会社講演で「縁起良い言葉を、と求められた住職が『家の外、ぐるりと囲んだ貧乏神』と。憤慨する相手に『福の神、外へ出られず』と添えると言葉が返せず。災い転じて福と、の教え。逆もまた然り。順風満帆時の油断に魔の手が忍び寄る。おみくじ大吉も現状維持も、後は落ちるだけ。向上心無ければ」と。
わが寺は四国巡拝中、出発から帰宅まで酒、煙草禁止。巡拝は空海修行の追体験。よって、不平不満を口にする事ならずが原則。昨年何番札所かで遭遇した老男性が飯が不味い、布団が臭い等文句三昧を。対し、連れの男性が「セレブ観光したかったら別のご縁にて」と苦言を。自分を律する時間も時には必要。
人を誹謗中傷する男性に「家康公重臣本多重次公が『趣味と服装を見ればその人間性が一目瞭然。その最たるものが言葉遣い』と。確かに心の中にない物は絶対に表現として出てこん。嘘を付く者は人も嘘を付くと。お金に汚い者は人もそうだと。言葉は『俺はこんな人間』と世間に自ら暴露してるに同じ」と。
父親との関係で苦悩した息子が親となり相談に。「息子から見れば父親は幼い頃は恐い存在。青年期になるとライバルに。特にこの時期は頭ごなしに否定は。一人前でないと本人は百も承知。追い込んじゃあかん。そこを上手に通り抜ければ同士に。これが理想かな」と。「同じ状況を作らない様にします」と。
父他界数時間前の病室。「午後から仕事が」とドクターに告げると「間に合わんぞ」と。「大丈夫。戻って来るまでは」と。この言葉に何の根拠も。「親が死んだくらいで仕事休むな」の言葉に従ったまで。戻ると同時に。父に顔を近付け「ご苦労様。今日だけは休んでよか。明日から手伝え。寺潰れるぞ」と。