JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

じっちゃんの名にかけて・・・

2008年08月26日 08時21分13秒 | 本と雑誌
  ’じんちゃん’ちゃいますよ。’じっちゃん’ですよ。ブログ復活ふかつ絵里。しょーもないことをつぶやいておりますが、新しいお仲間さんにも加わっていただき、非常に気をよくしての早めの更新です。さて現在の私、手に取っていた山田詠美『ひざまずいて足をお舐め』をしばし中断、田辺聖子の新刊エッセイ『愛を謳う』へとりかかりました。ええ、こんなことしょっちゅうです。日常生活でも「物事をやりっ放しで次へ行く!」と夫に叱られておりますの。で、またしばらくして後へ戻る。異性関係に、この傾向が当てはまるかどうかは、ご想像にお任せします。

 『愛を謳う』。何やら美輪明宏さん的なタイトルですが、おセイさんの魅力-心ほっこり、元気がでる-満開の作品。家庭、結婚、男と女、愛のかたち、そんなテーマにまつわる彼女なりの思いを綴ったもので、おセイさんのエッセイのエッセンスが(早口言葉ちゃいますよ)、ぎゅっと詰まった内容です。今まで発表されたものの美味しいトコ取りという構成は、従来のファンにも、そうして初心者にも、楽しめるんじゃないかしら。

 冒頭から、人は何のために生きるかなんて真面目なお話が出てきましてね、そこで自分が指針としているものに行き当たったの。”人を愛し、人に愛される為に生きている。”あはっ。まだこの言葉を吐ける程、人間できてませんよ~!おセイさんの人柄だから素直に伝わるんです。私がCafeの片隅でつぶやいたってね、「けっ何を言ってやがる」失笑されるのがオチですから。人にものを伝えるには説得力、或いはそれを支える信頼感も必要でしょう。まだまだ修業の身、頑張ります♪(←中年の主張か!)

 おセイさん曰く、仕事をするのも読者に愛されたいためではないだろうかと。自分を理解してくれる人、愛してくれる人を、一人でも多く得たいために書く。わかる気がしますねぇ。私は、基本自分の為に書いています。思いを言葉にすることで落ち着くの。けれど、そこで止まっていてもつまらない。やはり誰かへ伝えたい、わかってもらいたいんですよ。そして願わくば、クスリと笑ってくれたら、うんうんってうなずいてくれたら、そこから思いをめぐらしてくれたら、こんなに幸せなことはありません。 「ホントそう!」「でしょう?」「こういう見方もあるよ」「そっか~」 楽しく、そんなやり取りができれば嬉しいじゃないですか。非常に、こっぱずかしいんですが・・・エッセイやブログを書く原動力となるのは、LOVEなんです。愛情を感じる対象と、声援と、この二つがあれば書き続けることができる気がします。今までぼんやりと感じていたこと、おセイさんが「大丈夫。そのまま行きよし」って、後押ししてくれたみたいで、嬉しかった。

 ”幸福とは、自分の価値を知ってくれる人のそばにいることである”フランスの哲学者、アランの言葉も登場します。けだし名言。ただしその後に続く、”だとすると家庭の主婦というのは、何という幸福の条件にみちていることだろう”とのおセイさんの見解はね、30年以上の月日が流れ、家族の形態・意識、それを取り巻く環境も変わっているからでしょうか、そうかなぁ~って。今の時代、家庭の主婦のありがたみは、どんどん失われているんじゃないかしら。自ら捨て去っているとも言えるし、豊かに便利になることによって、気づいてもらいにくくなったとも言える。食事やお弁当だってね、美味しく食べてもらおうと思ったら手間ひまかかるんですよ。それを支えるのも、家族みんなの話を聞くのも、愛あればこそです。当たり前と思ってほしくない。そこを押さえておかないと、主婦の心は離れていく。逆もまたしかり。家族誰しも、自分の存在価値を身近な人にわかってもらいたいという思いは、共通でしょうから。

 1年経ったことですし、少しベールを外しましょうかしら。私ね・・・本屋の孫娘なんですよ。父ほどダイレクトに影響を受けていないものの、それでも本屋に居ると落ち着くの。正に’母の胎内のような’感覚。セントレア(中部国際空港)でも、本屋で過ごしているくらいよ。あそこはいい本屋です。限られた空間なのに、手に取りたいものがたくさんある。文豪の名作から今話題の作品まで、バランスよく揃っています。ある作家の中の変化球というのかな・・・そういう作品もあって、三島由紀夫の『美徳のよろめき』とは、ここで運命の出会いを果たしました。それまでのね、おっかないまでに男らしさを追求していた印象が、ガラリと崩れた。この小説に教えられたこと、救われたこと、たくさんあります。女心を、あんなにもたどれる方だとは。ただし、映像化すると・・・東海テレビの昼メロ調になります。(爆)

 文豪の名作、どんどん帰ってきてますね。夏目漱石や川端康成は、新装丁版で若者の目に留まるようになりました。太宰治も、デスノートの漫画家(小畑健さん)によるイラストや俳優(松山ケンイチくん)が表紙を飾ることによって、注目度UP!です。私の年代からすると、何もそこまでという気持ち半分、それでも話題になるのは嬉しいという気持ち半分。内容が上手く伝わってくれるといいのですが。「期待して買ったのに、がっくしやったな。」ってことのないよう。それから児童書にも、スポットを当てていただきたい。子どもたちは未来のお客さん。そんなお客さんを育てる視点も、あってよいのではないかと。子ども向けの名作、帰ってきてほしいですねぇ。ウン十年、作品によっては世紀を越えて読み継がれてきたものには、意味があったでしょうから。

 人生それぞれの地点で、本への向き合い方が変わってきます。ただひたすらに吸収していく時期もあれば、経験を重ねて内容を受け止められる時期、自分なりに何かを返せる時期。現実の経験と本と互いに影響し合い、その世界を膨らませることができるなら、人生もまた、豊かになっていくのではないでしょうか。’じっちゃんの名にかけて’そう感じるのです。

 「こら~ボクの決めゼリフ、勝手に使うなー!」 金田一くんに怒られちゃうかな。ええやないの~金田一少年のけちんぼ!!お仲間さんのネタをパクらせていただきました。ごめんあそばせ♪



風に吹かれて♪

2008年08月20日 19時30分13秒 | 本と雑誌
 ボブ・ディランちゃいますよ。ふと気がつくとブログ開店1周年。ここでの活動もしばらく停滞していたのですが、少しは前へ進もうかと。私ね、風に吹かれているのが好きなの。だからまた、窓を開け放ちます。ブログを始めた当初の気持ち、気軽に、気兼ねなく、色んな事について語りたい。その原点へ帰ってみようかな。

 最近、素直な気持ちを吐き出す場所が欲しいなぁと思っていました。エッセイも手掛けているのだけれど、どうしても作り込む部分が出てくる。プレッシャーもかかります。楽しいけど辛い。辛いけど楽しい。そんな感じなんですねぇ。もっとリラックスした状態で語れないものか?そうだ!ちょうどいい空間があるじゃない。ここはね、ちょっと不思議な場所なんですよ。外部に対して開かれている一方で、私が属しているコミュニティでは、お仲間さんに一歩踏み込んでもらわなければならない・・・そういう空間なんです。裏を返せば、ここまで来てくれる方というのは、私に対してマニアックなお仲間さんだということ。そんな状況を踏まえてできることも、考えていきたいと思います。

 まずは、プライベートトークから始めますか。去年の秋頃から、病的に本を読むようになりました。同じ年代の男性が仕事に打ち込むように、私は本に没頭していた訳です。ここまで激しく傾倒したのは、初めてかもしれません。私の本好きなんて、たかがしれていましたもの。’何かに深く入り込みたい’書くことと同様、読むことも精神安定剤代わりになるのですが、心が波打っている時には、ページを開いて文字を目で追っても、頭の中へ入ってこない。だから、心の健康を計るバロメーターの役割も果たしていました。

 その時々によってね、求めたくなる作品があるの。そういったことからも、心の状態を窺い知ることができます。では現在の私が手にしているのは、どんなものか。山田詠美『ひざまずいて足をお舐め』。あはは。びっくりしましたぁ~?それともああやっぱりでしょうか。SMクラブの女王様が新人賞受賞の注目作家に!詠美さんの自伝とも言える内容ですが、彼女がどんな人生をたどってきたかという興味本位の視点よりも、随所に散りばめられたカグワシキ精神に触れるのが気持ちいいんです。多分、今だからわかること。

 これには前ふりがありまして、直前に読んでいたのが村上龍『すべての男は消耗品である』だったの。私、この本を周期的に読んでるんですね。で、今回はそれまでにない違和感を感じたんです。龍さんの論理って・・・封建的?女性は元気だ。やはり女性にはかなわない。そんな言葉を繰り返しながら・・・軽く馬鹿にしてらっしゃるの?基本的に好きな人なんで苦笑で済ませておきましたが(←これがいけないのよネ)、心にうずいたもやもやを、ピシャリやっつけてくれたのが、詠美さんの解説だったのです。それで今度は、彼女の本を手に取ってみたと。

 ”男の沽券とやらのない世界、私は充分に知り尽くせて、とっても幸せだね。そんなもんがある世界で、どれ程の男そして女がつまらない目にあってることか”

 こんな一文に、共感をおぼえるんですよ。ここ数年わだかまっていた不愉快な思いの原点が、巧みに描写されていました。自由にものが言える時代になったようで、男も女も、依然として昔ながらの縛りに囚われている。Cafeでお仲間さんの日記を読んでいても、そういった空気を感じることがあります。特に女性。類友なのかもしれませんが、気持ちの収め方について、悩んだり迷ったりされてる方が、少なからずいらっしゃる。中でも男性との係わりにおいて、気持ちを溜め込んでしまう、相手の為にこらえている。詠美さん言うところの”それに胡坐をかいてる男、それを許している女”といった状況が、まだまだあるんじゃないかしら。いい形での男女関係を目差したいし、さぐっていきたいのですが・・・前へ進もうとしては、コテンとコケて。口ばかりの女です。詠美さんの迷いのなさが羨ましいわ。

 少し思い出話を。『すべての男は消耗品である』。初デートに、この本を持参した過去がございますの。「ごめんなさい。こんな本を読んでいるの・・・」なんてね。彼はどんな気持ちだったのでしょうか。’カーン。おいら消耗品かよ!’ そらフラれますわねぇ。決して彼を軽んじていた訳ではないのです。当時この本に救いを求めようとしていたの。引いては村上龍さんにかな。制度なんてくそくらえ!みたいな雰囲気があるじゃないですか。従来の縛りに立ち向かっていくような。大丈夫だよって背中を押してもらいたかった。ところが、そうはいかなかったのねぇ。

 当たり前だ。道ならぬ世界へ足を踏み入れておいて、わかってもらおうだなんて虫がいいにも程がある。確かにそうなんですが、渦中にいる時というのは大海の中、たった二人で船を漕いでいる状態。不安で孤独なものですから、「誰も味方になんかなってくれない・・・」 彼の前でね、半ベソかいたんです。イタイイタイ。すると彼は私の肩にそっと手を回し、こう言いました。 「渡辺淳一がいるじゃないか。」

 笑うとこちゃいますよ。二人とも大真面目だったんですから。今はね、思い返すだに肩震わせて笑ろてます。もうね、笑いのツボを心得ている人にしか言えない。しかも後で効いてくるなんて。〇年殺しか!その時はね、「ああ・・・そうね」と若干首をかしげながら。まったく、とんだバカップルですわね。あらあら、また作り込みに入ってしまったようなので、この辺で失礼致します。それでは皆様、御機嫌よう。

 ※ この頃は、エッセイとブログを公開する場が分かれていました。その後一本化されております。



星のかけらを探しに行こう

2008年07月14日 11時13分00秒 | 本と雑誌
 あきまへ~ん。エッセイの神様が降りてこない。こんな状況を正直に語ってみるのもよいかと、今回は創作裏話を。現在『恋うた』シリーズを手掛けておりますが、あるお仲間さんの日記に刺激を受け、新作は「パンドラの箱」というテーマでいこうと。それに伴って、色々調べ物をしていたんですよ。そうしたら収拾がつかなくなった。太宰治の『パンドラの匣』に始まり、ギリシア神話、そうしてキリスト教の七つの大罪へ行ってしまいまして。このままでは、映画『セブン』へ手を伸ばし、ブラッド・ピットについて語ってしまいそうです。おーい!私の恋バナどこいくんや~。「パンドラの箱」とは、’災いが降りかかるから触れてはならない’という意味で使われる慣用句ですが、もともとギリシア神話の伝説からきているんですね。で、ギリシア神話の世界を覗いてみましたら、これが面白い。神々による天地創造・生物誕生の箇所では、日本の神話を思い出したり・・・イザナギとイザナミが日本国を創っていく話と似てる!って所から、親近感も増す訳ですよ。

 日本には八百万(やおよろず)の神という解釈がある。アマテラスオオミカミ(天照大神)が太陽の神であるように自然界にちなんで、或いは農耕・生産など生活に即して、神の存在を当てはめています。神話にも役割を担った神々が登場、それぞれエピソードがありますね。アマテラスオオミカミの天岩戸伝説、スサノオノミコト(素盞鳴尊)のヤマタノオロチ退治伝説。みなさんも、ご存知だと思います。ギリシア神話も、似たような構造で出来上がっている・・・そう気づいた時、遠い異国の話ではなくなった。

 なんや、じんちゃん宗教がかってきたなぁ。そのうち私は、卑弥呼(ひみこ)の生まれ変わりとでも言い出だすんちゃうやろか。くわばらくわばら。で、現在息子(小5)が所有している本を、そっと手に取りました。これ、元々私のものです。1979年度版偕成社文庫の『ギリシア神話』。小学校の時に購入して、どうしても捨てられなかった本が実家にあるの。竹山道雄の『ビルマの竪琴』、獅子文六の『悦ちゃん』。時代モノでは『南総里見八犬伝』。海外モノだと『ドリトル先生航海記』『帰ってきたメアリーポピンズ』。幾多の危機をくぐり抜け、最後まで生き残った作品たちです。

 書店で子ども向けの本の棚を、覗いてみてください。昔ながらの王道・名作、見事に切り捨てられています。売れないから?それ以前に置いてへんでしょ。手に取らせる努力をしてくださいよ。戦争・人種差別、ちょっとでもひっかかったらアカンアカンってね。作者の真意は、そういう所にないでしょう?存在そのものを失くしてしまうのは、考える機会をも奪ってしまうこと。『ビルマの竪琴』や『ハックルベリーフィンの冒険』から、子どもたちが何を汲み取るのか。もっと信用してもいいし、大切な部分をすくい上げる情緒を養うのも、教育なのではないか。時代遅れと言って切り捨てないで~!そんな気持ちでいます。

 おっと、ギリシア神話だった。で、ウン十年ぶりに読み返してみましたの。むむ、これは・・・。そこに描かれていたこと、崇高な話ばかりではなかった。神様同士の闘争、愛と憎しみ。嫉妬したり、陥れたり・・・欲だってあります。権力が絡めば、身内をも疑います。そうして、こちらは善あちらは悪と、はっきり分かれているとは限らない。美しい女神にも、いたずら心や意地悪な感情が宿りますからね。私のように。おーっほっほ。

 大体、最も偉いとされている神ゼウスですが、これまた、ちょいと困った神様だ。天空神-とりわけ雷を支配していた-というだけあって、おっかない神様でね、短気なの。すぐ懲らしめてやろうって気持ちが、頭をもたげるの。そのクセまぁ・・・こんな感じよ。「ある日のこと、あてもなく下の世界をながめていたゼウスの目に、ふと美しい少女の姿がうつりました。それはイーオーという名の少女でした。お妃のヘーラーの目をぬすんで、ほかの女の人のところへいくのが大すきなゼウスは、なかよしの友だちにするのにちょうどよい相手だと思って・・・」。そこここに仲良しのお友だちをつくって、さぞ楽しいことでしょうよ。おかげでイーオーちゃん、牛に姿を変えられるわ、お妃の嫉妬で耳にあぶをいれられるわ、とんだ災難です。

 「あ~ホレっぽいんだよね。それにハンサムなんだ」と、解説を加えるのは息子。なんやのハンサムて。見たんかいな。「そして、その行動が新たな火種を生むんだよな。」ちょっと!ちょっと!人に厳しく接している割には、自分に甘くありませんか?一体何様やの。「神様じゃ」くーっ。それが一方で、’弱者の守護神’’正義と慈悲の神’ですから。その正義感・慈悲のお心、まずは周囲の者たちへ向けていただきたいものですわ。「不倫をしている女神もいるんだよ。」「誰それ?」「アフロディーテ。」「愛と美の女神、母ちゃんやな。」「鍛冶の神の夫がいるんだけどサ、手先が器用なだけの男なんてつまらないわ!って、かっこいい軍神になびくんだよ。」 うちの夫、手先が器用なんすよ・・・。「ぷーっ。母ちゃんの軍神どこやろ~。」「父ちゃんにしときなよ~。どうせ軍事オタクなんだから。」そういう問題ちゃうやろ!しかしまてよ?私が読んだ本には、そんな記述はなかったはずだが。「その情報、どこから仕入れてきたの?」「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々。ギリシア神話を元にしたミステリーなんだ。面白いよ。母さんも読んでご覧よ。」

 調べてみましたら、アメリカの実力派ミステリー作家が、児童向けに書いた作品のようで。目に留まったのが、翻訳者の金原瑞人。数年前、若干20歳にして『蛇にピアス』で芥川賞を取った、金原ひとみ嬢のお父上じゃないですか。ギリシア神話、色んな世界へつながるのね。日本の神話に飛べば、それをまとめた『古事記』や『日本書紀』へ。神々の名前(星に関連しているものがある)からは、宇宙へ。ゼウスをまつる宮殿があった場所(オリュムポス)からは、オリンピックへ。ナルシストやエコーのように、現在使われている言葉の語源になっているものも多い。英雄たちの物語からは、蜷川幸雄さんのお芝居へも飛ぶよ。(『王女メディア』)

 「探偵学園Qに、ハデスって悪役がでてくるやん。あれもギリシア神話の冥界の王から来てるんだね。」「そそ。手下のケルベロスは地獄の番犬。ところで母さん、何でギリシア神話なんか調べてるの?」おっと、パンドラの箱だった・・・。シナプスが大活躍で。神木龍之介くん(キュウ)のように、「わかっちゃったかも!」と言いたいくらいよ。何を若ぶっていやがる。君の年代は、あばれはっちゃくの「ひらめいた!」だろ~。そんなツッコミが入る前に、そろそろおいとま致します・・・。口の悪い夫からも言われるからな。「てめぇの馬鹿さ加減には、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」(BY東野英心)。わかる人にしかわからない、『あばれはっちゃく』の名セリフでしたー。

 https://www.youtube.com/watch?v=T6RSb7Goh4w

 ※『散歩道』を改題致しました


昼下がりのテーブル

2007年10月06日 16時07分00秒 | 本と雑誌
 読書の秋。テーブルにおいてある本を息子が手にとったので、「それ『失楽園』やで。」 とすかさず言ったら、「ん?『アーサーとミニモイの不思議な国』じゃねぇ~の?」(映画宣伝の入ったカバーがかかっていたのだ)んな訳ないでしょ~。この母が、そんなものを読む訳がない。

 魅惑の人妻が、昼下がりに何をしているかといえば、本の乱読。常時数冊の本を抱え、その日その時の気分で、こっちの本、あっちの本と渡り歩く。そんな読癖の話を、Cafeのお仲間さんとしていて「おっと、男性に関しては、そう移り気でないつもりです(笑)」 と言ったら、「つもりが怪しい(笑)」。ぐへっ。痛い所を突かれたかな・・・。胸に手を当てて、よーくよーく考えてみたけれど、好きな役者や歌手も学生時代から変わってないし。ただ、嫌いにならない代わりに、どんどん増えていくなぁと思ったので、「メインは変わらず、周囲が増えていきます(笑)」と返したら、「これはなんと、ポジティブな名言ですね」ときた。そうすか?どうですかね・・・

 さて『失楽園』。さすが渡辺淳一先生。男女間のごっつー下世話な部分をすくい取り、文学にまで昇華させていらっしゃる。死に至る程の恋愛なんて、どんなに崇高なものかと思っていたら、結構普遍的。そりゃそうだろう。憧れだけでは、熱狂的支持は生まれまい。この気持ちわかる~恋ってそうだよね!という部分があるからこそ、主人公に親近感も湧き、ちょっとだけストーリーと自分の人生がシンクロしたような気にもなって、物語世界へ耽溺できるというもの。上手いんだよ、渡辺先生は。不倫ってお金かかるよねなんて仰る。下々の者の恋愛事情を、よくご存知で。決してお金が有り余った選ばれし男たちだけの文化ではないぞと。その辺の亭主族が、少ない小遣いの中からデート費用を捻出しているのを、スリッとお見通しな訳ね。そこのアナタ、どきっとしない。

 そうそう、息子との会話だった。「君がまぁ、そやね40くらいになったらわかる世界かな・・・」息子は10歳である。まだまだ先は長い。が、ちょっと感慨深く「どんな恋をしてるやろうね・・・」と言ってみた。コイツ絶対モテよるぞというのは、親のひいき目であろうか。うちの家系の’人当たりのよさ’と、夫の家系の’調子のよさ’を、兼ね備えているんだもの。最強♪などと考える不埒な親である。

 ちょっといたずら心が湧き「なぁ、もし結婚しててやで、他の女の人に恋されたらどうする?」直球をぶつけてみた。「断る。家内がおりますのでって言うよ。」「へっ?」一瞬目がテンに・・・そして、ふふふと笑った。「アンタえらい言葉知っとるねぇ。家内なんてわかるの?」「わかるよ、家内安全だろ?」ズベッ。思わずぷーっと噴出しながら、「それはちょっと違うなぁ。家内安全の家内は家の中ってこと。うちの家内がという場合は、奥さんのことね・・・。なぁ、そしたら母ちゃんは家内安全やろか。」今度は息子の方が、意味深な顔をしてにひひと笑った。「デンジャラスだね~。」「何がデンジャラスよ!」「腹が。」腹かいっ!!はぁ~びっくりした。しかし、なんでデンジャラスなの?どこで覚えてくるの?意味分かってんの?矢継ぎ早に質問したら、すべてにおいて明確な答えが返ってきた。あっそ。子供は意外とわかってる。

 「母ちゃんの恋バナ聞かせてよ~。失恋話。」なんでそう決めてかかるのか。イコール失恋話と。失礼なやっちゃで。まぁ確かにそうなんやけどね・・・。「ふん、やだね。」この場でさんざ書きまくってるクセに、身内には言い渋る。そんなもんである。あんまりしつこく食い下がるのでついに、「悪いけど母ちゃんは若い頃モテたよ!」と、大見得を切った。「食事には随分誘われたねぇ~。お酒好きやし、明るいし、オモロいし、かわいいやろー」「自分で言うな!」「自分で言わんと誰が言うねんな!!」実のトコロ、私も含めて単身赴任者が多い・・・という状況下だったのですよ。なので単なる食事の友なんざんす。

 「父ちゃんの恋バナ、聞いてみたら?」と、話を転換してみた。「うん・・・前にちょっとだけ聞いたことあるな。」「へぇ。」「母さんのことだよ。」むふふ。どんな風に言うとってんな。人のことをしょっちゅうクサす、あのへそ曲がりの毒舌野郎が。「初めてみた時にね、かわいいなって思ったんだって。それで好きになったんだって。」ふ~ん・・・意外だった。私にぞっこんなのは知っていたが、子供にそういう話をしていたというのは想定外だった。ちなみに私は、夫のことをそんな風に話した事はない。彼のここが好き!という積極的支持で、始まった付き合いではなかったのである。とりだてて嫌な所が見当たらなかったのと、一緒にいても緊張することがなく、自然体でいられた・・・そんな関係で続いてきた。ゆるやかな友人関係といった趣であろうか。ただ、最初から親の反対という障害があったので、予定以上に結束してしまった・・・結婚まではやで。

 「父ちゃんは、他の女の人を好きになったことがあるのかな?」「そうさねー。たまに行動が怪しい時があるね。」今迄で一番すごかったのはね、夜起きたらいないんすよ。隣に寝ているはずの夫がいない。本人曰く「会社で、やり忘れた用事があった。」(車で20分程度ですねん)はぁ?まぁいいでしょう。しかしやね、夜中にこそっと抜け出すのはやめてよ。本人はこっそりのつもりか知らんが、大抵バレてるのよ。もうカチャリとドアを閉めた時点で目覚めてる。何なんでしょうね~。あの妻の勘は。そんで心配するのよ。暴走族に囲まれてへんやろかとかサ。アセって事故を起こしてへんやろねとかサ。しかも腹立つのはやな、はよ帰ってくるクセに何しとんじゃ。もっとはよ思い出さんかいと。さすがにこの病気は治まったけれど、休日なんか行き先も告げんと、ふーっといなくなることがある。そしてほぼ定刻に帰ってくるクセに、たまにビミョーに遅い時がある。だから、ちょっと怪しい。けど、ん?ん?と思っているうちに、またふつーに戻るので、まっいいか~小遣い少ないし、職場に女性もそうおらんし、心配する程のこっちゃないわなと。うちに限って渡辺淳一ルールは適応せんやろなどと思う所が、浅はかなんだわね~。

 ニヤニヤ笑っていると、「秘密を見つけて、こづかいせびろうかな。」などと、息子もよからぬ事を考える。「おっ思い出した!」「何を?」「パソコンやってる時に近づいていくと、画面を隠そうとするんだよ。」ドカーンと大爆笑が巻き起こった。「それ意味が違うと思うわ。別の意味で怪しい。」「何だ~?」「子供に見せてはならないものを、見てたんちゃうのん。」「なーんだ。エロサイトかよ。」「母ちゃんが近づいた時も、慌てて隠しとったで。」何で私に隠すかね。『くノ一忍法帖』も、一緒に鑑賞した仲なのに。

 夕食時に、このやり取りを話して聞かせたら、夫は笑って聞いていた。驚いたのは、「母ちゃんは、若い頃モテた」という話をした時に 「そうだね」 と、ごく素直に認めていた事である。否定せんのかい!人の話にすぐ「違う!!」と、ちゃちゃを入れるヤツが。珍しいこともあるもんやね・・・。けど、どんどん小さくなって、エロサイトの話になる頃には、もう消え入りそうやった。しゃーないなぁ。今宵あたり慰めてあげますか・・・と思っていたら、宴会へ出かけやがったよ。聞いてないゾ。やっぱり怪しい!!

 ’真夜中は別の顔’ 魅惑の人妻より


ブス愚痴録

2007年09月15日 00時17分07秒 | 本と雑誌
 まだまだ続く関西シリーズ♪今回は大阪を代表する女流作家、田辺聖子さんの作品から。

 彼女の短編をまとめた本で『ブス愚痴録』というのがございまして、これが面白い!ほとんどの作品が、おっちゃんの目から見た’こんな女、どうかと思うわ~’。はっきり言って妻の悪口です。「アホか!」「ふんまに」「わからんか?」といった大阪特有の小気味いいツッコミで繰り出すので、嫌味なくサラリと受け取れます。しかし、かと言って安心していると、返す刀で男性心理もバサリ。その辺が実に巧妙&痛快な訳で・・・

 中でも、男が女の顔の良し悪しをいうのは40代までというのが絶品。何でかて?”40代までは忙して鏡見ィひん。そやから自分のことも知らんと、オナゴにケチつけたり女房の不足いうたりしとる”もう赤線引っ張って夫に読ませようかと思いましたね。さらに、50代で己を知るというくだりで・・・”顔だけやあらへん、稼ぎも人間の程度も、おのれのヘチャを知らされるわい。ほたら、オナゴのヘチャばっかりわろうてられるかと反省する”なるほどねぇ。ちなみに70超えたら・・・”オナゴや、いうだけで可愛い。欲いうたらやさしいのがエエ。ヘチャでもおもろい女がエエ。おもろいオナゴはんはこの世のタカラじゃ”

 大概の関西女性は、ここでガッツポーズやないでしょうか。私はね、それ程おもろないんで、まぁそこは小さくガッツポーズです。『ごくせん』の仲間由紀恵みたいに「ファイト~オゥ♪」ってな感じで。しかし、この言葉には勇気もらいましたねー。こんな事を言うてると、まるで私がえらいヘチャみたいですが、39歳ともなるとね、いろいろ思うところがある訳ですよ。そら見た目の輝きは、お若い方にはかないませんからね。はっきり言って、焦りもあります。けどこれを読んでたら目の前がぱぁーっと明るぅなって、そやね、この年ならではの自分の魅力をもっと信じんとあかんね・・・という気になってきた。何であんなに自信失くしてたんやろ。私を信用していなかったのは私やった。これじゃあ私が可哀想やって。お聖さんに、元気もらいましたワ。

 個人的に好きなんはね、『波の上の自転車』いう作品なんです。阪急電車派の妻と阪神電車派の夫のバトルが描かれてますの。神戸と大阪の間には3本の鉄道が並行して走ってまして、山側から阪急、JR、阪神なんですね。で、阪急沿線には一種独特の文化圏がある。他所の地域の方にはちょっと理解し辛い世界ですが、そこを実に上手く表現してるんです。

 妻は、阪神間は日本で最高に住み心地のいい場所だと信じ、中でも山手にある阪急沿線にこだわりをもっている。そやから娘の学校も沿線の女子学園、住むのも沿線のマンション。上流思考で鼻持ちならない人間に描かれていますが、あの空気を知っている方なら、決してこの妻を否定できないのではないかと。勿論、他の地域を小バカにする態度は×ですが、不思議な魅力があるんです。単にお金持ち文化と割り切れない何かが。一方夫は、そんな妻の態度を苦々しく思っている。”何ぬかしやがんねん。こちとら物価は安いし、気楽なええトコじゃ!”お互いが慣れ親しんだ文化や環境にまつわる諍いって、確かにありますよね。特に、実家が絡むと話がこじれてくる。新婚の頃なんか、もう文化戦争ですから。(最初からあなた色に染まります・・・なんて殊勝な心掛けのお嫁さんは別ですが。)こっちだってハナから我を張りたくなんかないけれど、向こうが「あったりめぇだろーっ」という態度だとカチンとくるんですよね。

 さて、こうしてバトルの幕が上がります。「阪神の方が車体広うて綺麗やわい。」 「阪神愛用者の身びいきね。」「阪神は海が見えるわい。」 「阪急は山が見えるわよ。」さらに車体の色、それぞれの鉄道会社が所有している球団にまで火種が飛ぶという趣向。そう。この作品が執筆された当時は、阪急が球団を所有してたんです。だから甲子園球場(阪神タイガース) VS 西宮球場(阪急ブレーブス)という展開になり、夫が「客の入りが違うわい。野球も知らんくせに。」と言えば、「でも今年も阪神がやたら弱いというのは知ってるわ。」と返す。あの頃、阪神も弱かった~。この辺の応酬がホント巧みで、当時の野球界の状況が記憶に残っている方なら、爆笑間違いナシです。

 そんな阪急、阪神も今や経営統合・・・統合が決定した時の友人の言葉「阪急には阪急の文化があり、阪神には阪神の文化がある。一緒にせんでよろし。」は、地元民の究極の本音かもしれません。確かにのっぴきならない状況だったのでしょうが、’そこまでして合理化や効率主義といった今風の波にのまれなあかんのかい。阪神は阪神のまま、ちょっとくらい不器用で隙ありの存在でええやん。’ などと、無責任な意見も述べたくなるんですよねぇ。それぞれのオリジナリティで別個に輝いていて欲しかったと。

 『恋捨人』では、社会運動に奔走する妻をやりきれない思いで眺めている夫が描かれます。妻はそんな夫を、私の一切を許してくれる存在と信じているが、夫の胸の内は違う。”なんぞ勘違いしてへんか・・・一切許すということは、一切期待していないということや”文句をいうのは、まだ見どころがあると期待しているからだそうで。うちの夫もね、いろいろうるさいんですわ。私の家事のでき具合についてぶつぶつと。それでケンカになった時に、正にこの言葉が返ってきましたよ。「期待なんかしてくれるな!」って返しましたけど。

 この作品を読んでたらね、そういうもんなんやーって。ここ数年の間に、私が気になっていた夫婦間の行き違いが、怖いくらいに描写されていました。”妻が薦める本なんか読みたくない。それが男心や!”って。私はね、夫がカワイクないからやと思てたんですよ。普段の言動がそうやから。でも、そういうもんやよって言われたら、反論の余地ナシです。”女は男心がわかってない。男は自分が女心をわかってないのを心得とる”って。はぁ~もう耳痛い。この一文は、収録作品に繰り返し出てきますね。お聖さんこだわりの言い分なんでしょう。男は何のために生きているか?なんて問いもでてきます。女のためと。じゃあ、女は何のために生きているか?男のためとは書いてませんでした。確かに私、ケンカの時に夫へ向かって叫びましたもん。「自分のためよー!!」そりゃ噛み合わんわな~。夫がトホホとなる気持ちも、少しはわかりました。

 はい、これにて一件落着~ってか。それでは、今宵はこの辺で♪