EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

夏の終わりの雲

2015年09月01日 | 伊予松山歴史散策
8月も昨日で終わり。陰暦8月は農事が閑散である事を意味したが今は遠く昔の言葉となった。8月31日、松山は朝から雨天で午後から曇天、夜間は雨天であった。
本日から9月、1年の第9番目の月でいよいよ秋到来である。
今年の夏は、一時期猛暑の日々もあったが、比較的凌ぎやすい夏であった。
エアコンも一度も使わずに過ごせた。未だ暫く残暑があるだろうがここ数日吹く風が涼しい。
7月1日、西日本最高峰「石鎚山のお山開き」で愛媛の夏は開けたが今年の石鎚山は我が家から殆ど見ることが出来なかった。
我が家から8月27日、撮った8月最後の雲です。


今年の夏は画像の様な青空が一日通して見える日は少なかった。
入道雲を見る事も少なかった。


8月27日撮影、雲も秋の装い。




TBSの気象予報士、森さん曰く、今年の夏は冷夏になると予知した。お盆までは猛暑であったが、台風15号が過ぎ去ってから急に秋めいて来た。
何か今年の夏が終わった様な松山市の天気である。


入道雲を見る事も少なかった。


画像の山は、「天山」で、風土記 日本古典文学体系 岩波書店・風土記逸文で、伊予の国に出て来る天山で、奈良県橿原市にある天香具山と姉妹の山である。

天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県松山市)「天山(あまやま)」となり1つが大和国(奈良県橿原市)「天加具山(あまのかぐやま)」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている。松山市天山町の岸区長・白石事務局長と橿原市南浦町の辻本区長や福本博治・世話人の間に文通が続き、昭和52年5月8日には天山町の代表25名が松山名産の姫ダルマを土産に橿原市南浦町を訪れた。・・この記事が昭和52年5月31日(火)の讀賣新聞地方ニュース「奈良版」に掲載された。
また、天山は慶長6年、加藤嘉明が、徳川家康に、築城許可を願い出た候補地として、一番候補地にした山でもある。もしこの山に家康が嘉明に築城許可が下りていれば、我が家は松山城内の一角になっていた。
加藤嘉明が、徳川家康に、築城許可を願い出た候補地は、第1候補地が「天山」第2候補地が勝山(現在の松山城)第3候補地は、御幸寺山であった。
家康は第2候補地勝山に築城許可を出し加藤嘉明は松山城を築城した。


画像は、奈良県橿原市にある天香具山で愛媛県松山市天山町と姉妹の山です。
撮影は、平成22年11月16日、日本100名城巡りで、松坂城から、高取城に移動中撮りました。
天香具山、天山、両方の山の形がよく似ている。


天山山頂にある、天山神社拝殿右に、大和国(奈良県橿原市)天香久山と伊予国(松山市天山町)との姉妹交流記念20周年の記念碑が建立してある。
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