> しかし、その後新たに出された発表では、キャラクターのミスター・ポテトヘッドとミセス・ポテトヘッドは引き続き何らかの形で存在し続けるとし、彼らは「どこへも行かない」と述べたものの、詳細は明らかにしなかった。また、男女平等と社会的包摂についての言及も削除された。
結局、この話をすると難しいから、批難する方が楽なだけです。
基本的な人権問題が優先で呼称よりもDVやセクハラを解消しないと無意味な事していても女性の地位向上になりません。
その上で書くとどうしてこうも話題になりたがるだけの人なのかと思ってしまいます。
昭和の漫談家の掴みならともかくここまで時事ネタに拘るのがダサい感じがします。
まして詳しいとか、良く分かっているならまだしも生半可に齧るのは弄りでしかありませんよね。
だいいち、ミスタードーナッツはミスドにすれば良いだけでは?
敬称で揉めるなら、変えれば良いだけで、さんや様に統一しても良いのでしょう。
それに本質的な問題はむしろ雇用機会や昇格よりも基本的な育て方に有りますから難しいのです。
余程、3姉妹とかで育てば可愛いがられるのは均等割りで減りますが、一人っ子や女子一人の兄弟姉妹だと可愛いがられて結果的に優遇されて社会に送られます。
問題は学生の頃はまだ平等ですが、就職で外見や特徴で仕分けられるのですからたまったものではありません。
それに女性向きか、女性がいる方が都合の良いような社会的な慣例は未だに残りますよね。
最近はどうなのか知りませんが、以前大会社の受付は女性でした。
また医療事務で窓口にいる方の多くも女性なのかと思います。
本質的な点で解決とは言わないまでも認識しないと差別は愚か、TPOで話が違ってきますよね。
芸能界でそれを言い出したら、男女混合の団体グループでもないと男女平等や社会的包括からは離れられません。
そもそも男女の特性を活かした売りがありますよね。
それでその延長線上に職場での性別を含む評価や待遇があるのでしょう。
結局、芸人さんが幾ら今の社会に乗ろうとしてもその実の社会からすると難しいんです。
これだけマスクと騒いでいても芸能人だけ、フェイスガードやクリアパネルに囲まれたブースで済ませていますよね。
本当はそこからなんですけど。
極論一人で済ますか、一人づつにするかしてでもなるべくソーシャルディスタンスでなく、スタジオそのものの在り方を変えないと無意味です。
ラジオでも仕切りだけでなく、リモートや時差収録にして後で合成するとかしないと解決になりませんよね。
自己矛盾を含有している組織でネタにするのは笑いに繋げて初めて許容範囲なのかと思うんです。
たけしさんの話などのように。
その落とし所がないとイジリはあってもそれだけで薄い感じになります。
それとネタ元はライブドアですが、Yahoo!にも同様のニュースがあったのでコメント欄を見るとやはり言って良いくらいに本人の事よりもこの流れの是非と言うか非です。
環境で二酸化炭素を無くそうとするのと同じで何かさせて消費に繋げさせるような陰謀的なニュアンスが見え隠れします。
マスコミにすればそれで騒いでくれればネタになりますよね。
直接的な点で解決するのでなく、何かにつけて文句が言えるような社会的なテーマを挙げてそれを強いるだけです。
しかしながら、現実にそれで不快になられる方は少数で、しかも下手すればそう言う人の話の方がより差別的です。
マツコデラックスさんの話し方の中に私は…なのよと言うくだりが多く含まれます。
自分の好みや自分の事を前面に出して話す事自体、女性的でそれが女性からの安心感に繋がってしまうように思えてなりません。
男性で普段から会社等の組織で歯車になっている場合、自分を出すと揉めるので一般論や常識が前に出ます。
と言うか説得する苦労をしてでもなるべく自分の意見は仕事優先で、私情は避けるのが癖ですが喋りを売り物にするマツコさん同様の職業の人のほとんどはその私情すらネタにするのが普通です。
そう言う意味でも完璧なジェンダーやLGBTへの寛容さは難しいのです。
ましてその性差や少数の方を売りにする芸能界でまともにジェンダーの話やLGBTへの社会的擁護を述べるのは自己矛盾を含有せざるを得ませんよね。
それに最近気づいたのですが、フワちゃんの扱いで映ってはいけない部分が映ると謝罪なんですよね。
昔それくらいなんでもなく、むしろ視聴率が上がるのを計算すらしていたようなのも見かけられました。
それこそ過去のテレビ業界のやって来た内容を問い正したら放送免許の為に刷新しないと継続した呼称ではまずいくらいです。
戦前からある新聞社が自社の歴史云々と言う割に中身を問えないのと同じで問えば存続なんて矛盾していますから。
心を入れ替えたと言っても法人に意思決定は所詮人間のする事で、建前の理念では騙せません。
結局、芸能の特別な立場と言うか、例外的なのが許容される社会なのだけでも寛容なんですよね。
今のマツコさんのようなタレントさんはアケスケでは有りませんが、昔のその手のタレントさんは性もネタでしたからある意味嫌がられる存在でもありました。
そうした経緯なども含めての芸能なのが、理解されずにある話題を切り取ってその場だけの話をすれば、その番組の内容だけなら成立しても総合的な話としてのネットなどでの話に耐えません。
それで言えば、もう少し会社などで経験を積んでどう言うのがジェンダーでどう苦労して更にそれ以外の所で矛盾したままの社会なのかと気づけるくらいの経験が無いと浅く見えても仕方ないのです。
簡単に言えば、特別扱いされている金魚鉢の中の金魚が大海の魚の話をするようなもので井戸の中の蛙に見えられても仕方ないのかなと…。
そう言えば、吉本の新喜劇とかでも気にはなりませんがこれって過激、またはこう言う普段から一緒に稽古などしているから許される世界なのだろうと思ってしまう光景などもあるんですよね。
理想なジェンダーを追い続ける他国の社会とまだまだ遅れている日本の特に芸能の例外やスポーツの慣習とか難しいですね。
書いて纏まりもなく終えるしかないようです。