなるからね…絢香の歌に心根を寄せて、誰かに伝えようとしている、そう感じられたのだが。「残念でした。」「私はね」「うん」「aikoの『三国駅』っていう歌がすき。」

変わらない街並み あそこのボーリング場

焦っていたのは自分で

煮詰まってみたり 怖がってみたり

繋いだ手を離したくない

「ふーん。よう知らんけど。」「機会があったら聴いてみて。」「うん。tsutayaで探してみよう。」「あっ・・・こんな時間だ。ごめんね。すっかり付き合わせてしまった。」「いや・・・今、この想いを伝えたい人に送る、それがメールだからね。」「ありがとう。」「こちらこそ、入院中励ましてくれてありがとう。」

励まし続けてくれたのは、悪友の方だ。昔からそうだった。どうやら私が気にかかるらしく、少し離れた所で見守ってくれていた。頼りないヤツですんまへんなぁ。数々の所業も握られている。’アーカイブみたいなもんや’と笑うが、’うへぇ そないに記録保存されてる事柄があるんかいな’と、こちらは時に冷や汗ものだ。

道徳という名のフェンスを超え、夜の街を彷徨い、そんな悪友だから持ち得る優しさに、何度か救われた。それと背中合わせの厳しさにも。’人間は完全な生き物やない。’と、非難がましいことは口にしないが、ふと漏らす言葉に、背筋が伸びる瞬間がある。

あの日、家への帰り道。しょぼくれた心持ちでメールを打った。「お酒やめようかなって思ってる。」もう若気の至りとは言えない。そうして、武勇伝と笑い飛ばす境地にもなれなかった・・・




ミューズの晩餐 My essay,My life -ドラマ-

2011年01月15日 01時13分00秒 | My essay,My life
新年明けまして、初エッセイでございます♪みなさまは、どんな年末年始を過ごされましたでしょうか。うちは、子どもたちを中心にドラマ『相棒』漬けでねぇ。(^^ゞ 参るわ。’Season7’の時点で、しつこいっちゅーねん!いうツッコミを入れていたのに。あれから、はや2年。他所の子の成長は早いなぁ~『相棒』は他所の子かい!!

必殺シリーズもそうだが、テレ朝のドラマは、今を意識しながら継続させるのが上手い。古臭くならないのね。おっちゃんのハートをぎゅっと掴みつつ、若い世代も取り入れていく・・・ 捕らわれの娘よ(小4)、気の毒に。まぁ幼稚園時代から、『はぐれ刑事』にハマっていた子やからねぇ。

テレ朝のドラマと言えば、久しぶりに復活した『味いちもんめ』がよかった。しかし、奇しくも同じ時間帯に並んでいたのですよ。映画『容疑者Xの献身』と。前者は、SMAP中居くんの代表作として、イチオシのドラマ(スペシャル版)。後者は、エッセイで取り上げ応援していたドラマ(『ガリレオ』)の映画化作品。うーむ。しばし、宙を睨み迷ったのだけどね、何度目かの『容疑者X・・・』を切り捨てた。だって見届けたいじゃない。代表作の看板を進呈している以上は(←中居くんには余計なお世話だ)。

参入したのは番組開始後30分。京都の料亭の主が亡くなり、その通夜ぶるまいに、東京から腕のある料理人(小林稔侍&中居くん)を呼び寄せるくだりだった。稔侍さん、かっこええわぁ~。そもそもの舞台、料亭藤村の花板さんなんだけどもね、正座して静かに女将と話をしているシーンでは、料理人としての人生が透けて見えてくる。只者やないね。ああ~抱きしめられたい。稔侍さんにじゃないわよ。あの花板さんに!!(役名:熊野信吉です)その位、ぐーっと物語世界へ惹き込まれていくのでした。

京都と東京、各々の料亭女将の持ち味も、楽しめたな。高畑淳子、野際陽子、樹木希林。熟年チームならではの、安定感のある仕事ぶり。モチ茶道界の重鎮を演じる橋爪功さんもネ。若手では、貫地谷しほりの活きの良さがオツで、胸をユサユサ揺らしながら、京の河原を走るシーンでは、思わず画面に目が釘付け。あと、若い板前メンバーの窪塚俊介くん。育ちの良さが香る控えめな、それでいて余韻を残す、存在感がありました。お兄ちゃん(洋介)は、その個性で突出してくるタイプだったけど、また違った方向性で輝いていたヨ。

辰巳琢郎、今井雅之、内藤剛志・・・ かつてのシリーズを支えた板前が、顔をそろえる回想シーンでは、こちらも胸が熱くなってしまった。中居くん、初々しいなぁ。『がんばりましょう』を、懸命に踊っていた頃かしらん。歌番組においても、旺盛なサービス精神で、精一杯表現していた彼を、気に入ってたんだよね。

ドラマが始まったのは1995年の1月。ちょうど阪神淡路大震災が起こった時期です。あれから16年。その間には、主演の中居くんの風情も様変わりしたし、こちらの意識も変わったし。復活と言えど、どうよ?なんて心配も、なきにしもあらずだったのですが、そんな憂いは見事に吹き飛んじゃった。

『砂の器』『白い影』『私は貝になりたい』役者としての格を上げたいが如く、大作に挑む度、ハラハラしながら眺めていたの。はっきり言って、似合わねぇ~と感じた。アイドル出身なればこそ?’ ここで箔をつけて’みたいな欲が出ている気がしてね。で、やたらそういう作品を、周囲も代表作にしたがるじゃない?

だけど、代表作とは器を言うのじゃない。中身が伴ってこそのモノだし、その素材をどこまで生かしたか、その旨味がどこまで認知されたかを考えると、『味いちもんめ』は中居正広の作品群の中で、もっと評価されてもいいのではないか。しかつめらしい文芸作品じゃないけどサ。なかなかよく描けているよ。人間ドラマとしてね。友人は、『ナニワ金融道』を推薦。それでええやん、と思うのです。

ストーリーは、船場吉兆の産地偽装事件をなぞる展開となった。板場を仕切っていた渡辺いっけいが、堕落した料理人となり、酒を飲むやらクダを巻くやらで、現場を荒らしまくる。まるで裏でやっている『容疑者Xの献身』での、万年助手のウサを晴らすように。出演者がカブると、こんな遊びもできます〜。

一方、料理に対する情熱を保ち続ける中居くんは、’どうせ東京から来たお人やろ’と、斜に構えていた周囲の人間を惹き込み、場を活気づけていく。上と下とに挟まれ、責任も求められる・・・そういうポジションで奮闘している姿を見て、感慨深かった。彼と同じように年を重ね、またもや、その立場に感情移入してしまった視聴者も多いのでは?

廃業間際まで追いやられながら、スポンサーに成り得る人物を料理対決でうならせ、巻き返しをはかるのだが、’無事お金を出してもらって店を存続できました♪チャンチャン’で終わらなかった所がシブい。それが現実だもの。とはいえ希望をもたせる結末でした。元気がでた。

中居くん、胸はって!『味いちもんめ』を代表作にしてネ。

ミューズの晩餐 My essay,My life -よどみ-

2010年12月17日 15時01分00秒 | My essay,My life
こだわっている時には手に入らないのに、「もういいや」ふわりと執着の魂が抜けると、思いがけず転がり込む…そんな出来事がある。ネットという空間に、想いを綴り始め3年と8カ月になるが、その原点になったドラマ評が書けなくなったのは、随分前のことだ。それは、私の心の状態が普通でなくなってしまったのと、関係している。

ストレス解消に、テレビのスイッチを入れる。ただそれだけのことができない。テレビなんか見なくたって生きていけるし、日常生活に何の支障もないが、昔っから番組にまつわる雑感を披露し、ひとり悦に入っていた身としては、その根幹を失ったような、ちょっとうら寂しい気分になる。

(こちらが構えている程、周囲は気にしちゃいないんだよな~)

その対象が本であれ、映画であれ、ドラマであれ、神経がくたびれている時には、受信するのもままならぬ。しかし、そういった有様をかいくぐり、時折心に届く作品がある。すっかり狭まったアンテナに、それでも触れる周波数。私、まだ感じることができる!?そうして汲み取ったモノに、想いを重ね、文字にしてみる。あれこれ模索しながら、文章に彩色を施しているうち、ゆっくりと心が満たされていく。

(ああ、私はやはり、こんな風に言葉を綴っていくのが好きなんだ)

何かを受信し、そこから世界を構築して発信するのは、エネルギーのいる作業だ。対象への興味、引き継ぐ気力、一つ一つのステップを踏み、その先の創作活動へ行き着く。私の場合、つくづく健康な肉体と安定した精神が、必要だなぁと思う。基礎体力なさ過ぎ!のクセに、余計な行動を取ったりしてね・・・挙句、感じるのが辛くなって、アンテナ縮小に至るとは、ナンノコッチャですよ。

限られた人間の価値観に、おじけづくことなどなかったのだ。そう考えられるようになるまで、出会いと別れを繰り返した。私が悪いのだろうか?同様の結果がもたらされると、やはりヘコむ。しかし、それでも人と係わるうち、’似たような行為をして、こんなに反応が違うの!?’ という出来事もでてきた。

Aさんが疎ましく感じた私の性質を、Bさんは気にしていない。Cさんとの間で成立し得なかったものが、Dさんとの間で成立する。同じ相手だって、あの時にしかできなかったこともあれば、あの時にはできなくて、今できることがある。そう考えれば、どんな形であろうと、何かが成立している間柄って嬉しいものだな、と思えてきた。だったら、それを大切にすればいい。

’過去のしがらみから解放されるには、新しいバスに乗ることだ’と、教えてくれたお仲間さんがいた。頭では理解できる。でも、感情がついていかなかった。移行していく時期は、仕方がない。サッと切り替えられる人間ばかりではないのだ。

ただひたすら、癒されたい時期があった。少し冷静になり、周囲を眺めてる時期もあった。両手で包むように抱えた小箱の中には、大切なガラス細工が入っていて、ガタゴト揺らされたら、壊れてしまうかもしれない。それよりは、ゆっくり、のんびり、歩いていくのがいいのかなぁ・・・と、行き過ぎるバスを見送ったりした。そんな時、ひょっこり一台の自転車が現れた。

状況は少しずつ好転している。人との触れ合いが、喪失した自信を、よみがえらせてくれた。捨てる神あれば、拾う神あり。そうして、戻ってくる神もあり。別れとは、哀しい結果に終わるばかりじゃない、と気付いた。

人生その時々で、自分にとって必要なモノは、変わっていく。かつての軋轢については、どちらが悪かったというより、心に余裕がない状況下で、お互いのニーズがすれ違っていった・・・。今は、そう解釈している。とにかく、焦らず、クサらず、落ち込まず。手にしているカードで、できることを考えてみよう。

さて、そんなじんちゃんの元に、思いもよらぬ知らせが。「人気脚本家、母校で講演会」 なぬっ!?それは動かねばなるまい…