鴻上尚史さん監督・脚本の『恋愛戯曲』を観た。B級映画なのに(←スンマセンっ)、涙が止まらなかった。ヒロインであるガケっぷち脚本家の感情一つ一つが、どこか覚えのあるもので(なんて言うと、ちょっとおこがましいかな)、つい引き込まれてしまったのだ。
表現の世界に生息している人間。とりわけ、身を削るように創作活動を行っている人間にとって、笑えないシチュエーションや、切実な問題が描かれていて、面白く拝見した。-ただし、『ザ・マジックアワー』における三谷幸喜ほど通俗的な娯楽に昇華させるのが巧みではなく、そういう環境にない人が観てどこまで楽しめるか、感情移入できるか疑問なのだが-
徹底したエンターティメントという観点で捉えるなら、出来のいい作品とは言えない。全編に’ベタやな~’’アホくさー’感がつきまとい、設定の甘さも否めない。しかし映画の魅力は、内容の良し悪しだけでは量れないのだ。多くの人間に満足感を与えなくとも、誰かの心に訴えかける要素があれば、その人にとって印象に残る映画となる。私は、今の自分がこの作品に出会えたことに、感謝したい。
シナリオ〆切まで、あと5日。仕事の進行を促しに来た初対面のプロデューサー(椎名桔平)へ、ヒロイン(深田恭子)は突如爆弾を投下する。「じゃあ、私と恋に落ちて。」「はっ?」そりゃ びっくりするよね。けどこうした言葉を放つのは、彼女自身そういった状況から生み出されるモノが、大きな力となり得ることがわかっているからだ。
power of love。化学反応の如く、AとBが触発されスパークする瞬間ってあると思う。やがて舞い落ちるカケラをかき集め、そこから自分なりのメッセージを掬い取り、文字にしていく・・・その舞台が必ずしも恋愛である必要はないが、身近で分かり易いきっかけなのは、確かだろう。
自らの経験を刻むスタイルだけでは、限界が訪れる。作家の小川洋子さん(『博士の愛した数式』原作者)も、指摘していた。「に比べて、想像の世界は無限大なのです。」だけどもね、そこで羽ばたける翼(資質)を持っていなければ、無理なんだ。「結局自分を書き続けているの。想像力のない脚本家なのよ。」こうした心持ちは、痛いほどわかる。自信満々に映っていた彼女の、それが裏の顔なのだった。
外から見た世界と実情は違う。その姿は、かつての仕事上のパートナーである男性(鈴木一真)の言葉からも、浮き彫りになる。「彼女は、孤独な女王さまだったんです。」己の才能を信じ切れず、輝きを失った時、周囲にいる人たちも離れていってしまうのではないか・・・そんな怯えの中で、心から甘えられる人を求めていたのだろうと、彼は後に気付くのだ。
自分を生かす道を見つけられるのは、幸福なことだと思う。しかし道を進むうち、時に霧の中へ迷い込んでしまったりする。そこから抜け出すのは本人次第だが、この人の声なら聴けるかなという相手が傍にいると・・・いいよね。
その場限りの優しさで、彼女が望む言葉を口にするイケメンくん(塚本高史)より、 時に反目しあっても、心からのメッセージを伝え続けたプロデューサーを、やがて彼女は受け入れていく。インスピレーションを得る糸口にと仕掛けた’虚’の恋愛から、さてどんな’実’がこぼれるのか。
「書く為に恋に落ちるんじゃない。書くことが、恋した証なんです。」このセリフは、私の心を救ってくれた。好きな道を歩んでいく上で、だからこその拘り、苛立ち、悲しみetc・・・といった感情を抱えてしまう時がある。それが引き金になって関係がこじれたり、苦い経験だって幾度かした。それでも、書き続けるのか?
美しい面ばかりをなぞれる訳じゃない。物事の本質を描こうとすれば、醜い面をさらす結果にもなるだろう。自分だけでなく、周囲もね。そんな戸惑いが- 少し吹っ切れた。 黙っていても想いは伝わらない。傷つくこと、傷つけることを恐れていては、関係を深めることもできない。人と人とをつなぐ文字という手段を、信じてみよう。
瀬戸際に立ってる女ってのは、無意識に男の気を惹くもんだ。それを愛情と勘違いしてしまう場面もあってな。よく考えることだな。(BY 北方謙三『黒いドレスの女』より)北方語録は興味深い。映画の中の椎名桔平さんに、教えてあげなくちゃ♪
表現の世界に生息している人間。とりわけ、身を削るように創作活動を行っている人間にとって、笑えないシチュエーションや、切実な問題が描かれていて、面白く拝見した。-ただし、『ザ・マジックアワー』における三谷幸喜ほど通俗的な娯楽に昇華させるのが巧みではなく、そういう環境にない人が観てどこまで楽しめるか、感情移入できるか疑問なのだが-
徹底したエンターティメントという観点で捉えるなら、出来のいい作品とは言えない。全編に’ベタやな~’’アホくさー’感がつきまとい、設定の甘さも否めない。しかし映画の魅力は、内容の良し悪しだけでは量れないのだ。多くの人間に満足感を与えなくとも、誰かの心に訴えかける要素があれば、その人にとって印象に残る映画となる。私は、今の自分がこの作品に出会えたことに、感謝したい。
シナリオ〆切まで、あと5日。仕事の進行を促しに来た初対面のプロデューサー(椎名桔平)へ、ヒロイン(深田恭子)は突如爆弾を投下する。「じゃあ、私と恋に落ちて。」「はっ?」そりゃ びっくりするよね。けどこうした言葉を放つのは、彼女自身そういった状況から生み出されるモノが、大きな力となり得ることがわかっているからだ。
power of love。化学反応の如く、AとBが触発されスパークする瞬間ってあると思う。やがて舞い落ちるカケラをかき集め、そこから自分なりのメッセージを掬い取り、文字にしていく・・・その舞台が必ずしも恋愛である必要はないが、身近で分かり易いきっかけなのは、確かだろう。
自らの経験を刻むスタイルだけでは、限界が訪れる。作家の小川洋子さん(『博士の愛した数式』原作者)も、指摘していた。「に比べて、想像の世界は無限大なのです。」だけどもね、そこで羽ばたける翼(資質)を持っていなければ、無理なんだ。「結局自分を書き続けているの。想像力のない脚本家なのよ。」こうした心持ちは、痛いほどわかる。自信満々に映っていた彼女の、それが裏の顔なのだった。
外から見た世界と実情は違う。その姿は、かつての仕事上のパートナーである男性(鈴木一真)の言葉からも、浮き彫りになる。「彼女は、孤独な女王さまだったんです。」己の才能を信じ切れず、輝きを失った時、周囲にいる人たちも離れていってしまうのではないか・・・そんな怯えの中で、心から甘えられる人を求めていたのだろうと、彼は後に気付くのだ。
自分を生かす道を見つけられるのは、幸福なことだと思う。しかし道を進むうち、時に霧の中へ迷い込んでしまったりする。そこから抜け出すのは本人次第だが、この人の声なら聴けるかなという相手が傍にいると・・・いいよね。
その場限りの優しさで、彼女が望む言葉を口にするイケメンくん(塚本高史)より、 時に反目しあっても、心からのメッセージを伝え続けたプロデューサーを、やがて彼女は受け入れていく。インスピレーションを得る糸口にと仕掛けた’虚’の恋愛から、さてどんな’実’がこぼれるのか。
「書く為に恋に落ちるんじゃない。書くことが、恋した証なんです。」このセリフは、私の心を救ってくれた。好きな道を歩んでいく上で、だからこその拘り、苛立ち、悲しみetc・・・といった感情を抱えてしまう時がある。それが引き金になって関係がこじれたり、苦い経験だって幾度かした。それでも、書き続けるのか?
美しい面ばかりをなぞれる訳じゃない。物事の本質を描こうとすれば、醜い面をさらす結果にもなるだろう。自分だけでなく、周囲もね。そんな戸惑いが- 少し吹っ切れた。 黙っていても想いは伝わらない。傷つくこと、傷つけることを恐れていては、関係を深めることもできない。人と人とをつなぐ文字という手段を、信じてみよう。
瀬戸際に立ってる女ってのは、無意識に男の気を惹くもんだ。それを愛情と勘違いしてしまう場面もあってな。よく考えることだな。(BY 北方謙三『黒いドレスの女』より)北方語録は興味深い。映画の中の椎名桔平さんに、教えてあげなくちゃ♪
より高く飛ぶためには、より深く膝を折らないといけないんだよ。きっと
K-OAKの話になっちゃうんだけれど、
只今、低迷中。
前回のライブ以降、ギクシャクがあって、ピアノとドラムが脱退しました。
ピアノはうちの嫁さんが弾けるし、ドラマーはもう一人居るので、活動に支障はないんだけど・・・。
「上を目指す。」
言葉で言うのは簡単だけれど、実際目指すとなると、仲良しグループではいられない。
次の月曜日、新曲2曲段取りして、スタジオに入ります。
俺、個人の気持ちを曝せば、
「今のままは嫌だけど、だけど、何処を目指したらいいのか、解らない。」
もどかしいな。
しょうがないから、ひたすらギターを弾いてる。
「そのうち、な~んとか、な~るだ~ろ~う~♪」
ってなもんだ!
じんちゃんも、上を目指してるんじゃないかな?
苦しいかもしれなけど、必要な時間なんだよきっと、「書けない」ってことも。
急ぐ必要もないさ。ゆっくり溜めこもう、高く飛ぶエネルギーを。
と
自分にも言い聞かせてみる(笑
ずと。
早速来ていただいて、ありがとう。
うん。 高く飛びたいの。
その為には、実力と行動力と運が必要だから、想いどおりにいくか、わからないけど・・・
’ライフワークにしよう’ という意志は、固めています。
そうなるに至ったのは、Cafeを通じてエッセイを発表するようになってからかな。
創作の世界に入ったのは中学なのだけど、底辺でお気楽にしてたり、混沌とした時期が長くって(笑)、
正に ’around 40’ からの出発だね。
共同作業って、大変でしょう?
それぞれの立場や意識を超えて、一つになる・・・
これは、特別な瞬間かもしれない。
だからこそ、成立した時の喜びは大きい。
後からわかることやねん(苦笑)。
一つの才能。
それを支えているのは、地道な努力。
どんなに羨ましく思える存在でも、陰の努力なしには、成功し得ない。
’好きだから’ ’得意だから’ だけでは、やっていけない。
’あの時にしかできなかったこと’ があるように、
’あの時にはできなくて、今できること’ もあるはず、
お互い、頑張ろうネ。
元気を貰ったのですね。
「書くことが、恋した証なんです。」
そんな言葉で結べる様な、
文章を書きたいなあ。
ところで、
「映画の中の椎名桔平さんに、
教えてあげる」
は、ちょっと不思議な感じで、
面白い表現、使えそうですね。
ええ。 もらいました♪
映画について書いたエッセイは、久しぶりなんです。
2009年1月にCafeで発表した 「生誕100周年」 以来。
あの時は、「K-20 怪人二十面相・伝」 を取り上げたのでした。
今回に至るまで、劇場に通って、いろんな映画を見てたんですけど・・・
切れ切れの言葉しか、出て来なくって(苦笑)。
それでも発信したい時は、ちょこっとメッセージの形をとったりしてね。
「恋愛戯曲」 は、自分にとって身近な内容だったので、想いを表現し易かったのでしょうがー
いろんなタイミングが重なって、ブログという形になったのだと思います。
陰に日向に、じんちゃんとのコミュニケーションの中で、言葉を引き出してくれた、お仲間さんたちにも感謝です。
私はね・・・
「書くことが、恋した証なんです。」
と、胸を張れる様な恋がしたーい!!
映画やドラマ を見ていて、
’おいおい!’ トカ ’こら待て!’ トカ
意見したくなること、ありませんか?
あ、自分も、エッセイ読んでる人から、そう思われる立場やった。
アチャー。
実はというか、もう1年近くcafeの中で言の葉を綴れないで居ます。
綴りたい言葉が全く浮かんでこない。
日々考えることや思いを馳せることはいくらでもあるのだけれど、言葉として残すまでいかないのです。
表現していくことを自身のライフワークとして捉えてはいないのだけれども、スランプには間違いないわけで。
web上でやりたいこと、するべきこと、私の役割、
リアルでのやりたいこと、するべきこと、私の役割
・・・考えるとまったくまとまりません。
私はどうしたいのだろう?どうありたいのだろう?どう・・・
ただ日々の雑多にかまけて、時間を費やしているだけのような気がしています。
やりたいことをやれる ということは、とても素晴らしく、シアワセなことなのだなぁとここ数年痛感しています。
うん。 わかる気がする。
言葉を綴るって、デリケートな作業だものね。
追い詰められた状況から湧きだす心の叫びも、たまにはいいかもしれないがー
個人的には、できるだけ安定した精神状態で、取り組みたい。
心も体も、くたびれ果ててしまっている時は、
発信はおろか、受信することも、ままならないでしょう。
私は、そんな時期が随分ありました。
どうでもいい (気持ちのこもらない) 文章、
その気になれば、おそらくいくらでも書ける。
でも、それはしたくない。
というのが、拘りかな。
エッセイにとどまらずー
お仲間さんへのコメント、掲示板やメールでのやり取りにおいても、
できるだけ正直な想いを伝えたい。
それができない状態なら・・・
沈黙します。
で、なんだか堂々巡りになっちゃうのね。
ホントは、書くことがCafeでの存在意義だと思ってるから。
人とのやり取りでは、
想いを言葉にできた頃に、相手が目の前にいなかったり(笑)、
タイミングが、かみ合わないことも、しばしばです。
表現すること、伝えること。
これを両立させるのは、意外と難しいかも。
だからこそ、相手に想いが伝わった時の喜びは大きい。
書けていた頃の自分。
内にあるモノが揺らがなければ、その時は来る!
一人の同志に向けた言葉を、自分にも言い聞かせてみる。 (←ずとさんか)
私らはずとさん一派か・・・(笑
「みんなやってること。」
だからでしょう。
そうやって、他人との関わりの中で育ってゆく。
いろんなものが、ね。
そうだね。 その時から意識していることもあるだろうし、後になって自分に返ってくることも。
あるな~~~~。
人から言われた言葉で 「それはむしろ、あなたのことじゃないの?」 って、感じる時ない?
今までの経験と照らし合わせて、モノを見たり、解釈したりするから
’何で、そんな風に思うのだろう。 感じるのだろう・・・。’
こちらの実情に合わないことが、往々にしてあるのね (←人はそれを誤解と呼ぶ)。
「そうじゃないのよ」 と、主張することも必要なんだ。
なんて、最近感じています (←遅いよ)。
相手にとって適切な言葉。
ある程度、その人の気持ちに寄り添わないと、的外れで終わってしまうしー
かと言って、寄り添い過ぎても、好ましくない場合もあるしー
難しいねぇ。
うん。 そうして、人との交流から生み出されるモノは大きい。
「じんちゃんは、Cafeに育てられてきた」 と言っても、過言ではない。
一つ一つのエッセイ、構成要因の中に、お仲間さんの存在があるものなぁ。
今回の 「恋愛戯曲」 はね、
ずとさんとのやり取りの中で、出来上がったんです。
Cafeのコメント欄で話をしていて、’もうちょっと膨らませたいなぁ’ と感じたのがきっかけ。
何が発端になるか、わからないでしょ?(笑)