私はわが寺の僧侶達には常に「知らない事は知らないと認める勇気を持つ様に。知ったか振りは新たな知識も得られないし、それにより第三者の人生を狂わす事にも。武者小路実篤公は『俺は一生掛けても悟りに至る事は』と『桃栗三年柿八年、達磨は九年俺一生』の言葉を。向学心と謙虚さは必要不可欠」と。
ここ近年手抜き工事問題が世間を騒がせているが、これにつき知人下請け、孫請け社長が「仮に大手に500万の見積りを出したら『半額の8掛けでやれ』と。つまり200万で。当然赤字に。が、了承せずば次が貰えん。背に腹はかえられんもんな。中途マージンにメスを入れんとこうした問題は」と同情を。
お寺に寄贈される仏像は施主の思い入れから既製品等はない。全てノミ入れから始まる。思い入れと言えば、檀家の仕立て屋さんが「昨今ではとんと背広等の依頼がない。安い既製品を持ち込み、部分仕立て直しを。糸を解くととんでもない縫い方がしてある。表面だけを繕っている時代の象徴かな」と落胆を。
昨今こんな拘りは薄れてきたが、男子なき家を絶やさぬ為「絶対養子を」と娘にプレッシャーを課す親が。まず男子不在時点で家の存続は諦める事。養子や嫁がせた先で産まれた男子を貰える話が来たらラッキーと。あまり拘ると「家も潰した。娘の人生も潰してしもうた」という事に。何事も無い物ねだりは。
江戸時代の禅僧良寛さんが晩年癌で苦しんでいた時「あなたの様な高僧が何故」との信者の問いに『裏を見せ、表を見せて散る紅葉』と辞世で。曹洞宗開祖道元さんも晩年皮膚癌で苦痛を。わが父もまた。その時一部の心無い人が「信仰してもこんな病気に」と。信仰したら死なん、とでも。大事なのは生き様。