「世界は日々変化している。毎日時間が来ると夜が明ける。でもそこにあるのは、昨日と同じ世界ではない。」 (BY 村上春樹 『海辺のカフカ』)
この言葉を胸に、自分にとって旬の話をしようと思います。とにかく書いてみる。そのうち動き出すモノがあるだろう。
エッセイの更新が停滞しております。創作のタイミングも難しいのですよ。暇はあるのにネタがない。ネタはあるのに時間がない。恋と一緒で、入れ込んでいる時には、どんな隙間をも見つけ出すのでしょうけど。
お仲間さんとの交流から刺激を受け、それなりのペースで書き綴っていた数年前。あれは、かなり異常な状況下やったんです。’自分の生活’ という観点で、振り返ってみるとね。妻の心、母の心、ここにあらず。そんな有様が続いていました。
やがて迎えた父の死。そういった渦中に、引き受けた役員活動。口実を設けて逃げることはできたけれど 、’当たったもんは、しょうがない。これも何かの導きやろ’ なんて解釈してね。結果的には、こうした活動を通じて自分を取り戻していったので、良い巡り合わせだったのかもしれません。
蓋を開けてみれば…「あなた、実家の用事で忙しい時でしょう。」役員仲間が予想以上に動いてくれ、「ちと待ってくれ~~~。」いやはや頼もし過ぎる。置いてけぼりになるかと思った。適度に甘えるのが、人間関係で潤滑油の機能を果たすのを、身を持って知りました。周囲の人たちも、頼られることで自らの役割を認識したり・・・お互い支え合って、成り立っているモノなんですね。
ネットのお仲間さんには、こんな言葉をかけてもらっていました。「甘え下手なんて勿体無い。それは女性の特権の7割方損をしているよ。」「異性には頼る。同性には甘える。自分は、この方法で上手くやってきた気がします。」現実世界において、自らを追い込まずにおく一つの方向性を、示してくれたようでした。
行き場のない感情を、細やかな心遣いで掬い取る。そういった関係から離れる結果となっていましたが、当時の私には、それでよかったのでしょう。生きていれば嫌なこと、しんどいこと、勿論出て来るけれど、そんな部分で繋がっていたくない。やがては、その通過点を超え、歩き出さなくてはなりません。失った自信は、リアルで回復するしかないのですから。
こうして仲間や家族の助けを借りつつ、日々粛々と、為すべきことを為すうち、ある転機がやってきたんです。私を取り巻く環境は一変し、さらにそこから、様々な出来事が生じました。結局は、好きなことから世界が広がっていくんですねぇ。ドラマ・音楽・本・そしてエッセイ。さて、どんな体験をしたのか、ご紹介しましょう。
【 江頭美智留 フォーラム (((o(*゚▽゚*)o)))WAKUWAKU 】
『ごくせん』『1リットルの涙』の脚本家が、母校の学祭へやってきた!ドラマ好きと言えど、自分なりの支持傾向や、拘りがあるのでね、江頭さんじゃなければ、会場へ足を運んでいたかどうか・・・。その位、’お話を聞いてみたい’ と、心から思える人でした。
脚本家になるきっかけ、代表作にまつわるエピソード、制作環境の今昔etc。一つ一つの話に、耳を傾けました。関心をもって、眺め続けてきた世界。そこへ身を置いておられる方の、生の声です。自分自身、創作活動について、あれこれ考えていた時期でもあり (『恋愛戯曲』という映画を観たりしてね)、尚のこと心に触れたのかな。
「その時の自分にできたのが、書くことだった。」好きな分野に、時間の許す限り没頭できれば、誰しも幸せでしょう。が、これがなかなか難しい。生活していると、何らかのしがらみを、抱えてしまうものです。しかし、そのしがらみこそが、創作の糧になる。家族の介護で、外で働ける状況になかった江頭さんは、偶然目にしたシナリオコンクールに応募するべく、執筆を開始します。学生時代の演劇経験が、彼女の背中を押したのでした。
運の開ける萌芽は、どこに潜んでいるかわからない。最初から脚本家を目指していたら・・・家庭に縛られる状況じゃなければ・・・同じ道を歩んだのでしょうか?万全の態勢で臨めなくとも、勝負はできる。決してクサることなく、いつでもチャンスを捉えられるよう、自分の中のアンテナを立てておく。そういう姿勢が大切なのではないか、と感じました。
代表作や制作環境のお話も魅力的だったのですが、思い入れのある作品というのが、興味深かった。『Pure Soul~君が僕を忘れても~』と『凍りつく夏』。じんちゃんはねー『凍りつく夏』が、大好きでした!!’おお~あのドラマも、あなたでしたか’ って、ちょっとした感動に包まれましたね。ちなみに、『Pure Soul~君が僕を忘れても~』は、後に韓国で映画化され、話題になった作品。『私の頭の中の消しゴム』。このタイトルなら、聞き覚えのある方も、いらっしゃるのでは?
フォーラムなんて言うと、堅苦しい討論会のようですが、イケメン兄さん (当日の進行役) のライブで幕を開け、若者にも親しみ易い形式となっていました。現役の学生たちと、教室で肩を並べてお話を聞くのは、楽しい体験だったな。ちなみに、この後講堂では桐谷健太のトークショーが。 ひっそりと、『ごくせん』VS『ROOKIES』対決になっていたのね(笑)。
【 南 佳孝 レストランLIVE・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・ 】
数年前に、『捨てる! 技術』なんて本が流行りました。そういった流れを組むのでしょうか。去年あたりから、断捨離というワードが話題に上っております。女性週刊誌ではナント!その秘伝が、袋とじにまでなっているんですよ。悩まし過ぎる。
今の自分に必要なモノ ・ そうでないモノを見直す機会。私はそんな風に捉えています。随分たくさん溜め込んできたもんなぁ。気づけば、新たなものを収めるスペースが、なくなっていました。これは勿体無い。活かせるはずの空間を、ふさいでいるなんて。という訳で、まずは身辺の整理から。
手紙類に始まり、レコード・カセットテープといった音楽関係、写真にも手をつけました。本当はね、あれこれ思い出さず、処分品は袋の中へ、さっさか放り込んでいくのがいいらしい。でも、それはできなくて。時間はかかれど、吟味しながら手放すことに。やっぱり、納得のいく形で送りたいのよ。最後の対面を済ませてね。
身の丈合わなくなった品に、区切りをつける一方で、改めて魅力を確認したモノも。リビングでは、数十年ぶりにレコードの音色が響き渡りました。テープ、CD・・・その後も、音楽媒体はさらなる進化を続けていますが、この年齢になると、必ずしも最新鋭がいいとは思わなくなった。それよりは、上質の音楽をじっくり味わいたい。レコードの深みのあるサウンド、まことに心地よしヨ。
そうして、断捨離作業にいそしむうち、予期せぬ風が。しばらくぶりにそのアルバムを聴き直していた南佳孝さんのLIVEが、近日中に行われるのを知ったのです。私にとって、馴染みのある街でー
開港に伴って造られた外国人の為のエリアには、異国情緒漂うレトロな建物が並ぶ。駅周辺の喧騒から離れるに従い、オトナの佇まいといった風情をまといゆく街並み。高級ブティックが軒を連ねる通りには、レストランやカフェもちらほら。そんなうちの一つ、元英国銀行を改装して作ったレストランが、LIVEの舞台である。重厚な石造りのビルには飾り気がなく、そこに店舗があるのもわからぬ位だが、趣ある回転扉から中へ入ると、素敵な空間が広がっていた・・・。
スキッと高い吹き抜けの天井・大理石の壁は、適度に時代を帯び、品良く収まっている。「うわぁ~こんな所で食事ができるの!?歌や演奏が聴けるの!?」LIVE開始まで約2時間。食事をとりながら、まったりと過ごす。コンサートホールやライブハウスとは、いささか異なる趣向だが、落ち着いた年齢層に、ふさわしい展開だ。
座席はテーブル席、若しくはカウンター席を、自由に選択。じんちゃんは、ステージ中央の真ん前の席をゲットしたよ♪ぐるり周囲を見回すと、往年のファンもいれば、比較的若い世代で、ギターから入ったのだろうか・・・佳孝さんの演奏に熱心に耳を傾けるファンもいて、嬉しくなってしまった。
LIVEで人気のある曲を中心に構成されていて、最近の動向を知らなくとも、ついていける内容。『スローなブギにしてくれ』と『モンロー・ウォーク』しかわからん言うてた夫が、それなりに楽しんでましたから。’佳孝節’ は健在でした!歌い出すと、醸し出される色気も。かつて夢中になったミュージシャン、大きなホールでLIVEを続ける人たちもいるけれど、佳孝さんのスタイル、それはそれで年齢が上がったファンに優しい。
美味しい食事やお酒を楽しみながら、好きな音楽が聴けるなんて、極上の癒し空間♪帰りには、ご本人と言葉を交わしてしまった。相手はもうええ歳したオッチャンやったりするのですが、幸福な瞬間だったナ。そりゃもう、繰り返し聴いていましたもの。お酒の名前、懐かしの名画、男と女の情景、彼の歌を通して学んでいったことは数知れず・・・そんな相手と、言葉や想いを伝え合えるって感無量だわ。
ちなみに、このレストランLIVE。縁あって成立した、特別企画だそうで。そんな場に立ち会えて、本当にラッキーだったと感じています。人生、何がキッカケになるかわからない。 発端は ’断捨離’ ですから。さて、残ったモノはいい形で蘇ったし、今度は作った空間に、どんなモノを入れていこう。
この言葉を胸に、自分にとって旬の話をしようと思います。とにかく書いてみる。そのうち動き出すモノがあるだろう。
エッセイの更新が停滞しております。創作のタイミングも難しいのですよ。暇はあるのにネタがない。ネタはあるのに時間がない。恋と一緒で、入れ込んでいる時には、どんな隙間をも見つけ出すのでしょうけど。
お仲間さんとの交流から刺激を受け、それなりのペースで書き綴っていた数年前。あれは、かなり異常な状況下やったんです。’自分の生活’ という観点で、振り返ってみるとね。妻の心、母の心、ここにあらず。そんな有様が続いていました。
やがて迎えた父の死。そういった渦中に、引き受けた役員活動。口実を設けて逃げることはできたけれど 、’当たったもんは、しょうがない。これも何かの導きやろ’ なんて解釈してね。結果的には、こうした活動を通じて自分を取り戻していったので、良い巡り合わせだったのかもしれません。
蓋を開けてみれば…「あなた、実家の用事で忙しい時でしょう。」役員仲間が予想以上に動いてくれ、「ちと待ってくれ~~~。」いやはや頼もし過ぎる。置いてけぼりになるかと思った。適度に甘えるのが、人間関係で潤滑油の機能を果たすのを、身を持って知りました。周囲の人たちも、頼られることで自らの役割を認識したり・・・お互い支え合って、成り立っているモノなんですね。
ネットのお仲間さんには、こんな言葉をかけてもらっていました。「甘え下手なんて勿体無い。それは女性の特権の7割方損をしているよ。」「異性には頼る。同性には甘える。自分は、この方法で上手くやってきた気がします。」現実世界において、自らを追い込まずにおく一つの方向性を、示してくれたようでした。
行き場のない感情を、細やかな心遣いで掬い取る。そういった関係から離れる結果となっていましたが、当時の私には、それでよかったのでしょう。生きていれば嫌なこと、しんどいこと、勿論出て来るけれど、そんな部分で繋がっていたくない。やがては、その通過点を超え、歩き出さなくてはなりません。失った自信は、リアルで回復するしかないのですから。
こうして仲間や家族の助けを借りつつ、日々粛々と、為すべきことを為すうち、ある転機がやってきたんです。私を取り巻く環境は一変し、さらにそこから、様々な出来事が生じました。結局は、好きなことから世界が広がっていくんですねぇ。ドラマ・音楽・本・そしてエッセイ。さて、どんな体験をしたのか、ご紹介しましょう。
【 江頭美智留 フォーラム (((o(*゚▽゚*)o)))WAKUWAKU 】
『ごくせん』『1リットルの涙』の脚本家が、母校の学祭へやってきた!ドラマ好きと言えど、自分なりの支持傾向や、拘りがあるのでね、江頭さんじゃなければ、会場へ足を運んでいたかどうか・・・。その位、’お話を聞いてみたい’ と、心から思える人でした。
脚本家になるきっかけ、代表作にまつわるエピソード、制作環境の今昔etc。一つ一つの話に、耳を傾けました。関心をもって、眺め続けてきた世界。そこへ身を置いておられる方の、生の声です。自分自身、創作活動について、あれこれ考えていた時期でもあり (『恋愛戯曲』という映画を観たりしてね)、尚のこと心に触れたのかな。
「その時の自分にできたのが、書くことだった。」好きな分野に、時間の許す限り没頭できれば、誰しも幸せでしょう。が、これがなかなか難しい。生活していると、何らかのしがらみを、抱えてしまうものです。しかし、そのしがらみこそが、創作の糧になる。家族の介護で、外で働ける状況になかった江頭さんは、偶然目にしたシナリオコンクールに応募するべく、執筆を開始します。学生時代の演劇経験が、彼女の背中を押したのでした。
運の開ける萌芽は、どこに潜んでいるかわからない。最初から脚本家を目指していたら・・・家庭に縛られる状況じゃなければ・・・同じ道を歩んだのでしょうか?万全の態勢で臨めなくとも、勝負はできる。決してクサることなく、いつでもチャンスを捉えられるよう、自分の中のアンテナを立てておく。そういう姿勢が大切なのではないか、と感じました。
代表作や制作環境のお話も魅力的だったのですが、思い入れのある作品というのが、興味深かった。『Pure Soul~君が僕を忘れても~』と『凍りつく夏』。じんちゃんはねー『凍りつく夏』が、大好きでした!!’おお~あのドラマも、あなたでしたか’ って、ちょっとした感動に包まれましたね。ちなみに、『Pure Soul~君が僕を忘れても~』は、後に韓国で映画化され、話題になった作品。『私の頭の中の消しゴム』。このタイトルなら、聞き覚えのある方も、いらっしゃるのでは?
フォーラムなんて言うと、堅苦しい討論会のようですが、イケメン兄さん (当日の進行役) のライブで幕を開け、若者にも親しみ易い形式となっていました。現役の学生たちと、教室で肩を並べてお話を聞くのは、楽しい体験だったな。ちなみに、この後講堂では桐谷健太のトークショーが。 ひっそりと、『ごくせん』VS『ROOKIES』対決になっていたのね(笑)。
【 南 佳孝 レストランLIVE・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・ 】
数年前に、『捨てる! 技術』なんて本が流行りました。そういった流れを組むのでしょうか。去年あたりから、断捨離というワードが話題に上っております。女性週刊誌ではナント!その秘伝が、袋とじにまでなっているんですよ。悩まし過ぎる。
今の自分に必要なモノ ・ そうでないモノを見直す機会。私はそんな風に捉えています。随分たくさん溜め込んできたもんなぁ。気づけば、新たなものを収めるスペースが、なくなっていました。これは勿体無い。活かせるはずの空間を、ふさいでいるなんて。という訳で、まずは身辺の整理から。
手紙類に始まり、レコード・カセットテープといった音楽関係、写真にも手をつけました。本当はね、あれこれ思い出さず、処分品は袋の中へ、さっさか放り込んでいくのがいいらしい。でも、それはできなくて。時間はかかれど、吟味しながら手放すことに。やっぱり、納得のいく形で送りたいのよ。最後の対面を済ませてね。
身の丈合わなくなった品に、区切りをつける一方で、改めて魅力を確認したモノも。リビングでは、数十年ぶりにレコードの音色が響き渡りました。テープ、CD・・・その後も、音楽媒体はさらなる進化を続けていますが、この年齢になると、必ずしも最新鋭がいいとは思わなくなった。それよりは、上質の音楽をじっくり味わいたい。レコードの深みのあるサウンド、まことに心地よしヨ。
そうして、断捨離作業にいそしむうち、予期せぬ風が。しばらくぶりにそのアルバムを聴き直していた南佳孝さんのLIVEが、近日中に行われるのを知ったのです。私にとって、馴染みのある街でー
開港に伴って造られた外国人の為のエリアには、異国情緒漂うレトロな建物が並ぶ。駅周辺の喧騒から離れるに従い、オトナの佇まいといった風情をまといゆく街並み。高級ブティックが軒を連ねる通りには、レストランやカフェもちらほら。そんなうちの一つ、元英国銀行を改装して作ったレストランが、LIVEの舞台である。重厚な石造りのビルには飾り気がなく、そこに店舗があるのもわからぬ位だが、趣ある回転扉から中へ入ると、素敵な空間が広がっていた・・・。
スキッと高い吹き抜けの天井・大理石の壁は、適度に時代を帯び、品良く収まっている。「うわぁ~こんな所で食事ができるの!?歌や演奏が聴けるの!?」LIVE開始まで約2時間。食事をとりながら、まったりと過ごす。コンサートホールやライブハウスとは、いささか異なる趣向だが、落ち着いた年齢層に、ふさわしい展開だ。
座席はテーブル席、若しくはカウンター席を、自由に選択。じんちゃんは、ステージ中央の真ん前の席をゲットしたよ♪ぐるり周囲を見回すと、往年のファンもいれば、比較的若い世代で、ギターから入ったのだろうか・・・佳孝さんの演奏に熱心に耳を傾けるファンもいて、嬉しくなってしまった。
LIVEで人気のある曲を中心に構成されていて、最近の動向を知らなくとも、ついていける内容。『スローなブギにしてくれ』と『モンロー・ウォーク』しかわからん言うてた夫が、それなりに楽しんでましたから。’佳孝節’ は健在でした!歌い出すと、醸し出される色気も。かつて夢中になったミュージシャン、大きなホールでLIVEを続ける人たちもいるけれど、佳孝さんのスタイル、それはそれで年齢が上がったファンに優しい。
美味しい食事やお酒を楽しみながら、好きな音楽が聴けるなんて、極上の癒し空間♪帰りには、ご本人と言葉を交わしてしまった。相手はもうええ歳したオッチャンやったりするのですが、幸福な瞬間だったナ。そりゃもう、繰り返し聴いていましたもの。お酒の名前、懐かしの名画、男と女の情景、彼の歌を通して学んでいったことは数知れず・・・そんな相手と、言葉や想いを伝え合えるって感無量だわ。
ちなみに、このレストランLIVE。縁あって成立した、特別企画だそうで。そんな場に立ち会えて、本当にラッキーだったと感じています。人生、何がキッカケになるかわからない。 発端は ’断捨離’ ですから。さて、残ったモノはいい形で蘇ったし、今度は作った空間に、どんなモノを入れていこう。