OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2013年、小笠原村、硫黄島への慰霊、墓参の旅(23) ケータ島 (聟島)(2)

2013年07月17日 | 硫黄島・小笠原村
こちらが小笠原諸島の最北端の聟島列島のうちの、大きな島が南北に二つある昨日紹介した写真のうちの北側のぎざぎざした島をズームして撮ったものです。どうやら、Google Mapで見ると、これが、聟島本島であるようです。西側から撮ったこの写真ではぎざぎざの櫛のように見えますが反対側の東側にまわると平らな部分があるのかもしれません。

この聟島はケータと呼ばれます。一度は行って見たいのですが、私たち6月の硫黄島慰霊墓参の訪島の日程では、硫黄島に行く前後にそれぞれ半日ずつの自由時間があるだけですので、ケータには半日では行って帰れないために、まだ、行ったことがありません。まる1日あれば、ケータ島1日コースというツアーがあるので、行って上陸することができるのですが。

私の母は硫黄島生まれで、その頃には祖父母は硫黄島の中心の元山地区で魚と雑貨の商店を営んでいましたが、祖母が生まれたのは父島で、送付が生まれたのが、ケータだったそうです。祖父も兄弟が多かったので、その中の誰たちがケータ島生まれなのかは聞いたことがありませんが、四男(兄弟姉妹の全体の中では6番目)の祖父は、この島で生まれたということは間違いなさそうです。

Wikipediaで調べてみると、1905年の調査では「初寝村という集落があって人口25人」だったそうなので、祖父は1909年生まれですから、輪足の曽祖父母は、当時、このケータの人口に入っているのかもしれません。曽祖父母が何時頃にケータにいて、その後、どのタイミングで硫黄島に行ったのかなど話は聞いたことがなく、これから調べてもなかなか分からないだろうと思います。
コメント
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