「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

Jリーグスタート以降、日本サッカー30年間の記録から(1)「ドーハの悲劇」は、いつから見出しになったのでしょう。

2022年12月21日 18時04分54秒 | サッカー日本代表
これからは、過去30年間続けてきた、サッカー試合・番組の録画保存や、スポーツ紙等の収集保存の中から、あらためて再発見したことなどをお伝えしていくシリーズを始めたいと思います。

今回のW杯、カタール・ドーハの地で、我らが日本代表はドイツ、スペインを撃破する快挙を成し遂げました。それは、かつて29年前にこの地で味わった「ドーハの悲劇」を上書きする形で「ドーハの歓喜」と呼ばれ、これから長く語り継がれていくであろう出来事でした。

これで「ドーハの悲劇」は、遠い歴史の一コマになり、次第に人々の話題から遠ざかっていくことと思います。
ちょうど、そのような時、1993年当時のスポーツ紙などの新聞をデジタル保存する作業を行ないました。A3サイズの複合機で新聞をスキャンしてPDFで保存する作業です。

実はスポーツ紙の大きさはA2サイズありますから、その大きさでスキャンをかけたいと長らく検討してきました。しかし、いろいろと調べてみて、A2サイズのマシンを用意するのは至難の技だということが明らかになりA3サイズでデジタル保存することに決め、今月からスタートしたところです。

能書きはそれぐらいにして、1993年のサッカーにおけるハイライトは、Jリーグ開幕と「ドーハの悲劇」という結末だったアメリカW杯アジア最終予選です。

アメリカW杯アジア最終予選を報じるスポーツ各紙の扱いは試合を重ねるごとにヒートアップしてきましたが、最後、出場権ならずというところでは「悪夢ドロー」や「日本呆然」「夢散った」といった見出しが躍りました。

その関連の一番最後に、試合翌日の「夕刊フジ」が「ドーハの悲劇」という見出しを打った記事が出てきました。

当方の保存資料では、これが一番最初に「見出し」になったようです。

ウィキペディアで「ドーハの悲劇」を検索すると、かなり長い説明があり、その中で、次のような記述があります。

「試合終了の数時間後に発行された読売新聞10月29日付朝刊では、すでに解説文中で「ドーハの悲劇」という言葉が使われていた[13]。現地で取材した読売新聞記者は、1986年のUEFAチャンピオンズカップ決勝で優勝候補のFCバルセロナがステアウア・ブカレストにPK戦で敗れた「セビリアの悲劇」を思い浮かべながら記事を書いたという[13]。その日以降、ほかの新聞や雑誌でも「ドーハの悲劇」というフレーズが用いられた。」
【出典[13]】
^ a b c 大西秀明 (2013年9月5日). “ドーハの「悲劇」と「奇蹟」”. ことばマガジン (朝日新聞DIGITAL) 2018年7月17日閲覧。[リンク切れ]

このウィキペディアが正しいとすれば、夕刊フジの編集部も、この読売の解説を読んで「これだ」と思い「見出し」につかったのかも知れません。

その後、これほど長く語り継がれることになろうとは、当時は想像もつかなかったことでしょう。
それも、今回の「ドーハの歓喜」により上書きされ、その役割を終えたのかも知れません。

では、次回のテーマをお楽しみに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする