この日記は、近いうちに削除しようと思っています。いつもみたいに少し・・・また少し・・・愛情を積み上げるように書いていないし、何より後ろ向きなので。オチもありません。為にもなりません。それでもよければ読んでください。
学生時代から書くことが好きでした。最初は、友人たちとリレー小説。その後は、テレビドラマに題材をとったパロディー小説。大層なもんちゃいますよ。所謂腐女子の世界です。男の集団が出てくる刑事モノなんか格好のネタでね、そこに倒錯愛を見つけて妄想を繰り広げるの。うしし。女子校の一部には、こうした世界へ興味を示す乙女たちがおりまして。彼女たちの欲望を満たすべく?小さな努力を重ねておりました・・・と、人の所為にしておりますが、本当は自分が書きたかった、それだけの話。
大学では、そうした趣味の世界が高じまして、文芸部へ所属していました。さすがにこうした場所には、その筋のスキモノが集まるのねぇ。お気楽な私は、底辺でゆらゆら。読書会では、フランソワーズ・サガン(『 悲しみよこんにちは』)なんかについて語るの。おフランスの作家など知らんちゅーねん。ああいう場で取り上げる作品には、なじめんかったなぁ。他校とも、一戦交えたりするんですよ。どうせ交えるなら、他のことで交えたい。後輩には、才能あふるる人材が何人かおりましてね、書くものでも話の内容でも、先をいってました。宴席で、ある後輩が江戸川乱歩について語っていたんですよ。話を継いでいたら、「先輩が仰ってるのは江戸川乱歩。私たちが話しているのはエドガー・アラン・ポー」なんて返された。アチャー!この頃から赤っ恥人生を歩んでいたのですね。尤も江戸川乱歩というペンネームは、推理小説の祖、ポーをもじったものだそうだから、大きく外れていた訳ではないんですよと、言い訳しておこう。
エッセイを書き出したのは、この頃。イタい短編小説に手を染めたものの、すぐにダメだと悟りました・・・。全くの絵空事を膨らませていく力はないの。だから今書いているのも、事実を基にした形式です。特殊な経験もしているので、「本当なの?」とよく聞かれるのですが、80%はそうだと解釈してください。あとの20%は~ ぐふふ、思い込みもあれば、勘違いもあるでしょう。それに、あくまで私の目線ですから。ちなみに私のお家芸は、早とちり。思い込みに、勘違いに、早とちり。散々だな。ああ道理で!と頷いた方、何人かいらっしゃいますね。間違いない。この要素で恋が始まり、そして終わるんです。 苦笑。(← 太宰治を気取ってみた)自分を道化にするのはやめよう。もう疲れた。ナルシストという訳ではないけれど、私は自分が好きでした。スットコドッコイな所もひっくるめて。よく言われているでしょう?明石家さんまが、自分の出演番組を見ながらケラケラ笑ってるって。あの気持ちわかるなぁ。一緒だもの。常に自分が一番の観客なの。今もこのエッセイ読み返して笑ってるよ。キモい!悪かったね。
そんな能天気女が、ある時から自信を持てなくなりました。折りしも、ある小説でこんな一文と出会ったんです。”愛される資格があれば生きるのも、また充分に資格ありとす”負けちゃだめですよ、あなたはまだ、人を惑わすだけのものを持っているのですから・・・かわいい部下が泣いてくれるのよ。(リストラされた課長と、彼をこっそり慕い続けていた女子社員の話なのです)思わずネタ帳にメモりましたねぇ。自分の存在を否定されるのは、そんな自分と向き合うのは辛いけれど、認めてくれる人がいたら救われる。そういう人を、大切にせなアカンね・・・。往々にして忘れがちになるの。それでも愛してくれる人がいることを。いや、そうじゃないか。自信がぐらついてるから、折角の支持も一時的な気休めにしかならない。心がほっこりして、「ありがとう!」って思って、先へ進みかけたのも束の間、また言いようのない感情が襲ってくる。その繰り返し。
そんな中、「やっぱり、じんちゃんが元気だと嬉しいわ♪」と言ってくれたお仲間さんがいました。’痛快’’熱血’ じんちゃんが行く!山田詠美のようにはいかないよぅ。まだまだ不惑の境地にはなれず、依然悩みまくりまくり。それでも彼女の一言はありがたく、そんな言葉をかけてもらえるに至った継続というのも、捨てたもんやないなぁと。コツコツ続けていくのは、決して容易くない。調子のいい時ばかりじゃなく、すべてを投げ出したくなることだって。それでもひょっこり、思いも寄らない小さな幸せや満足感を連れてくることがある。だから私は、書くこともCafeも、辞められないんだろうな。前向きでいることは難しい。それでも信じ続けること。それでも愛し続けること。一度ついた臆病虫、簡単に去ってくれません。だからといって、殻の中にいても変わらない。それを破るのは自分自身。縛りを解くのも。
最近こんな風に思うのです。Cafeは世の中の縮図だと。仮想世界というけれど、その空間を作り上げているのは生身の人間。本質的な部分は変わらないんじゃないかな。多少違ったキャラを演じていても、行動パターンはそうそう変えられるものではないから・・・。’Cafe侮るべからず’と感じておりますヨ。(ここでの行状、ちゃ~んと?現実世界へも反映してくるのだ)
愛し方を間違っているのだろうか、係わり方を間違っているのだろうか、悩めることもありますが、ここに留まりますネ。うるさい存在、目の上のたんこぶ、一人はおらな。(爆)
なんか元気でてきた。やっぱり削除はやめよう。最後までお付き合いくださってありがとう♪
学生時代から書くことが好きでした。最初は、友人たちとリレー小説。その後は、テレビドラマに題材をとったパロディー小説。大層なもんちゃいますよ。所謂腐女子の世界です。男の集団が出てくる刑事モノなんか格好のネタでね、そこに倒錯愛を見つけて妄想を繰り広げるの。うしし。女子校の一部には、こうした世界へ興味を示す乙女たちがおりまして。彼女たちの欲望を満たすべく?小さな努力を重ねておりました・・・と、人の所為にしておりますが、本当は自分が書きたかった、それだけの話。
大学では、そうした趣味の世界が高じまして、文芸部へ所属していました。さすがにこうした場所には、その筋のスキモノが集まるのねぇ。お気楽な私は、底辺でゆらゆら。読書会では、フランソワーズ・サガン(『 悲しみよこんにちは』)なんかについて語るの。おフランスの作家など知らんちゅーねん。ああいう場で取り上げる作品には、なじめんかったなぁ。他校とも、一戦交えたりするんですよ。どうせ交えるなら、他のことで交えたい。後輩には、才能あふるる人材が何人かおりましてね、書くものでも話の内容でも、先をいってました。宴席で、ある後輩が江戸川乱歩について語っていたんですよ。話を継いでいたら、「先輩が仰ってるのは江戸川乱歩。私たちが話しているのはエドガー・アラン・ポー」なんて返された。アチャー!この頃から赤っ恥人生を歩んでいたのですね。尤も江戸川乱歩というペンネームは、推理小説の祖、ポーをもじったものだそうだから、大きく外れていた訳ではないんですよと、言い訳しておこう。
エッセイを書き出したのは、この頃。イタい短編小説に手を染めたものの、すぐにダメだと悟りました・・・。全くの絵空事を膨らませていく力はないの。だから今書いているのも、事実を基にした形式です。特殊な経験もしているので、「本当なの?」とよく聞かれるのですが、80%はそうだと解釈してください。あとの20%は~ ぐふふ、思い込みもあれば、勘違いもあるでしょう。それに、あくまで私の目線ですから。ちなみに私のお家芸は、早とちり。思い込みに、勘違いに、早とちり。散々だな。ああ道理で!と頷いた方、何人かいらっしゃいますね。間違いない。この要素で恋が始まり、そして終わるんです。 苦笑。(← 太宰治を気取ってみた)自分を道化にするのはやめよう。もう疲れた。ナルシストという訳ではないけれど、私は自分が好きでした。スットコドッコイな所もひっくるめて。よく言われているでしょう?明石家さんまが、自分の出演番組を見ながらケラケラ笑ってるって。あの気持ちわかるなぁ。一緒だもの。常に自分が一番の観客なの。今もこのエッセイ読み返して笑ってるよ。キモい!悪かったね。
そんな能天気女が、ある時から自信を持てなくなりました。折りしも、ある小説でこんな一文と出会ったんです。”愛される資格があれば生きるのも、また充分に資格ありとす”負けちゃだめですよ、あなたはまだ、人を惑わすだけのものを持っているのですから・・・かわいい部下が泣いてくれるのよ。(リストラされた課長と、彼をこっそり慕い続けていた女子社員の話なのです)思わずネタ帳にメモりましたねぇ。自分の存在を否定されるのは、そんな自分と向き合うのは辛いけれど、認めてくれる人がいたら救われる。そういう人を、大切にせなアカンね・・・。往々にして忘れがちになるの。それでも愛してくれる人がいることを。いや、そうじゃないか。自信がぐらついてるから、折角の支持も一時的な気休めにしかならない。心がほっこりして、「ありがとう!」って思って、先へ進みかけたのも束の間、また言いようのない感情が襲ってくる。その繰り返し。
そんな中、「やっぱり、じんちゃんが元気だと嬉しいわ♪」と言ってくれたお仲間さんがいました。’痛快’’熱血’ じんちゃんが行く!山田詠美のようにはいかないよぅ。まだまだ不惑の境地にはなれず、依然悩みまくりまくり。それでも彼女の一言はありがたく、そんな言葉をかけてもらえるに至った継続というのも、捨てたもんやないなぁと。コツコツ続けていくのは、決して容易くない。調子のいい時ばかりじゃなく、すべてを投げ出したくなることだって。それでもひょっこり、思いも寄らない小さな幸せや満足感を連れてくることがある。だから私は、書くこともCafeも、辞められないんだろうな。前向きでいることは難しい。それでも信じ続けること。それでも愛し続けること。一度ついた臆病虫、簡単に去ってくれません。だからといって、殻の中にいても変わらない。それを破るのは自分自身。縛りを解くのも。
最近こんな風に思うのです。Cafeは世の中の縮図だと。仮想世界というけれど、その空間を作り上げているのは生身の人間。本質的な部分は変わらないんじゃないかな。多少違ったキャラを演じていても、行動パターンはそうそう変えられるものではないから・・・。’Cafe侮るべからず’と感じておりますヨ。(ここでの行状、ちゃ~んと?現実世界へも反映してくるのだ)
愛し方を間違っているのだろうか、係わり方を間違っているのだろうか、悩めることもありますが、ここに留まりますネ。うるさい存在、目の上のたんこぶ、一人はおらな。(爆)
なんか元気でてきた。やっぱり削除はやめよう。最後までお付き合いくださってありがとう♪