保育士女性が拙僧に「偶々初めて住職のSNS 法話を目に。そこに興味深いお話が。その話とは、私と同業の女性から、住職への返信メール。その女性が『保育園内で、4歳の男の子2人が大喧嘩を。仲裁に入った6歳の男の子が、そのくらい喧嘩すれば、もうスッキリしただろ。あとはスパッと仲直りしろ、と。その言葉で、4歳の男の子2人は、何もなかったかの様に仲直りを。それを見て、私が仲裁に入ってたら、どうなっていただろうかと。恐らく、この様な対応は出来なかっただろう、と思う。喧嘩になった訳を両者から、根掘り葉掘り聞き出そうとしたでしょう。そうなれば、男の子は2人共が自分の正当性を言い合って、更に大喧嘩に。火に油を注ぐ結果に。まさに、この6歳の男の子は神対応を。勉強させられました』という話。保育士勤務の中で、私には今まで、こんな話の経験は」と、この保育士の女性が。
この保育士の女性に拙僧「当時、この仲裁に入った6歳の男の子の話を聞いた時に拙僧、ある仏教説話が頭に浮かびました。毒矢に射られた王様が『手当は後でいい。犯人を見つけ出せ』と。対し、有能な家臣が『まず、毒矢を抜いて治療しなければ、命を落としますぞ。犯人は後で見つけ出せばいい事』と。まさに、この家臣は『清水の次郎長偉いじゃない。大政、小政の声がする』ですね。この説話は、政治でも、医療現場でも、教育現場でも、家庭でも『まず何を優先して、対処しなければならないか』を考えさせられる、良き教訓話。この仲裁に入った6歳の男の子が、まず喧嘩を止めるを優先した事で、冷静になった4歳の男の子2人は、お互いに非を認め合って仲良くなったと、法話の中のあなたと同業の保育士の女性が話しておられましたよ。子供の世界は大人の世界と違い、判断を鈍らせる『忖度』という邪魔が、少ないですもんね」と。
更に、この読者保育士の女性が「今1つ、法話の中に驚いた話があります。定年間近の保育士女性(住職のお寺の檀家さん)の話。その女性が『保育園内で2歳児同士が喧嘩を。止めに入ると、片方の男の子が私に、包丁で刺すぞ、と。びっくりしましたが、そんな言葉を2歳の子供が、知ってるはずが。迎えに来る両親を見ると、なるほど、と。恐らく、家庭の中でそんな言葉が、飛び交っているんだろうな』という話です。この話の様な経験は、私にも多少はあります。保育の仕事をしておりますと『子供を育てる(取り巻く)環境作りは、家庭内に限らず、国全体においても、非常に大事である』を、つくづく思い知らされます」と。
その筋の専門家が「人間は、15歳までの育ちを土台に、16歳から20歳までの間に、考え方が確立する」と。この見解を耳にした時、そう言われてみれば、昔の女性は、20歳までに結婚をされる方が少なからず。考え方が固まらない内に嫁がれていたから、他家の環境に順応出来たのかな、と。この拙僧の憶測だが、檀家の婆様達に話すと「住職よ。近からず遠からず、だよ」と言われた。中学生まで、この国が義務教育と定めたは、そうした意味合いもあるのかな、と。因みに、樹木希林さんが「女性はなるべく若い内に結婚を。分別が付いたら、結婚など出来ん」と。この考え方には、賛否両論ありましょうが、色々考えさせられる言葉である事には、間違いないですよね。