昨日のブログの高校一年生さんからコメントをみて、自分の高校一年生のときのことを、必死に思い出しています。
私の高校時代はフィギュアスケートの選手として毎日スケート場通い、バレエのお稽古、陸上トレーニングでマラソンし、肉食で体力をつけ、自分との戦いの青春時代でした。
体育系の競争の世界でスケートを始めたのが中学一年生で、年齢的に遅くはじめたので、負けず嫌いのわたしは、シーズン中は学校も休みがち、特に高校時代に英語の勉強をしなかったことを、アメリカに来ていつも悔やんでいます。
心を柔軟にしないと英語も入ってきませんね。
私が心とか魂の悩みを感じ出したのは、ずうっと後になってからで、30代の後半からです。
酷使したスポーツマンの筋肉には、今、そのつけが来ています。
スケートを滑らなくなったモリモリ筋肉は減っていきますが、この筋肉に刻まれた心の存在と、一生上手く付き合いながらが、日本のタイムラインのストレッチ開発は、この私に残された人生の課題だと思っています。
高校時代のきつい経験が、今の自分を支えているのかも知れません。
「心導を通して相手と通じ合う、とても素晴らしいことですね」と。
高校一年の時の自分と比べると、高校一年生さんのコメントは、人生についての悩みや理解力も深みがあり、素敵ですね。
高校一年生さんに目線を合わせてみるとまた未知の世界が待っているような。
高校時代を真剣に見つめる機会を頂き有難うございました。
Unknown (高校一年生)
2012-04-09 00:10:08
こんばんは
世界を見渡してみると、それぞれに違った風習等があるのを感じます。
人がフレンドリーだとか優しいとか。
そういうことを聞いたりすると、風潮って大事だなと思います。
もともと、人の心は強くなく、流されやすいものですからね。
心導を通して相手と通じ合う。
とても素晴らしいことですね。