【 臨時法話 】
この法話は、今年3月20日に投稿させて頂いたものです。中高生を子供に持つ親御さんから「自殺を事前に回避出来る、よい手段を何かお持ちですか、住職は」と度々問い合わせが。よってこの度、以前に投稿させて頂いた法話を今日、再度投稿を。
読者の女子高生が「3ヶ月程前、友人が自ら命を断ちました。その日(自殺日)の前日、みんなでカラオケに。あんなに楽しんでいたのに。葬式終了後の挨拶で、その友人(故人)のお母さんが『食事の用意が出来たので、娘の部屋へ呼びに。ドアをノックしたと同時に、ドン、という音が。マンションの自室から投身を。あの音は恐らく、一生耳から離れる事は。家族葬にせず、あなた達お友達を葬儀に招いたのは、あるお坊様(拙僧の事)の法話を読んだからです。その法話には、19歳で自殺された子供の親御さんに、ご住職(拙僧)が言われた言葉が書かれてありました。 ◦◦◦ 出来うるならば、最期がこうだったからといって、この子の生きた時間全てを、否定する様な送り方だけは、して下さいますな。この子もこの子なりに、19年間、懸命に生きて来られたんですから ◦◦◦ なる話が』と、住職の法話を紹介されておられました」と。
続けて、この女子高生が「住職、質問があるんですが、自殺は永久に地獄、って本当なんですか。私の周囲にはそんな事を言う人達が」と。対し、拙僧「江戸時代に近松門左衛門という人がいて『曽根崎心中』を発表。その読み物が、心中増加の原因となったかどうかは定かではないが、心中が多発を。阻止する為『自殺は、永久に地獄行き』と、当時のお坊様達が方便で。結果、自殺者が減少を。現在の風評は、その時の名残りかな。哀しく他界されて逝った人を、根拠なき憶測で、更に、死者を追い込む様な言葉を向けるは、あかんよな。人間の死は、病気も、事故も、災害死も、突然死も、勿論、自死も、拙僧は全て寿命と考えています。1000人近くの葬儀、それ以上の人の『生き死に』に立ち会ってきた結果『この世の役目が終わった人が、向こうの世界に逝くんだな』と、そう思える事例が多々あった。自死だけが『地獄堕ち』なんて、そりゃ、あまりにも可哀想過ぎるでしょ。が、本当に『全ての死は寿命』だとしても、自殺は、止められるもんなら、止めた方がいいよね」と。
更に拙僧、この女子高生に「ある檀家の爺様が拙僧に『時折、先に旅立った父や母、友人達、20代で他界した息子(交通事故)は、今頃何処で、何をしてるんだろうか、と思う事があるんだよな。住職よ、浄土は絶対にあるんだよな。向こうに逝ったら、また、みんなに会えるんだよな』と懇願する様に。対し、拙僧『死んだ事がないから、浄土があるかどうかは、はっきりとは言えんが。拙僧も、祖父母、父母には会いたいし、向こうでも家内と一緒に永久に暮らしていきたいから、そういう場所は必ずあるんだ、と信じたいよね』とその爺様に言ったんだよね」と、この女子高生に。「そうですよね。死んだら終わりは、あまりにも寂しい。その様な場所があると信じた方が、夢も希望もあって、いいですよね」と。
因みに、この様な自殺の話は、遺族の要望を受けて、投稿させてもらっています。遺族が投稿を要望される意図は「こんな悲しい思いをするは、私達だけで沢山。子供達のほんの僅かな異変をも、気付いてあげて下さい」と世間に、が、本意のようで。
わが寺にも、自殺をした若者が、何人かおります。その内、数人が19歳という年齢。この19歳という年齢での自殺は、世間的にも多いそうですね。つまり、就職であれ、進学であれ、社会に出て1年目というが、何か意味があるんでしょうね。わが寺に限っての事ですが、自殺の原因は、仕事関係、友人関係、いじめ、などではなく、大半が親子の不仲(家庭環境)にて。年間に何人かですが「死にたい」と、お寺へ相談にやって来る若者(檀家の子供以外にも、拙僧の法話を読んだ方も)がいます。が、相談にやって来る若者は、死なないかな。『生きたい』という気持ちが、どこかにあるから、お寺へ相談に。死ぬ事(自殺)を決定(決意)している人は、他人に邪魔をされたくないから、決行するその日まで、誰にも気付かれない様に行動を。
この様な話を投稿すると「自殺を防止するよい方法は、何かないのですか」という問い掛けがやってきます。なかなか難しい課題ですが、その質問者達に「子供は幼い頃から『これは何、あれは何』と疑問を、親にぶつけてきます。最初の頃は丁寧に答えてあげていた親も、それが長く(時の流れ)なってくると、面倒臭くなってきて、適当な対応をするように。子供の疑問、抱える問題は、年齢を重ねる内に、切実な問題に変わってきているのに、親は「そんな事、後でいいでしょ。今は、忙しいの」といい加減にあしらう様に。それが続くと、子供は親に頼る事をやめ、親に不信感を持つように。相談相手を失った子供は、解決されてない不安(問題)が次々と心に溜まり、最後は悲しい結末に。拙僧の経験(相談を受けた)では、このパターンが、最も多いような気がします。
お寺に縁(ゆかり)が深い子供達(幼い頃からお寺に慣れ親しんでいる)なら、家族、友人、先生の中に、話す相手がいなくても『お寺に行けば、話を聞いてくれる住職がいる』と足を運んできます。わが寺には、そんな子供達が何人もいます。お寺に限らず、話を聞いてくれる人、話が出来る場所、が周囲にいるか(あるか)、いないか(ないか)では、最悪の状況を回避するに、大きな違いが出てくるでしょうね。
因みに、新型コロナ感染拡大後の小中高生の自殺者が、2020年には、499人(小14人、中146人)。2021年には、473人(小11人、中148人)。2022年には、過去最高の514人(小17人、中143人)と。自分の事だけで精一杯だった(大人達、親達)ここ数年、子供達は周囲に自分の思いを話せる相手が、いなかったんですかね。人間関係が希薄になってきた昨今、これは大きな社会問題ですわな。
因みに、相談を受けてきた中で拙僧、1つ大変気になった事があります。親の勝手な思い込みで、子供のSOS を見逃している親が、何人もいたという事です。「私の子供はおとなしくて、反抗など全くしないんですよ。偉いでしょ」と自慢げに。それに対し、拙僧「いやいや、子供はわがままで、反抗するもの。成長段階では必ずあるものです。それをしないという事は、親に気を遣って生活をしていると何故、気付かないんですか。大変な事になる前に、考えましょうや」と。その言葉に対し親は『何の話』という表情で、ポカン、と。
次回の通常投稿法話は、7月30日です。