JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

夫婦再生(前編)

2008年02月08日 15時37分00秒 | 夫婦
  ’もう一度、妻を口説こう’私たちの世代をターゲットにしたCDが、去年売り出されました。『R35』というアルバムです。チャゲ&飛鳥の『SAY YES』、米米CLUBの『君がいるだけで』、藤井フミヤの『TRUE LOVE』など、ドラマやCMを通して90年代前半にヒットした恋の名曲を集めたものでした。実は、このアルバムの宣伝通り、夫に再び口説かれまして・・・。一体何から、妻を取り戻したかったのか(笑)。お仲間さんにこの話をしましたらね、「夫君は、じんちゃんの扱いに気を遣っているのでしょうね?」と。なんやえらい哀れな男みたいに見えるでしょう?(うんうんと頷くな!) 違うんですよ。ここへ至るまでに、紆余曲折があったんです。それはまた、別の話。

 こう見えて?私、従順な妻でした。えーっと驚かれる方がほとんどでしょうが、現にそうなんだから仕方ない。人に逆らって波風をたてるという行為は、しない方だと思います。リアルの世界ではね。ただ自分という強固な核があって、どうしても納得できないことには従いたくない。そういう時には、逆らいもしないが従わない。そんなスタンスをとってきました。ただしこれは、余程の時にしか出さないカードです。相手方にも、ちょっとどうよ!っていう部分がある場合ね。

 夫はねぇ、思ったことがすぐ口に出る。この場面でその言葉を吐いて、何が楽しいのん?みたいな。家族でハウステンボスへ行ったんですよ。博多から長崎まで、ハウステンボス号というかわいらしい列車に乗り、駅について改札を出たら、風車が見えるんです。瀟洒なホテルも。ちょっとした別世界なんですよ。つい嬉しくなって「わ~い、風車だぁ」って走り出そうとしたら、「どうせモーターで回ってんだろ」。ふぅ~。喜び半減。久しぶりに鯛を買ってきたんですよ。小さいのを二つ、塩焼きにして、四人家族だから分け合って食べてたんです。息子が一口食べて「この鯛うめっ!あ~幸せだなぁ」とうっとりしていたら、「どうせ養殖だろ」。

 笑い事ちゃいますよ。すべてがこの調子。小さな幸せに水を差すんです。言うたら悪いけどねぇ、私は人に自慢できる学歴であるとか、勤め先であるとか、あるいは家柄とか、そういうものを捨てて夫を選んだんです。人にどう思われるかより、自分がどう思うかでええよな。対外的な満足感なんかいらん。日常の中に幸せがあれば、それでいい。せっかくのご縁、大切にしようじゃないか。そういうつもりで嫁いできました。その為には、親も泣かせました。父は私の考えを理解してくれる人でしたが、母は少し見栄っ張りな所もあって、「この結婚には納得がいかない」と言い張っていました。仕方ありません。母には母の立場があり、私への期待もあり、親と子の歴史もありましたから。一人娘だったので、とりわけ思い入れもあったでしょう。「大きなことを望んでいる訳ではないの。せめてもうちょっと、何とかならないの?」母の気持ちは痛いほどわかりましたが、こればかりはどうしようもありませんでした。ココリコの遠藤と離婚した千秋の気持ちも、少しだけわかるな。私はあんなお嬢様じゃないけれど。(彼女の立場を理解してあげてほしかった。遠藤くんには。)

 夫の元へやってくるまで、私たち家族の中では、色んなドラマがあったのです。それぞれが、胸のうちで泣いていた。気張らん時代とはいえ、女性側の家族からすると娘を取られるという感覚は拭えない。関西から出て夫の親族が揃う名古屋へ行くという地理的な状況の所為で尚更でした。それでもね、結婚式では気持ちを収めて笑ってくれたんです。反対に、夫の両親は号泣でした。車で20分の所に居を移すのによ。いや、そんな感情じゃないんだ。今まで一つ屋根の下で暮らしてきた息子が、巣立っていく。よくぞここまで成長したなぁと、万感胸に迫るものがあった。そんな所かもしれませんが、泣き過ぎだ!はっきり言って友人たち、失笑してましたから~。(トホホ)

 私の両親を慮って踏ん張ってくださいな、その後もいくつかの局面で感じました。’何を甘えてるんです’ キツい嫁ですかね。あまりに寂しい寂しいと連発されると、そう思いたくもなるんですよ。だって、すぐそこにいるのに。何かあった時に駆けつけられる距離。これって大きいですよ。ちっとも来てくれない・・・。現役は忙しいんです。そう思うのなら、そちらから来てください。うわっ、じんちゃんコワいな~ジャガー横田並みやな。こんな鬼嫁にいじめられて(口には出しませんで!いかな私でも)気の毒に。そう思うでしょ?けど、あちらさんもあちらさんなんです。息子が独立して家庭を構えた以上、もう少し遠慮してほしい。嫁を思い通りにしようったって無理ですよ。うちの親からすると、自分の娘さえ思うようにならなかったんだから。寂しさは、自ら解決するしかない。日頃の人との付き合い方とかね・・・ちゃんと種蒔いとかなって思うの。若いうちから。多少不自由ながらも動くことができる。美味しく食事もできる。夫婦ならではの楽しみを見つけてくださいな。一緒に行動できるお仲間さんも。たまには、みんなそろって♪それに不服はありません。しかしハナから当てにされるのはご遠慮したい。私たちには私たちの生活がありますから。寂しい人に振り回されたくありません。

 びっくりしたぁ?おいおい、ここのキャラと違うやないか。えっへへー。手を差し伸べるったって、やみくもにそんなことをしていたら、自分が崩壊します。相手は選んでるんだ。おそらく、いい気になって甘えてくる人には、手を差し伸べていないと思います。そうして、本当に大切な人だけよ。そこのアナタどきっとしない。

 決して夫の親族との付き合いを拒否していた訳ではないので、誤解なきよう。義父の顔を立て、その流儀を汲み、今の世の中そのやり方は歓迎されんねんけどなぁ!特に奥方には・・・と思われることにも、従ってきました。子どもが小さい間はお祝い事に招き、手料理でもてなしたりもしました。自分の親にはしてもらうばかりです。中々手が回りません。それでもよくしたものでね、10年経つうちに少しずつ状況も変わっていきまして、随分過ごし易くなりました。’2週間に1回’’月に1回’(←これ、結構重荷だったんですよ~)そんな訪問リズムは崩れました。会いたくなったら向こうも来るし、こちらからも子どもたち自らバスに乗って行く。私も自分の時間ができ、精神的に楽になって、義理の間の不満はうんと減りました。

 さて、夫ですがな。小さな幸せに水を差す夫。うちみたいな貧乏一家はねぇ、家族間のトークが娯楽の役割を果たすんですよ。静かな時は熱を出している時とトイレにこもっている時(何をか言わんや)という息子を筆頭に、日常から色んな話が出ます。息子が喋りだすと、負けん気の強い娘も口を開く。夕食時の会話は、家族間の交流や情報伝達や癒しや・・・娯楽以外の意味合いも兼ねてるんですよね。その会話の腰を折る。決して口数が多くない男がたまに口を開いたと思ったら、余計な一言なんだ。人のささやかな幸せに対してもそうです。ドラマを見ることが唯一の楽しみだったのに、ことごとく邪魔されました。誰しも’これさえ与えておけば機嫌よく物事が進行する’っていうものがあるでしょう?私にとっては、それがドラマ。かわいいものだったのよ。慣れない土地へ来て、一から人間関係を築いていって・・・ストレスだってたまります。本当は家事だって得意じゃないの。それでも頑張ってやってたの。息抜きくらいさせてよね。

 去年からネット活動を始めたでしょう?目くじらの矛先は、ネットへ変わりました。あれもダメ。これもダメ。妻が夢中になるもの、これ全部ダメ。極端な話ね、本を読んでいてもダメだったの。もう私、ブチ切れまして。反乱を起こしました・・・