女房殿と高野山に登ると奥の院参拝は必ず夜に。一の橋から20万墓の墓中を縫って2キロの参道を。その時常に私は「光秀公、信長公、法然さん、親鸞さん、一瞬でいいからお姿を」と声を出しながら。が、一度も。冷ややかな目で見る女房殿に「会って見たいと思わん」と。ロマン街道だね。皆さんも一度。
檀家孫が「曽祖母が東京から帰郷後に胸元を痛がるので病院へ。肋骨にヒビが。聞くと従兄弟(父妹息子)が優しさから石段でおんぶを。僕なら絶対しない。お年寄りと同居してないとその体のもろさは、ね。先日も高齢者の腕を引いて皮が剥がれた、なる話を聞いた。直に触れ合ってないとわからんよね」と。
こんな手紙が届いた。「父と母の間に溝が出来ている事は5歳の時点で気付いていた。『何とかしたい』と気付かぬ振りをしながら親の間を取り持つ様な行動を毎日。が、11歳の時に親が離婚。現在私は45歳。親を反面教師として円満な家庭を。幼子だからといって、気付いてないと思ったら大間違い」と。
疲れ果てた母親が相談に。「息子がある日突然暴れ出し、手が付かぬ状態に。訳が」と。「15歳になっていきなり暴れ出す子はおらんよ。これまでの親に対する鬱憤が爆発、でしょうね。良かれと思ってしてきた事でこの状況を招いたんなら、真逆の対応を。親子でも価値観は別。押し付け教育はあかん」と。
教育委員会での講演で「自分の都合ばかり押し付ける者は、必ず第三者から同じ事を。夫婦関係を含む人と人との争いは、お金、時間等制限ある物の奪い合い。過ぎると絶交状態に。それが組織になると慣習に。富山市議問題等がその一例。人の欲には歯止めが。せめてその立場に長居させない事で抑制を」と。