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紀行&散策を画像を交えた紹介です

久米地区に現存する四国88ヶ所霊場遍路道標石 その7 日尾八幡神社前の遍路石 

2015年09月10日 | 伊予松山歴史散策

四国霊場第49番浄土寺から150m程歩くと日尾八幡神社前に出る。
神社石段左側に画像の立派な遍路石がある。
大きさは縦30cm・横30cm・高さ140cm。
文字は、東面に、「施主浅井鉄五郎」朗の下は一部コンクリートで隠れて見えない。
南面は、上部に左(西)向いて指印、下に「左遍路道」道の字は半分埋まっている。昔は舗装してなかったが、段々と舗装とその修復の度に埋もれたのであろう。
西面は、上部に右(南)向いて指印、下に「左遍路道」
北面は、二行に「嘉永7甲寅歳三月吉日」「村中安全」この面も工事の為下部が埋まり下部にもじはようやく読める。
この遍路石の指印の方向がおかしく、以前は別の所にあったものを現在地に移したのか?、または当初から此処に建立してあったが、何かの出来事で東西の向きが変わったかでしょう・・そうとしか考えられぬ。
今から161年前に建立されている。


西面で、上部に右(南)向いて指印、下に「左遍路道」と書かれているが、指印の指示通りで歩くと浄土寺に行けず、西林寺に行ってしまう。


東面で、「施主浅井鉄五郎」朗の下は一部コンクリートで隠れて見えない。


北西面で、西面上部に右(南)向いて指印と、北面の二行に「嘉永7甲寅歳三月吉日」「村中安全」が見える。下部が埋まり下部の文字がようやく読める。


南西方向からで左右の指印が見える。左側が右遍路道・右側が左遍路道と。


南面で、上部に左(西)向いて指印、下に「左遍路道」道の字は半分埋まっている。昔は舗装してなかったが、段々と舗装とその修復の度に埋もれたのであろう。赤い鳥居は日尾八幡神社で明治の書家「三輪田米山の生誕地」である。


平成2年3月に建立された新しい遍路石。


新しい遍路石は神社入口の右側にある。




新しい遍路石で平成2年3月吉日建立、松山市と刻印されている。
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