医学部は相変わらず狭き門。まあ仕方が。人の命を預かる仕事だから。唯一点だけ。宮大工棟梁が「生まれつきの器用さは絶対に必要。ある程度までは伸びるが名うての匠なる人は生まれ持ったものが違う」と。そう考えると外科医志望者だけは器用さの確認を受験前にする必要が。一発勝負で将来名医の卵を。
棟梁から「寺を継ぐなら境内地に自らの汗を落とせ」と各お堂の修理を長年に渡り手伝わされた。「弘法筆を選ばず、という言葉があるがお大師さんは非常に筆には拘っていたんだ。当然だ。ノミ、カンナなど刃の手入れが不十分では大工も仕事にならん。拘るところは拘れ。プロとは選ばれる側の人間だ」と。
身体の不自由な方が住み易い家は、健全者ならもっと住み易いと棟梁が。子供が理解出来る法話は、大人ならもっと理解出来ると高僧が。満たされている側の方々がそういう基準で世の中を回せば、全ての人が幸せに。人の苦しむ姿を見るより、人の喜ぶ姿を見る方が圧倒的に幸せを感じれる。そんな世の中に。
ヨーロッパ在住知人達に「テロ問題大変ですね」と打診すると「ここに住む人達はそう気にしていない。音楽会場の後方から突然マシンガンが火を。電車内で突然爆発が。心配しても仕方がない。そこにいたことを不運と思うしかない」と。良寛の教えの『先ずは受け入れよ』が頭を過ぎった。他人事ではない。
住職には「仏壇に茶や飯等備える必要は」と言う人も。そりゃ先祖がガツガツ食べるわけじゃ、が自分の気持ちの問題。生前と同じ様に接することで心の中に故人が生き続ける。人は習慣にせずば次第にそこから心が離れていく。勉強も仕事も怠け出したら歯止めが。墓捨て人の増加はこの心の欠如が原因かな。