民主主義と言うと心地よいのですが、雑音に耳を貸すと
ポピュリズムに成り兼ねないネットの反応は要注意です。
また、そう言う状況の中で態度を豹変するマスコミも変わらなければならないのかと思われます。
例えば、マスコミのコロナ対策と経済対策の使い分けです。
コロナ感染拡大時には最多、最多と煽ります。
検査が足りないとか言っていたりもしました。
反対に鎮静化すると対策要請への不満をインタビューして垂れ流します。
責任の無い梅沢冨美男さん辺りにも芝居の規制などで文句を言わせて
対象者への同情を示します。
しかし、現実に感染対策への協力が捗る訳でもなく、世論の動向に乗るのが見て取れます。
政治家にしても最近はネットなどの反応を見て加勢するような態度がなくもないのかと思います。
特に野党はそれで情報発信してでも注意を惹きたいようです。
官僚で言えば忖度して省益を守るような態度です。
ちょっと話は飛びますが、北京五輪の開会式と東京五輪のを比較してのネットの反応がまさにそのような有り様なのです。
北京五輪の開会式はスタンダードでシンプルでした。
一方の東京五輪の開会式は特徴的と言うか日本独自のサブカル的な世界観で国際的に通じるのかとなっていたようです。
東京五輪の企画をした広告代理店の特徴がそのまま出たようなものになってしまいました。
そして電通などがそうなる原点はやはりテレビ制作の価値観から来るものです。
その制作物を見た結果の視聴率や世の中の反応は中学生程度の常識になるようで決して高尚とは呼び難いのかと思われます。
その程度のサブカルの延長線上に東京五輪の開会式の演出の酷さが気になり出しているようです。
なのでそもそもの浮ついた判断が作品を通した演出にならずに寄せ集め的なオムニバスになったような気がするんです。
今のネット反応に影響されるとおそらく良い事はないのかと思います。
それ以前にゴタゴタがないようにしないといけないように見えます。
また、他からの声に反応したのだとしてもあまりに優柔不断な人のように決め兼ねるパターンの思考です。
やはり、最終的に責任が取れるような計画にしないとダメだったのでしょう。
安直に丸投げするようなのは禁物にしないといけないのです。
NHKの紅白ですら、最近はこの傾向が出てしまい何がしたいのか見えて来ません。
大泉洋さんを起用した時点で流れに乗ろうとして流された漂流者のように過去最低の汚名を浴びてしまいました。
あまりに優等生になろうとして、反対に評価されない八方美人なのかと映画に出れない出木杉君のようなパターンなのでしょうか?