講演後40代男性が手紙で「話の中で子育ては『ヤドカリ方式』と。突けば突く程、中に入っていく。ほっときない、外に出て来よるから。但し、出て行く場所が安らげる所なら、だが。親はその場所だけを提供してやればよか、と。思えばわが親もその場所を私に。講演後、久々に親のお墓参りに」と礼状が。
30年程前、繁華街で若者達が迷惑駐車を。そこへ救急車。が、悪態をつき車を退けようとも。そこに一見極道風の方が現れ「お前達も一度大怪我して救急車に乗ってみるか。有り難味がわかるぞ」と声を荒げる事なく。その威圧感に即退散。周囲からは拍手が。久々気分は爽快に。偶にはこんな話もいいかな。
女子高生が親の夫婦喧嘩に対し「常日頃、取るに足りん原因で。思えば人って、言葉一つで喧嘩して、言葉一つで仲直り、言葉一つで泣かされて、言葉一つで癒される。先日もご住職が法話で『人に口がなけりゃ信仰はいらん。それ程に口は罪を作る』と。親は自分達の事とは全く気付いてなかったみたい」と。
学生時代友人が「北海道に来るなら冬に来い。厳しさを含め、少しは北国の特色がわかる」と。一昨年、新潟講演に呼ばれた時も、今年2月の北海道布教の時も、その言葉が脳裏を。別義だが、食べ物にしても『春は芽の物、夏は葉の物、秋は実の物、冬は根の物」が良いと。如何なる縁も時期を考えるは大事。
檀家13歳男子が「父は『縁に出会っても、気付いても、活かせず』と度々。詳しく」と。「例えば、学校も、先生も、教科書も、1日24時間も、皆平等に。これが出会い。勉強しなきゃ成績は伸びんは、皆承知。これが気付き。後は、それを活かすを本人がするか、しないか、だけ」「そういう事か」と。