JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

秘密

2012年03月01日 11時24分49秒 | 本と雑誌
ママ仲間から、東野圭吾の『秘密』を借りました。久しぶりに、心が震える小説でした。ラスト数十ページ、泣けて泣けて…そうして最後に…おっと、これは伏せておきましょう♪

夕食後、自室に引き揚げベッドにゴロンと横になって読んでいると、娘(小5)がやってきて隣に寝そべり、本を覗き込んで言うには、「お母さん、マスターベーションって何?」選りに選って、何でそこへ目がいくねんな。主人公がね、娘の小学校の若い女教師の写真を手にして、トイレへこもるシーンがあるのよ。めったに出てこない描写やねんけどな~

奇しくも息子(中2)のテスト期間中、階下のリビングで必死こいてドリルをやっているのを知っていたので、「お兄ちゃんに聞いてきてみ♪」と言うと「ええーっ!?やだぁ~」笑いながら階段を下りていった。どうやらアヤシイ話題であることは、感じているらしい。続きを読みながら結果を待っていると、クスクスしながら戻ってきて「やっぱり聞けなかったわ。」と、身をくねらせる。

「ま、しゃーないね。」「うん。」「マスターベーションっていうのはね…」「きゃ~!」「止めようか?」「ううん。聞きたい。」

翌日、この顛末を夕食の席で語ったら大ウケ。「ついでに、こんな質問も用意してたんやけどな。 ’お兄ちゃんは、やってる?’ って聞いてみ♪」すると、息子が意味ありげな目付きで答えて言うには、「それは、秘密です…」

妻と娘が帰省中バス事故に合い、娘だけが助かるのだが、その娘に死んだ妻の魂が宿る。妻は、以後の人生を、娘として生きていく…という内容。映画やドラマでは、そこから発生するドタバタが主になっていたのかな?(観てないんすよ~)原作は深いです。専業主婦として、家族の幸せを大切に生きてきた妻が、事故を機に変わろうとする訳よ。「家庭的な奥さんが好きだった」という夫と「そういう自分を否定はしないけど、やっぱり肩身が狭かった」という妻。

ちゃんと勉強したい。そうして自分の可能性を広げてみたい。小学5年生で事故に合った娘は、それからの人生を、精力的に切り開いていきます。中学受験(私立女子校)をし、従来の環境と違う所へ身を置いてみる。しかし、そこへ埋没してもいけないと考え(医学部のある大学を目指すのだ)、次は男女共学のハイレベルの高校へ。明けても暮れても勉強、勉強…のハズが、意義を求めて入部したテニス部で、男子学生に恋されて。もうサ、夫はたまらなくなってくるの。家族だけを見ていた妻が、どんどん新しい扉を開いていく状況に。

で、悶々と葛藤し続ける。ブザマよ~。嫉妬が嫉妬を生んで、最後はストーカーまがい。でも、わかる気がした。妻の体は死に、その魂が娘に宿ったことによって引き起こされる事態となっていますが、そうでなくてもあるでしょう。だから面白い。 人ごとじゃなくね。

バス事故から、被害者加害者の話へも発展するのですが、こちらも興味深かった。運転手は、自ら志願して仕事を増やし、加重労働になっていた。何故そうまでして、お金が必要だったのか?加害者の妻、連れ子、元妻、その子ども…事故の陰に、いろんな立場への想いが潜んでいます。

東野さんて、事件や事故のその後を、よく描いていますね。『さまよう刃』や『手紙』も、そうじゃなかったかな。もち『白夜行』も。そこで終わりではない。 生きている人がいる限り、物事はつながっていくのネ。



GET UP MY SOUL

2009年12月29日 11時14分00秒 | 本と雑誌
ん?『桜桃忌』ちゃうのん・・・ははーん。また例の中折れやな(笑)。 という反応なら良い方で-ああ、そんなん書いとったなぁ。もう内容忘れてしもたわ。ぐへっ。

沈黙を続けていると、こういう状況になりかねませんからね。続けてサマになるのは、スティーヴン・セガールくらいのもんで。いや、それだって限度があるでしょう(←こら)。という訳で? 年越し前に戻って参りました。(*^_^*)

今年はね、あまりエッセイを生み出せなかった。みなさんとの交流も、活発にはいかなかった。コラボやったり、お題を振ったり、個性的なメンバーが集う’じんちゃん野球部’ならではの企画を、考えていたのだけれど。かけ声のみで終わってしまって、ごめんなさい。

その代わり、リアルの世界で活動していました。実家のこと、地域のこと、いろんな出来事が降りかかってきた一年で、慌しかった~。兵庫の実家と愛知の自宅を、行ったり来たりする二重生活・・・移動の新幹線で、プシュ~ッとビール缶開けてな。膝の上には、売店で買った’週刊SPA!’。これ唯一の楽しみで。オヤジか。

生活に支障が出る程、父の具合が悪化したのが去年の末。「歩こうとしても、膝に力が入らんようになってな。入院や。」この言葉の後、寝室のある二階へ上がることは、もうありませんでした。昨日まで当たり前の状況が、ある日を境に存続できなくなる。父の姿を通して思い知った。欠けてみて、ようやく気付くありがたみですね。短期の入院に、ホッとしたのも束の間、最後の日に医師から告げられたのは、父の体がこれからたどるであろう道のりと、「桜の咲く頃まで・・・どうかな」という余命。残された日々に、何をしてあげられるだろう。どんな助けが必要だろう。考えて動いてみたものの、心のケアはというとねぇ。(-_-)この期に及んで優しくするのも何だかなーって感じで。父にしてみれば、物足りなかったかもしれません。

そんな中、地域の役員を引き受ける機会が訪れました。笑わないでね。じんちゃん、チビっ子たちと、活動しています。 地元行事が絡めば、親子共々多くの人に動いてもらわなくてはならず、準備段階から当日まで、気の休まる時がない。夏の日帰り旅行、秋の区民運動会。行事を一つ終えるごとに、反省することしきり。客観的に見てこうした方がいい、というのはわかっているのだけど、実践は難しい。ああ、やはり私は使われる側の人間だ。その方が向いている。骨身にしみた。トホ~

それでも、こうした活動から、元気をもらうことがありまして-幼稚園年中のチビちゃんがね、ウォーキングで5キロを完歩。 初挑戦で、にこやかに、歩き通しました。運動会では、最年少のリレー選手を務めてくれた。彼の頑張りは、その後を継いだ小学生、中学生、さらには大人へとつながり、例年下位を彷徨うチームが、上位でゴール。これは嬉しかった~。参加希望者の交渉&調整。出場メンバーが決まるまで、いろんなドラマがあるだけに、それが花開いた時には、喜びもひとしおです。じんちゃんも、競技に参加したよ♪はいつくばって、ネットをくぐり、はしごをくぐり、ダンボールをくぐり-’ぶはは。その人生と一緒やん’って、やかましいわ。 このテーマをBGMにしたいところ。大洋ホエールズ時代のパチョレックか!

https://www.youtube.com/watch?v=CjF8sjuPLxU

忙しさに紛れ、父が亡くなっても、その死を悼む余裕は、ありませんでした。母の生活を支えていく基盤づくり、相続手続き・・・ 現実的な業務を粛々とこなし続け、涙を流す時間も与えられない。人の死って、そこで終わりじゃないんですね。それでも世界は、回っていくから。ただ純粋に、父を想って泣きたい。そんな感情も、心のどこかに存在しています。きちんと父をおくれる日は、もう少し先かしら。

優しい気持ちになりたくて、読み聞かせを始めました。娘向けにと手にしたのは、『あしながおじさん』。いつしか私の方が惹き込まれてた。’身寄りのない少女が、ある資産家の目にとまり、大学進学の援助を受ける’という内容は、記憶にあったものの、改めて読むと深い。最終的に幸福を手にするので、一種のシンデレラストーリーと言えるでしょう。が、好意に甘えているだけではない。期待に添うべく努力もするし、受けた援助は返したい、世話になるばかりは嫌だよ! そんな気骨が、主人公のジュディーには、あるのです。そうして、あしながおじさんのあり方も、考えさせられるんだなぁ。

おっかなびっくり経験を重ね、世界を広げていくジュディーを、最初は余裕カマして眺めていたと思うんですよ。それが次第に -よちよち歩きの、かわいいひよこちゃんが、自らものを考え、行動に移すようになると-複雑な心境へ傾くのかな。過度の愛情で囲い込んだり、しつらえた枠組みの外へ羽ばたこうとする彼女を、けん制したり。’どうか私を甘やかさないで。自立させて。’ そんなジュディーの心情と衝突しながら、そこから何かを汲み取り、彼自身も、変わっていくのでしょうね。あしながおじさんのLOVE。それは、一人の少女の中にある才能を信じ込める力。彼女を不幸なお姫様にしておかない、彼の心意気は、好きだな。

「おじさん、わたし、幸福になるひけつを見つけたんです。それはね、今を生きること。すんだことにくよくよせず、さきのことを思いわずらわず、今このときをせいいっぱい生きることです」ジュディーの言葉を胸に、私も頑張ろう~♪彼女と同じく書くことが好きな、ナンチャッテ少女のじんちゃん。来年の目標は・・・あしながおじさんを見つける!!ステキなおじさまに出会えるよう、日々精進致します。かしこ。

https://www.youtube.com/watch?v=0DdgfCKUMyY


『桜桃忌』 外伝

2009年09月15日 13時53分00秒 | 本と雑誌
 その出来事については、以前武勇伝という形をとって、エッセイにしたことがある。当時付き合いのあったお仲間さんや、初めて心の傷をさらす友人たちに、少しでもショックを与えないよう、自分なりに配慮したつもりだった。 (そうした気遣いは、かなり裏目に出てしまったけれど)誰しも、人の痛みなんて、すき好んで目にしたくない。それは、わかってる。では、どのような理由で、表に出したのか。あの頃の私は、こんなことを伝えたかったのだと思う。’不幸なのは、あなただけじゃないよ’。それでも、核心に迫ることは憚られ、笑いの形態に逃げた。オリエンタルラジオのラップのリズムに乗せ、強盗に襲われながらも立ち向かっていく様子を再現した。「武勇伝 武勇伝 武勇 でん でん で でん Let's go!」

 エッセイ後半で触れたが、男性相手に武勇伝など、そうそう成立しないのが実情だ。取っ組み合いになり、首を絞められても、徹底抗戦したのは事実。だが、その一方で、泣き叫びながら懇願するぶざまな自分がいた。「お願いだからやめて!」 過去の記憶と共に、湧き上がってくる屈辱感。あの時 私は、男の力というものを、嫌というほど思い知った。男が本気を出したら絶対にかなわない。手加減してくれているのだ。いくら女が、口で偉そうなことを言えど、それが現実だろう。

 十分前後のもみ合いが、随分長い出来事に感じられた。「戦ってる場合じゃないよ。逃げなくちゃ!」 と言ってくれたお仲間さんがいたが、そんな選択肢はまったくなかった。男は薄闇の中で息をひそめ、帰宅して部屋に入ってくる私を、待ち受けていたのだ。ドアを開いた私は、横合いから飛び出した相手に口をふさがれ、いきなり押し倒された。恐怖より、何より、どうしてこういう事態になっているのか、という不可解さの方が強かった。’カギをかけ忘れたのだろうか。ベランダから侵入されたのだろうか。あなたは誰なの?何故私なの?どうして・・・どうして・・・’ 同様の被害に合い、死に至った女性の報道を目にする度、そんな混乱の中で絶命した彼女の無念さを思う。一人しか殺していないだとか、その殺害方法に残忍性がないだとか、そんなことが、犯人の罪と罰を測るモノサシになるのは、間違っている。

 とにかく誰かに、知らせなければならない。そう感じた私は、ロフトの階段をガンガン蹴って、階下の住人にサインを送った。私の未来を信じ、東京へ送り出してくれた両親に、悲しい思いをさせる訳にはいかなかった。何とかして、助かる方法はないか。緊迫した状況にありながら、どんな可能性をも探ろうとした。

 予想外に手間取り観念したのか、突如男は、傍にあった私のバッグをひっつかんで逃走した。安堵と共に、男に対していた時には囚われまいとしていた恐怖感が、ひしひしと押し寄せる。助けを呼ぶ力もなく、暗闇の中、カタカタと震える身体を、抱きしめ続けた。都合よく助けに来てくれるヒーローなんて、期待するな。自分を救えるのは、自分だけだ。今も私は、そんな思いを抱えて生きている。

 一息つき、動き出せそうな感覚が、少しずつ甦ってきた。小窓までにじり寄り、カギを開け、窓枠にしがみつきながら、やっとのことで立ち上がった。そうして渾身の力を振り絞り、助けを呼んだ。窓の下には、民家の芝生が広がっていた。その向こうには、煌々と灯りのついた建物があった。人がいるであろう場所に向かって、何度も、何度も、助けを呼んだ。けれど、その家から反応が返ってくることはなかった。

 「どうしたぁー!」 しばらくして、反対側から、複数の男性の声と足音が近づいてきた。裏手にあったゴルフ練習場の客が、駐車場で悲鳴を聞きつけ、駆けつけてくれたのだ。急いで そちら側の窓を開け、男に襲われたことを伝えた。 「キャー こわい」隣の部屋から、おそるおそる顔を出す、二人の学生がいた。私を救える人は、間近にいたのだ。だけど、必死で助けを求めていた時、彼女たちから反応が返ってくることはなかった。誰だって、自分の身が、かわいい。通常でない事態が勃発していると知れば、扉を閉ざしてしまうのが、防衛本能というものだ。あるテレビ番組では、こんなノウハウを伝授していた。危険な目に合い、人の助けを呼びたい時には、こう叫べ。「助けて」 ではなく、「火事だ!」 と。皮肉なことだが、人間心理の的を得ている。身を持って体験した私は、そう感じる。

 通報によって、警察がきた。被害現場の検証。室内の写真をバシャバシャ撮られ、日頃から小奇麗な状態にしていなかった私は、穴があったら入りたい気分だった。部屋干ししていた、決してかわいくも、セクシーでもない下着も、恥かしくてたまらなかった。盗難品が、ないかどうかのチェック。金銭の被害は、バッグに入っていた財布くらいだったが、部屋の中は荒らされ、アクセサリー類は、いくつか持っていかれた。襲った女が身に付けていたものをコレクションする。戦利品というヤツだ。

 現場検証が終われば、警察への移動。被害の証拠写真として、犯人に殴られ腫れ上がった顔写真を、何枚か撮られた。グレーのパンツスーツを着ていた私は、さながらプリズナーの如く、写真に収まった。それが終わると、調書作成。捜査官の方々は優しく接してくださったが、一つ一つの行為は、被害を受けたばかりの身に応える。たとえ仕方のない手順であっても・・・。そんな中、硬直した心を、ふっと緩ませたものがあった。「では、今までお聞きした内容を読み上げます。よろしいですね?」 事件の経過が、年配刑事の口を通して、語られていく。被害者には辛い確認作業なのだが- 調書を耳にしていて、美しい文章を書く人だ、と思った。無味乾燥なトーンでなかったのは、ちょっとした驚きだった。’横溝正史の小説みたい’ 。それがいいのか悪いのかはわからないが、素敵な文章に触れている時、私は幸福を感じる。深夜まで拘束され、身も心も、くたくたになっていた私を、あの刑事さんの文章は、少しだけ救ってくれた。

 駅向こうのエリアでは、一人暮らしの女性が襲われる事件が、続いていた。刃物で脅される状況下で、服を脱がされ、いかがわしい行為を受ける。レイプを免れたからといって、それが何なのだろう。わけのわからない男に、全身を撫でまわされ、陰毛を剃り落とされ・・・ そんな目に合った被害者の気持ちは。彼女たちは、おそらく周囲の誰にも言えぬまま、過去の出来事を封じ込めて生きている。自分を理解してほしい人にほど、真実は打ち明けられないのではないか。それが大きな傷だからこそ言えない、ということがあるのだ。

 犯人は、捕まらなかった。彼女たちも、私も、自分を傷つけた人間がどこの誰かもわからず、文句の一つ(そんなものが相手に響かないこともわかっているが)も言えないまま 時効を迎えた。一刻も早く忘れてしまいたい、という感情だってあるだろう。けれど、果たしてそれでいいのだろうか、と思う時もある。たとえ時効を迎えようが、事件そのものが風化してしまおうが、罪は消えない。心の傷が、完全に癒えることもない。捕まらなかったから、致命的な傷を負わせていないから、セーフという訳ではない。男のしたことは、アウト!なのだ。

 特殊な経験をする人は、限られている。しかし、誰もが心の中に、何がしかの、やるせない想いを抱えて生きている。それを口にするか、しないか、だけの違いだ。最近、表現できる幸せということを考える。それが喜びであれ、怒りであれ、哀しみであれ、つぶやきであれ、心の内を表わせるのは、そうして耳を傾けてくれる人がいるのは、恵まれた環境なのではないかと。太宰さんは、どう考えますか?


続 桜桃忌

2009年06月27日 20時57分00秒 | 本と雑誌
 太宰治と言えば、処女作である『晩年』から『人間失格』に至るまで、重苦しい影を引きずる作家のように見做されがちです。そうしてその人生は、自殺・心中・麻薬中毒と、不名誉なトーンに彩られています。女性関係もかな。目立つ部分を拾い上げれば、自堕落な男でしょう。ただ、そんな彼にも、慎ましく健康的な生活の中、ペンを走らせていた時代がありました。『富嶽百景』『走れメロス』『津軽』など、この時期にいくつかの良作を生み出していますが、私はね『ろまん燈籠』がすき。5人の兄弟姉妹でロマンスを綴っていく (リレー創作)、素敵なお話です。名の知れた作品ではないものの、軽みのある文体で、素朴な人間愛を描いている。それでいて、ぎゅっと、心をつかまれるんです。

 さて、就職活動をする年齢になり、決意したことがありました。親の意向に屈せず、人生を切り開いてみよう。母は、親戚や知人を通じて、神戸の企業へ就職させたかったようですが、その思惑は頓挫する結果となりました。 売り手市場という状況が、背中を押してくれた。採用になったのは、活動母体が東京になる企業で、こうして私は、自然に実家から離れていったのです。いつしか、彼に会うこともなくなりました・・・

 東京で暮らし始めて、しばらく経った頃。そうねぇ一年半位かしらん。ふと、こんな好奇心が頭をもたげたのです。通い慣れた道の、その先には、何があるのだろう。当時私は、武蔵野市に住んでいました。駅周辺こそ適度に賑わっているものの、少し奥へ入ると、緑広がる落ち着いたエリア。住んでいたアパートは、ちょうど境目の辺りにありました。お天気のよい休日の午後、散歩気分で未知の領域へと足を踏み入れる。ささやかな冒険のつもりでした。こんもりと木々が生い茂る箇所を通り抜け、柔らかな日差しを浴びながら歩いていく。ほどなく水辺に出ます。それに沿った道をしばらく辿ると・・・突然あるモノが目の前に現れ、息をのんだ。そこには、こんな案内板がありました。「玉川上水」彼が、最後の愛人と共に入水心中した所でした。

 クスリ。可笑しさが広がっていく。これが、二人の命を呑み込み、一週間近くも遺体が上がらなかった玉川上水・・・。にわかに信じ難い程の浅瀬になっていたのです。太宰らしいオチかもしれない。「これは悲劇じゃない、喜劇だ。いや、ファース (茶番) というものだ。」彼の『グッド・バイ』という遺作の一文が甦ってきました。ホントその通りになってしまったのね・・・。’自ら命を絶つなんてくだらん。よせよせ。’彼は言っている。体を張った喜劇を通して。こんな風に解釈できるのは、ずっと後のことなのですが。M・C マイ、コメデアン♪

 それでも、このルートは、私のお気に入りの散歩道になりました。近くにいながら、どうして気付かなかったのだろう。今までの自分を、ちょっぴり悔やみながら。彼は、隣町にあたる三鷹に住んでいたんですね。私が武蔵野へやってきたのは、友人の導きだったのですが、彼の魂に呼び寄せられたかのごとく、不思議な縁を感じました。ところが、そんなご縁も長くは続かなかった。一刻も早く、住んでいたアパートから逃げ出したくなる事柄が、私を襲いました。精神的に参ってしまった私は、そのアパートからも、やがては東京という街からも、撤退せざるを得なくなりました。


桜桃忌

2009年06月16日 08時11分00秒 | 本と雑誌
 もうすぐね、好きだった人の誕生日なんです。なので、ちょっとしみじみしています。エッセイにも度々登場しているので、察しのいい方は、ああ、あの人ね・・・なんて思われるかもしれません。

 彼と出会ったのは、中学へ入学する頃かな。叔母の紹介でね。当時の彼は、その眼差しに、素直な明るさを湛えていました。それで、ごく自然に、私の心へ住み着いてしまったんです。ユーモアのセンスと、優しさと、その向こうに見え隠れする、ちょっぴり皮肉屋さんの面持ち。そんな所が魅力になる人でした。

 付き合いが続いていくと、周囲の雑音も耳に入り始めます。’暗っ!’ ’なんか気取ってない?’ ’自分だけが不幸みたいな顔してサ’ それは、私が知っている彼の顔と、少し違うものでした。最初から、その部分を目にしていれば、好ましく思わなかったかもしれない。けれど、伸びやかな空気と安定感を嗅ぎ取っていた私には、そういったマイナス面が、また別の魅力として映ったのです。気になる人の影というのは、時に、二人の距離を縮める要素となる。こうして私は、以前にも増して、彼に惹かれていきました。

 やがて多感な年頃になり、それまでにはなかった思いが、心の中へ、うっすらと溜まっていくのを覚えました。家庭の不和、学校生活への不満。そういう’今’に即した悩みではなく、閉塞感とでも言おうか・・・そんなものに包まれるようになったのです。一人っ子だった私は、常に母の拠り所。それは気持ちの上だけでなく、先の人生の保障という点においても。友人たちの親より上の世代だったので、老後のことがチラついていたのでしょう。娘を、身近な存在として留めておきたいようでした。

 その人生を、家族の為に捧げてきた母。こうしたスタイルは、結婚前も後も、変わることはありませんでした。しかし、捧げるモノが大きい程、相手への期待も高まります。無償の愛なんて、心意気だけで割り切れません。結果、私の将来をあれこれ決め付ける言葉を、口にするようになりました。たった17歳で、先々が見えてしまう。何と虚しく、そうして、つまらないことだろうか。いつかは、この家に戻ってくる。その為の結婚。その為の就職。一体私は・・・

 未来への翼を心置きなく広げられる環境を、羨ましく感じました。そんな同級生が輝いて見えました。到達点の状態がわかっている旅。背中に重い荷物を背負い、親が敷いたレールの上を、ただひたすら歩いていく。そう考えると、自分の可能性を探る気力も、萎えてしまいます。周囲から取り残されていく寂しさ。夢や希望など、果たして人生の中に見つけられるのか。ささくれ立った心は、彼を仲間のような存在として、受け止めるのでした。この心に寄り添ってくれる、数少ない友達。

 二十歳になると、好きな人のことを、もっと探りたいと思うようになりました。同じく高校時代、彼に傾倒していた級友は、こんな言葉を残して卒業していったけれど。「いい加減、まっとうになりな。彼も、それを望んでる。『津軽』って作品があるから、読んでごらんよ。」

 

 ごめんなさい。ここまでです。彼の誕生日までに間に合わせたかったのだけど、今日も夕方から帰省で。それまでは、役所に、学校に、会合。ちょっといっぱいいっぱいで断念しました。心を込めて仕上げたいので、戻ってきてから、残りをゆっくり手掛けたいと思います。また、読みに来てくださいネ。

 https://www.youtube.com/watch?v=AugHi4Fx1sI