嘗て学校には薪を背負い本を読みながら歩く二宮金次郎の石像が方々に。実はあの本、道徳の教えを説く儒教根本経典四書の「大学」だそうです。因みに先日若者が「昔はこの石像は勤労、勤勉の象徴として崇められていた様だが、現在ではこの本がスマホに変わっただけで社会問題に」と不服を。さて、さて。
家康公長男信康公が謀反の疑いで信長公の逆鱗に触れ20歳で自刃。「これ程に短い命なら、もう少し違った生き方が」と家康公は嘆かれたと。私の周辺でも「こんな結果になるなら、子供の希望に沿ってあげればよかった」と後悔する親を何人も。人間の世界は常に結果論。所有物という観念は捨てないとね。
日本の食料廃棄量は世界でもトップ。年間2000万t、7000万人が1年間食せる量。弱肉強食は世の習いとはいえ、人間以外の生物は必要以上の殺生は。そりゃ、神さん、仏さん怒って「お前達にはもう食べさせん」と牛も豚も鳥も病気に。その内、食料の奪い合いが始まり、人間最期は。考え直そうや。
昨年は北の湖親方に続き大横綱が。私は法話で「人は病気じゃ死なん。必ず寿命」と常々。が、あまりに早過ぎる。千代の富士関といえば楽しみにしていた取り組みが。「横綱は絶対正面で受ける」と確信する小錦関が全力でぶつかっていく一戦。当時私は子育て中。この横綱の姿で親の有り様を教えらました。
高校講演で「中国の話。白楽天が道林禅師に『仏の教えとは如何に』と。答えて『悪い事せず、良い事成せ。心は清浄に」と。返して「そんな事は3歳児でも』対し『確かに。が、80歳の翁でも成し難い』と。『知る』と『体得』とでは根本的に違う。知識は学問から、その知識を活かす知恵は体験から」と。