1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 今日は檀家さんの年忌法要に、北九州から千葉県の方に。飛行機は怖いので、いつも新幹線で。

2024-02-26 09:58:16 | 法話

【臨時法話】


番組『ナニコレ珍百景』で、新潟県新潟市にある老舗温泉宿『穂々』は、90分間ピアノを弾いてくれたら、宿泊費100円(通常は、12000円から15000円)と。それもピアノを弾く人以外、他1名も100円と。但し、中級以上の腕が条件との事。宿の大将がその場で合否を決めると。お客さんにサプライズの粋な計らいですよね。ピアノ以外でも『お客さんを和ませる特技(プロ級)があれば、わが宿でも大歓迎。宿泊費格安』なる企画を持つ宿が全国あちらこちらにあれば、何か、楽しいですよね。拙僧、ピアノは弾けないが、法話なら何時間でも笑わせる事が。いや、和ませる事が、の間違いか。そんな温泉宿が何処かにないかな、ある訳ないか。勧誘(信仰)しに来たと思われるもんね。


新潟市といえば、数年前の冬でしたかね、大きな幼稚園に呼ばれ、家内と一緒に講演に。越後湯沢では当に『トンネルを抜けると、そこは雪国だった』 状態でしたが、新潟市内に着くと全く雪が。幼稚園の園長(当時70代女性)先生が「新潟市内は、殆んど雪は積まないのよ」と。日本1の降雪地域と勝手なイメージを持っておりましたので『実際に来てみないとわからんもんだな』とその時、また、新たな認識を頂きました。


さて、今日(令和6年2月26日)は家内と仕事で現在、千葉県の方へ向かっております。北九州から転勤で千葉市へと移った檀家さんが、その地で家を購入。「菩提寺(わが家の先祖を供養している寺院)を変えたくない」と言われるので、葬式も年忌法要も拙僧、北九州からその地へ。東京、千葉には檀家さんが数軒。他にも東海道には、愛知、京都、大阪にも檀家さんが。有難い事に日本は、交通網が発達しておりますので、臨終後8時間は耳が聞こえているその間に「あなたは死んだんだよ。向こうに逝く心の準備をしなさい」と故人さんにお経(枕経)を届けに行く事が。枕経、通夜、葬式で、最も大事は枕経。通夜、葬式は、故人さんには当然ですが、残った人間の為に行うもの。支えてもらってきた故人さんへの御礼報謝(人間の卒業式にて、おめでとうございます。お役目、お疲れ様でした。大変お世話になりまして、有難うございました)の法要にて。


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次回の投稿法話は、3月1日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が楽しい人生に】 拙僧の周囲だけなのかな。お笑い芸人さんなどの有名人を、粗探しして叩きまくる風潮に嫌気が刺しているのは。

2024-02-24 05:36:05 | 法話

【2月25日投稿分】 


昨今の激化する暴露(重箱の隅をつつく)社会に対し、意見を求められる事があまりに多い(次々)ので、最近会話した何人かの中から、ある読者男性とのやり取りのほぼ全文(詳細は割愛)を、今日は投稿させて頂こうかと思います。少々長いですので「鬱陶しい、興味がない」と思われます読者様は、どうぞ、無視してくださいませ。


【法話本文】


読者の男性が「住職さんの法話を読んでると、お笑い芸人さん達を随分と高く評価されてる様に感じるのですが」と。「あの機転の効く喋り方、切り返し、間の取り方、昨今の社会の流れを読み取り、最先端の話題を笑いというエキスを混ぜながら、各々自分の持っている特徴、性質を最大限に活かして(工夫)、笑いと癒しを私達に提供。全くもって頭脳明晰。内容、喋り方とも非常に勉強になり、法話の参考にさせてもらっています。如何に素晴らしい内容の話(法話)をしたとしても、聞き手を退屈させたり、眠らせたりしたら、それはもう、坊主の負け。人を怒らすは簡単だが、人を笑わせ、興味を抱かせるは、そう簡単な事ではないですもんね。講演会であろうと、お寺の法要であろうと、最初の掴みが大事は、法話もお笑いも同じ事にて。如何にして聞き手の心をこちらに向けさせるかが、勝負です。また、聞いて帰られた人が『今日の法話は、こんな話だったよ』と、家族に話して聞かせられる様な法話でなければ、提供した意味がない。これはお笑いにおいても、政治家さんの演説においても、同じ事ではないかな、と思います」と、この読者男性に。


続けて拙僧「掴(つか)みといえば、先般、元国会議員の男性がある番組で、麻生太郎さんが街頭演説の時、1発目の言葉が『えー、下々の皆さん』であったと。『ドヒャー』と思ったと元国会議員さんが。そのエピソードを聞いた時に拙僧『麻生さんらしいよな』と久々に腹抱えて笑いました。もしかしたらこの言葉は、批判覚悟での『掴み』だったかのかもしれませんよね。こう言うと読者さんの中には『そんな事あるかい』と猛批判される方もおられるでしょうが。しかし、その真意を知るは、ご本人さんだけですもんね。まあ、どちらにしても、麻生元総理は、悪気はないんでしょうけどね。話し上手の人というは、聞き手の表情(退屈そうな顔、興味津々の顔)を観察しながら、心をこちらに惹きつける様に話を展開させていくので、言葉を切り取られたら、そりゃ、炎上するリスクは大きいですわな。ところが、そんな話の方が絶対に面白いんですけどね」と。


続けて「拙僧の法話も言葉を切り取られたら、確実にアウトなものばかりです。が、講演会の時に文句言ってきた人は、過去には誰1人も。講演後には『自分に思い当たる節ばかりで、興味津々で聞いておりました』の言葉を参加者さん達から貰う事が多いですよね。それと、これは余談ですが、福岡県内のある町の町会議員を務められた檀家の爺様(昨年90歳で他界)が『住職よ、麻生太郎さんだがな、15年前(当時爺様60歳)に1度だけ、それも数分間会話しただけのわしの事を、名前まで覚えてくれていたもんな。これにはほんと、驚いたわい。麻生さんは1度会った人は、忘れないとは聞いてはいたが。そりゃ、人が担いでくれるわな』と。その人を判断する時は、一方方向から見ただけで、決め付けない方がいいと思いますけどね」と。


更に、読者男性が「昨今は、自分の価値観(判断)だけが『正解』とばかりに、何にでも文句を言ってくる人が多い様に感じられますよね、住職」と。「その傾向は、確かにありますね。例えば、ですね。拙僧はファッションというものに、全く興味がなくて『服なんて着れればいい』という程度。大学(卒業後)から戻ると63歳の今日まで、どこに行くにも、ずっと作務衣(全て妻の母親の仕立て)です。こんな人間ばっかりだったら、アパレル業界はアウトですよ。拙僧にとって衣服は必要ですが、ファッション(着飾る)は。だが『世の中にファッション関連は、必要だと思いますか』と問われれば『そりゃ、絶対に必要でしょ』と答えますよ。需要と供給の関係が成立しているものは、全て必要だと思います」と。


すると男性が「そういう事(自分の価値観だけが正解ではない)ですよね。昨今の流れですが、私も非常に気になっておりました。お笑い芸人さん達の事を『低俗な職業、低俗な人間』と、週刊誌で誰か(お笑い芸人さん)が吊し上げられる度に、十把一絡げの様に酷い言葉を彼らに。私の周囲にも、その様な人達が一定数はおられますが、味噌も糞も一緒ったぐりにして、職業批判、人格否定など、以ての外ですよね。『いやいや、違うでしょ』って話ですよ。今日までにどれ程の人達が、彼らの笑いに救われてきた事か。何十万人、何百万人どころの話じゃないと思いますよ。自分(批判者)の子供がお笑い芸人だとして、世間からそんな誹謗中傷を受けていたとしたら、親としたら悲しいはずですよね。そのお笑い芸人さん達にも、悲しまれる親御さんや、ご家族がおらっしゃるわけですから。批判者達はその事も少しは、心に留めおいてもらいたいものですね。みんな、生きていく為に、懸命に与えてもらった仕事を、頑張ってるだけなんですから」と。


対し拙僧「実はですね、檀家の子供達から偶に『何故、仏壇に蝋燭(ろうそく)や線香をお供えするの』と問われる事がありまして。答えて『蝋燭も、線香も、自分の身を削りながら、周囲に灯りを、周囲に癒しの香りを、届けてくれているだろ。どんな灯りを周囲に向けて灯しておるか、どんな癒しの香りを周囲に向けて漂わしておるか、人によっても、職業によっても、その内容は異なるもの。お笑い芸人さん達には、お笑い芸人さん達の灯し方が。政治家さん達には、政治家さん達の灯し方が。学校の先生達には、先生達の灯し方があるよね。さて、君達は将来、周囲にどんな灯りを灯しながら、生きていくんだろうね』と檀家の子供達には話しております。ほんと『こいつはどうせ、〇〇だから』と勝手に決め付けて全否定する事だけは、やめてもらいたいものですな」と。


対し、この読者の男性が「そういえば、住職。朝ドラの『ブギウギ』で『周囲から何と言われようとも、歌で勝負よ』というブルースの女王さんの台詞(せりふ)がありましたよね。NHK は朝ドラで、昨今のやり過ぎ(暴露)の風潮に物申したかったのかな、と自分なりに解釈しました。こんな事を書くと『表現している側がNHK だろ。聞く耳ないわ』と声をあげる人が出てきそうだけど。まあ、だけど、朝ドラの台詞とはいえ、私は賛同するかな。例えば、政治家さんなら『政治で勝負』ですよね。如何に品行方正であろうと、政治手腕がなかったら何にもならんですもんな。政治に力を発揮出来て初めて、政治家ですもんね。この事はどの職業(お笑い芸人、お坊さん、医者など)においても、当てはまる事だと私は思います。そう思いませんか、住職」と。


対し、読者男性に「御意。政治といえば、随分以前の事ですが、女性問題を起こした某代議士に、随分長い時間を費やして、国会の中で追及されている様を見た檀家の子供が『他の部屋(個人の問題は国会の時間を使わず)でやればいいのに。他に沢山、急がなければいけない大事な話(議題)があるだろうに。国会は小学校の学級会と、そんなに変わらないよね。あの子がこんな事をしてました、と告げ口を言い合う様は、よく似てると思うよ。地元有権者に、仕事をしているよ、の姿を見せたいだけじゃないの、とお父さんが言ってた』と厳しい言葉を。まあ、子供(当時12歳)の意見ですからね。国会中継でも、報道番組でも、目くじらを立てて『ギャンギャン』吠える様子ばかりを切り取って、何度も映像で流すから、子供達から見れば国会は、そういう印象(場所)になるんでしょうね。だが、子供の意見とはいえ『個人の問題は国会の貴重な時間を使わず、他の部屋(別の時間を使って)でやったら』の意見は、拙僧も同感ですけどね。昨今物議のお笑い芸人さん問題も同じかな。個人対個人で話し合えるものは、その様にしたらどうなの、と思いますよね」と。


最後に拙僧「まあ、何にしても、ですよ。叩かれて埃の出ない人間など、誰1人もいないですもんな。叩かれてもあまり埃の立たない人間は『そんなに大きく(仕事)は動いてない人間』という事ですかな。大きく動けば、それなりにリスク(失敗、失言)も大きくなりますもんね。そういえば、誰だったかな『人から批判されたくないと思うなら、何も動かず(何もせず)、大人しく静かにしている事』と言った人がいましたね。何にしてもそうですが、否定から入ったら、得るものは少ないですよね」と、この読者男性に。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、3月1日になります。








【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 さんまさんが作った「バツ1」ですが、昨今、拙僧周囲では「婚1、婚2、婚3、」という言葉が主流に。

2024-02-19 16:25:00 | 法話

【2月20日投稿分】


30代前半の檀家の未婚女性が「住職。私の友人の何人かは離婚を。中には、バツ3、なんてのも。その友人達が『結婚なんて、やめときな。人生の墓場でしかないよ』と。これって、どう思いますか」と。「各々の事情があるだろうから、何とも言えんが、その考えを他者に押し付けるは、如何なものかな」「そうですよね。私の両親は結婚40年を超えましたが、今でも仲が良く、喧嘩など見た事が。それに、この離婚した友人達ですが、考え方が子供っぽいんですよね」と。「その友人達には、お子さんはおられるの」「いいえ、その前に離婚を」「これは一概には言えないが、お寺の檀家、知人らの狭い範疇での拙僧の印象だが、育てられた経験しかなく、育てた経験のない人達は、どうも、大人になりきってない感があるかな。子供を育てるには、我慢する心が必要だろ。成長を待つ心も必要。親が子供を育てている、と思ったら大間違いで、親も子供から育てられているという自覚も必要。この経験の『ある、なし』は、結構に違いが出るんだよね。勿論の事、例外はあるよ。例えば、忙しい母親の代わりに、下の子(弟、妹)達の世話をしてきた、とかね」と。


対し、この檀家女性が「私も未婚だから、現在、子育て真っ最中の友人と自分とを比較すると、住職が言われる事を感じる事がありますね。育ててもらっているといえば、学校の先生も、生徒を育てていると思ったら大間違いで、生徒から育ててもらって、一人前の先生になっていくんですもんね。医師も患者さんから育ててもらっているし、上司も部下から育ててもらってるし。そうした経験のない人達は、特に、腹を立てた時、私も偶にありますが、子供の様な怒り方(只々、気に食わないから怒る)をしてますもんね。人間って、ほんと、経験は大事ですよね。住職が時折『知識が豊富にあっても、その知識に経験が伴ってなければ、只の物知りさん、に過ぎん』と。ほんと、そう思います」と。


続けて、この未婚女性が「それに『結婚は人生の墓場である』という言葉は本来、世間で認識されている意味とは違いますもんね」と。「そうだね。墓場(永眠、安らぎの場所)まで一緒に行こうね、が本来の意味。それに、昨今の研究で結婚のメリットが様々出てきたよね。結婚すると『うつ病、心臓病、脳梗塞、心筋梗塞』のリスクが下がると。結婚する事で、ストレスホルモンが減少するというデーターも。『私は結婚した事で、ストレスだらけだ』と反論者が多数、声をあげてきそうだが。他にも、この流れ(結婚、子育て、孫育て)で様々メリットが。某大学の蜂の研究では、蜂の世界は、老いた蜂が外回り、若い蜂が巣内で子育て、の役目になっているとの事。が、高齢の蜂に子育てをさせると、若い蜂と同じホルモンが脳内で出ている事が判明したと。脳が若返る効果があるのではないか、と研究者が。これは人間にも当てはまるんではないか、と更に研究を。そう言われれば、孫の面倒を見ている檀家のじいじ、ばあばは、見た目は若い様に見えるよね。子育てをさせると『認知症の予防に効いているらしい。神経保護作用があるタンパク質が溢れてる』というが判明したとも言ってましたよね。若い子の真似をするだけでも、脳が若返る効果があるというデーターも出ていると。つまり『刺激的な生活がいい』っていう事かな。拙僧も今年、63歳、孫(1歳男の子)も1人。参考にしようかな」と。


ここまで話した後に拙僧、この未婚女性に「さて、そこでだが、君は他人(ひと)の事より」と口火を切ると、拙僧の口を止め「住職、わかっとる。『結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳にはいかんぞ』でしょ。『精子、卵子の冷凍保存は、成功率は50%だぞ』でしょ。わかってるって、耳にタコだよ。私も今年で33歳だし、どうしても子供が欲しいから。今年中に目処だけは立てようと思ってる。心配しなさんな、住職」と。


因みに、余談ですが、昨今の研究で、味噌汁って、凄いらしいですね。食する回数が多い程、胃癌の死亡率が減少すると。胃癌原因と言われるピロリ菌を叩いてくれるのかな。また、乳癌、前立腺癌の予防にもなると。動物実験では、肺、肝臓、大腸の癌抑制効果もあったとの事。長崎市内への原爆投下の際、爆心地より1、8キロの位置にあった聖フランシスコ病院の秋月辰一郎医師は、救護、治療に当たった従業員に、ワカメ入り味噌汁を食べさせ続けた。その結果、1人も原爆症にならなかったというデータ(著書「体質と食物」)も。凄いよね、日本の発酵食品は。


更に余談ですが、研究者が「自分の事を若いと思う60代は、身体も40代に相当している」と発表を。当然、人によって違いはあると思いますよ。また「若い動物の血液を、高齢の動物に輸血したら若返った。逆に、高齢の血液を、若いのに輸血すると、老化が早くなる」という研究結果も。あくまでも研究段階ですよ。面白いですね。当に、迷信は解明されれば、迷信じゃなくなるですね。今後、どの様にこの研究が収まっていくんでしょうね。


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次回の投稿法話は、2月25日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 四国巡拝は、いいでっせ。何にも拘らず、ただ淡々と歩く環境は、自分を見つめ直すには、絶好の場所にて。

2024-02-14 12:13:17 | 法話

【2月15日投稿分】拙僧の息子が、歩き遍路(全行程1400キロの四国巡礼)に。


2月8日から5日間、拙僧の息子(30歳)は、四国霊場の歩き遍路に。コロナのお陰(工夫)でリモートでの仕事が出来る様になり、ネットで本社と遣り取り(設計、会議など)をしながら巡礼を。ちょっと前までは、考えられない仕事形態ですよね。1周1400キロを数回に分け、今年中に結願したいとの事。早い人は全行程(1400キロ)を35日間で。普通は45日間ぐらい掛かると。田舎(檀家)のご老人が「1里(約4キロ)は1時間で歩く」と。その計算でいけば、1日に8時間歩いたとしたら、32キロ。そうなると、全行程は、44日という事になりますよね。巡拝途中で「10番札所まで行った」と息子からメール連絡があったので「四国巡礼に限っては『何番まで打った』という言い方をするんだよ。四国巡拝を最初に行った衛門三郎さんが、弘法大師に直接会って謝る為に『あなたを追って今、巡拝しております』を知らせる印として、お寺に木札を打ち付けていったが『納め札』の始まり。よって、四国霊場に限っては『何番まで打った(参拝した)』という言い方をするんだよ」と息子に。衛門三郎さんの詳細は、ググってみて下さい。


続けて息子が「歩き遍路って、結構大変だね。父さんの叔父さんだが、90歳近くまで8回も周ったなんて、凄い事だよね」と。「なかなか出来る事じゃないよな。父さんも40回近く四国巡拝(1年に1周、高野山へ御礼参りまで)をしたので、歩き遍路がどれほど大変か、という事は少なからずわかる。が、あくまでも、少なからずわかるだけだ。父さんの四国巡礼は毎回必ず、ご病人、時には今現在、命の遣り取りをされている人(余命宣告者)やご老人(檀家さん達)などが同行されるから、どうしてもタクシー巡礼となる。が、そういう人達は、タクシー巡礼でも楽じゃないんだよな。山門から100段、200段の石段はザラだからね。が、父さんは、実際に1400キロの距離を歩いた訳ではないから、歩き遍路の本当の大変さはわからん。だから、歩き遍路に関して父さんは『ただの物知りさん』でしかない。何でもがそうだが、経験して初めて、その本質がわかるもんだ。お前さんは、よか経験をさせてもらってるな。きっと、今後の人生の糧になるよ」と。


続けて拙僧、息子に「四国の人達(住人)に言わせれば『歩き遍路が最も贅沢な巡拝である』と口々に。まず、1400キロ歩ける健康な身体を持っているという事。これは、そんな体に産んでくれた親に感謝だよな。40日という時間(日数)が確保出来るという事。これは許可(理解)してくれる会社と家族に感謝だよな。それに対する費用(宿賃、食費、その他諸々)が工面出来るという事。これは仕事(収入)を頂いておる事に感謝だよな。確かに、贅沢といえば贅沢だが、だけど実際、1400キロは大変だよ。もし足を痛めたら、無理をせず撤退し、次の機会に。若いからとて、無理をすると水が溜まり、回復が長引くぞ。意地を張らず、撤退するも選択の1つだよ。四国巡礼は、人生と同じだ」と。


更に息子が「ところで、父さん。歩いてたら、地元(四国)の人がお接待(食べる物)をくれるんだよね」と。「お接待は絶対にお受けしろよ。巡拝したくても、様々な理由で出来ない人達が『私の心を巡礼に連れて行ってください』が、お接待が始まった基本だから。ところが数年前から、そのお接待を地元の人達が止めだしたんだよな。そうなった理由は、もらったお接待(食べ物)の空袋をその場に捨てていったり、弁当箱や空き缶、タバコの吸い殻を捨てていったり、と。そのゴミの後片付けは、地元の人達が。あまりのマナーの悪さに嫌気がさして、伝統(風習)みたいに繋がっていたお接待が、いつの間にか風化の方向へ。コロナの間は巡礼者が減少していたので、恐らくその間は、本物(物見遊山じゃない人達)さん達が巡拝を。そういう人達は『四国巡拝は弘法大師の追体験』と自覚しておられるから、そんなマナーの悪い事はしないだろうからね。そうなるとまた、お接待の習慣もじわじわと戻ってくるかもしれないね」「お接待をくれたお婆ちゃん(地元の人)も、父さんと同じ事を言われていたよ。だけど、父さん。地元(四国)の人達って、優しいね。『大丈夫か』とか『無理はするなよ』とか、声を掛けてくれるんだよ」と息子が。


【余談】

四国巡拝で約35年間、お世話になった徳島の個人タクシーの運転手さんが、73歳で引退される前(四国巡拝世話最後の時)、次の様なお話を拙僧に。

「住職よ、わしは今日まで事故も違反も1度も。まだまだ、運転には自信があるが、今後、お客さんを乗せておる時に事故を起こし、周囲から『歳を考えて、ハンドルを置くという選択はなかったのか』と言われた時、これ程に辛い事はないので、そうなる前に引退する事にした。わしの1番の思い出といえば、40年程前、10年間、ある社長夫婦の四国巡拝のお手伝いを。その社長の奥さんは酷い腰痛持ちで、社長と社員さん(1人)が介護をしながら巡拝を。山門からお寺(何番札所)まで100段以上ある石段の上り、下りに掛かるは2時間。10年目のある札所(お寺)で、わしと社長と社員さんが話をしている時、目を離していた奥さんが石段から転落。3人共が青ざめて急ぎ駆け寄ると、奥さんが『ちょっと待って』とゆっくり起き上がり『腰の痛みがない』と。こんな事ってあるんや、と驚かされた。その場で社長が社員さんに『会社は君に任せる。私は引退して家内と四国巡拝者の為の遍路宿を開き、御礼報謝の晩年を生きる』と。余程に嬉しかったんだろうな」と。


この話を檀家さん達に話すと「お大師さんも人が悪い。10年目じゃなく、1年目の巡拝の時に、この奥さんを転ばせてやればよかったのに」と。この言葉を冗談で言われたは承知の上で「普通ならこんな身体(腰痛)で、四国巡拝(健全者でも大変)なんてしないよね。それも、続けて10年なんて。途中(数年目)で巡拝を断念していたら、この10年目のご縁(転んで腰痛改善)には、出逢えてないですよね。お大師さんの加護というよりも、只々、御礼報謝と先祖の供養で巡拝を続けていたご夫婦が『10年先に待ってくれていたご縁にたどり着いた(継続は力なり)』というが、正しい言い方かもしれませんね。読者の皆さんも『こんなご縁だったのかな』という経験は、何かしらあるんじゃないですか。



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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、2月20日になります。投稿写真の様な巡礼者、結構お見かけします。四国巡礼は自分を見つめ直すに、最適な場所だと思います。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 病院で亡くなった親の遺体を「いらん」と言って、引き取り拒否する子供がいるという現実を、どう受け止める。

2024-02-08 19:17:52 | 法話

【2月10日投稿分】


拙僧の法話読者の某社長さんが「住職(拙僧)は、約10年間でSNS に法話を3000話以上も投稿されてるが、どうしてそんなに頑張れるのですか」と。「偶にそれを聞かれる事があるのですが、これしか世の中に貢献が出来ないから、ですかね。寺内での坊主の仕事は、葬式、年忌法要、相談相手、喧嘩(親子、夫婦、兄弟など)の仲裁、檀家内の余命宣告受者(病人全般)との関わり、赤子の名付け、朝晩の境内掃除、など様々ありますが、寺内以外の外の仕事では、やはり講演会(他宗寺院、学校、幼稚園、保育園、会社関係、医療関係、老人ホーム、商工会議所などの自治体、諸々)ですかね。大勢の人と直に向き合う事が出来るから、非常に楽しいですよね。SNS で書けば、必ず炎上するだろう話も『旅の恥は、かき捨て』で、遠慮気兼ねなく好き放題、無茶苦茶に話せますもんね、録音も映像もされてないから、ですね。炎上必至だろう話の方が教訓も多いし、間違いなく面白い。その大小はあっても、人間に完璧な品行方正者なんて、いないですもんね。誰しも、叩きゃ必ず埃が出ます。自分の日常生活に当てはまる話だから、どこか身に覚えのある話だから、皆々、興味津々で笑いながら、文句も言わずに聞いてくれております」と。


続けて拙僧「本当はSNS の中でも、こうした炎上必至話を書きたいのですが、何せ、自分に都合が良いか、悪いかの判断で、一定数の人達が大騒ぎし出すでしょ。自分の心の中で処理出来るものを、処理せず、言いたい放題に陰口(誹謗中傷)を。これって非常に、勿体無いと思うんですよね。世の中には、教訓入りの炎上必至話を持っている人が、恐らく山ほどおられるのではないかと。『皆(読み手)が黙って読んでくれさえすれば、解釈は各々が心の中でやってくれさえすれば、その面白い話のご縁に出会えるのに』と常々残念に思っております。よって拙僧は、その様な炎上必至話は、お寺の法要か、葬式後の会葬者に向けての法話か、あるいは講演会などで、思う存分披露させてもらっております」と。


対し、この読者の某社長さんが「ところで住職は、講演会はどこにでも行かれるのですか」と。「飛行機を使わずに行ける所なら、高い所は超苦手ですので。日程さえ合えば、どこにでも伺いますよ。こんな法話(SNS 内の法話、3冊の出版法話本)でよろしければ、ですが。コロナの影響で講演の依頼が約3年、途切れておりましたが、有難い事に昨年は3度も依頼を頂けました。昨年の10月12日の講演の主催者は、福岡県民主医療機関連合会(福岡、佐賀民医連)さんと、公益財団法人健和会さんからの共同依頼でしたが、オンデマンド撮影による形式で、系列の看護師さんと、カメラマンさん達が10人ほど、わがお寺へわざわざ足を運ばれ、拙僧を囲んで行われた法話の映像が今年(令和6年)の2月、福岡県内、佐賀県内の全ての病院、看護師協会、老人ホーム、などに(法話時間3時間)流されるとの事です。カメラマンさんが『住職(拙僧)が話した3時間を、どこも切らずに流した方が絶対に面白い』と言われましたが『それは、やめて。編集して下さいよ』と頼みましたら、後日『SNS だと炎上しそうな話だけ、1時間ほどカットしました』と連絡が」と。


続けて拙僧「今、最も望んでいるのは、住職不在のお寺の檀家さん達から呼んで頂けたらな、という事ですかね。日本には寺院が現在、約77000ヶ寺ありますが、その内の20000ヶ寺以上が、既に廃寺(住職不在間)状態に。将来は、50000ヶ寺以上が廃寺になるとの事。先祖があってこの身があるを考えた時、何万年も昔から1つの命をバトンタッチの様に繋いできてくれた先祖への感謝は、忘れちゃならん事ですもんね。その理(ことわり)を説いて回りたいですね。親の遺体を『いらん』と言って、病院に受け取りに行かなかったり。病院から火葬場に直行し、遺骨を置き捨ててきたり。住所が記されている埋葬許可証をご丁寧に抜いて、生ゴミ置き場に捨てたり。散骨とは名ばかり、皆が遊泳する海水浴場に遺骨をばら撒いたりと。以前にも書きましたが、ある中学生男子が『住職、人間って、死んだらゴミ捨てか』なる言葉を。その様な状況下で、子供達はどこで、命の尊さを勉強するんですかね。こうなってきた理由は『寺院の衰退が1番の問題』とまでは言いませんが、理由の1つとなっているは、間違いない事だと思います。その結果、現在日本は上記の様な状態に。『そうすれば、そうなる。そうなってきているのに、まだ、そうするか』です。『微力ながらでも、命の尊さを話せていけたらな』が、拙僧の残った時間(寿命)の使い方、とそう思っております」と、この読者社長さんに。


命といえば、余談ですが、母と子の喧嘩で偶に「誰も産んでくれとは、頼んでないだろ」と子供が母親に。以前、北野武さんがエピソードトークで、上記と同じ言葉を受け取った、たけしさんの母親が「この子を産んでくれ、と頼まれて産むなら、お前みたいな馬鹿は産まない。そんなにこの世におるが嫌なら、自殺する、っていう選択肢もお前にはあるぞ』と言い放ったと。当時の北野家の家庭環境、その時の喧嘩になった状況もあるので、この会話を『自分の経験、自分の価値観、自分の主観』に当てはめて、自分勝手な是非の判断や文句を言うのだけは、やめときましょうね。この母上と北野武さんの会話から、何かを読み取って、味わって頂けたらと、そう思って投稿しただけですから。大半の読者の方々には、この注意書きは必要ありませんが。


最後に、親の葬式の時、拙僧が必ず披露する言葉が、下記の2つです。

               母死んで、拝む両手があるならば、生きてるうちに、肩1つ揉め

               思いしられよ、己が身の、誕生の日は、母苦難の日

これにおいても、何かを読み取って、味わってみてください。解釈はお任せ致します。


下記で過去の法話を読む事が出来ます。


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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、2月15日になります。