1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 SNS内に限らず、誹謗中傷者を抑える法律を急ぎましょう。人差し指1本で、人の命を奪う時代にて。

2024-08-30 10:13:10 | 法話

【臨時法話】  SNS内での誹謗中傷者には、弁護士を通して情報開示請求を。


読者さんが「昨日の住職の法話で、SNS内の誹謗中傷の話が投稿されていましたが、昨日、番組『ダウンタウンDX』でロンブーの淳さんが『僕は誹謗中傷された時、情報開示請求を弁護士に頼んで動いてみた。全部が全部じゃないですよ。死ね、とか、殺す、とかは絶対に許さない。その人にたどり着いて、慰謝料と弁護士費用を請求。すると、弁護士事務所にその誹謗中傷者から電話が掛かってきて、あまりにも高額なので、何とかなりませんか、と。払う気がないなら、裁判をやりましょう、と突っぱねたら、お金を払ってきた。情報開示請求は、マジで効きますよ』と言われていましたよ」と。


対し、拙僧「その番組なら、録画をしてたから拙僧も見ましたよ。その番組を見てる人の中には、身に覚えのある(誹謗中傷常連者)人もいるだろうから、何かしらの抑止力にはなるだでしょうね。『そこまでやる必要あるの』と文句を言う人(誹謗中傷予備軍)も出てくるだろうけど。人の人生(命)を人差し指1本で奪う時代だもんね。だけど、ここまで言わないと、ここまで毅然とした態度で対応しないと、SNSの中の誹謗中傷は、止まらないだろうな、と思ったよ」「そうですよね。有名人が声を上げれば、広範囲に」と。


下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。


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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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投稿添付写真は、ロンブー淳さんのマネージャーさんがメモしたもの。詳細の情報開示請求は弁護士さんに聞いて下さい。


次回の投稿法話は、9月1日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 ネットの世界の誹謗中傷者は、全体の1割か、2割との事らしい。

2024-08-29 10:17:59 | 法話

【臨時法話】


拙僧の法話読者の女性が「住職、少し愚痴を言わせて下さい。ネットの世界って、いったいなんなんですか。自分と意見が合わないだけで、自分が気に食わないだけで、何にでも噛み付いてきて、暇なんですかね。投稿されている言葉を確かめもせず信じて、それを実(まこと)しやかに拡散して、人差し指1本で寄って集って、知らない人を自殺にまで追い込んで。まるで、全国民総週刊誌記者時代ですね。弁護士ドットコム株式会社の調査で、1350人を対象に『ネットで誹謗中傷した事があるか』の問いに『ある』と答えたは、13%らしいです。その割合が高いは、男性女性ともに、50代、40代、30代の順番だそうですが、圧倒的に男性が多いとの事。誹謗中傷の内容は『容姿、性格、人格否定』や『真偽不明情報の垂れ流し』や『プライバシー侵害』らしいです。どう思う、住職」と。


対し、拙僧「文句言いが13%ですか、それも、10代、20代の若い人達じゃないんだ。という事は、87%の人は『常識人』という事ですね。少し安心しました。まあ、そのくらいは存在するでしょうね。何にでも、一定数は存在しますからね。使い道によっては、人に危害を加える恐れがある物(道具)は、世の中には数多に。自動車、刃物、その他諸々、ネットもそうかな。それらを全て消滅させる訳にはいかないから、自動車(道交法)同様、内容によっては、厳罰に処する法改正を急いだ上にも急いだ方が、いいかもしれませんね。言論の自由を履き違えている人が、こんなにも多くなってきた今日においては、特に厳罰の法改正は急いだ方が。人差し指1本で、寄って集って罪のない人を死(自殺)に追い込む行為は、殺人に値しますもんな。ネットに関わる法改正の話は、随分と前から出ていて、何かしらの手は打っているみたいですが、あまり功を奏してないみたいで。何か起こってから慌て出すもんね、いつもこの国(日本)は」と。


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次回の投稿法話は、9月1日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 人を誹謗中傷、どっち向いてもクレームを。そんな人生を歩んで、面白いのかな、虚しくならないのかな。

2024-08-26 19:36:16 | 法話

【臨時法話】  最近になってまた、この手の問い掛けが、増えてきましたね。


読者の若者(女性)が「自分に当てはまらない投稿内容、自分に都合の悪い投稿内容に、いちいち噛み付いてくる人がいるでしょ、極一分の変わった人達なんでしょうが。全て自分を中心に世の中が回ってるとでも思ってるのかな。自分のスマホの中に出てくる言葉だから、全て自分に言われていると勘違いしてるかな。あなたの事を言ってるんじゃないのに、身に覚えがある言葉(投稿内容)なもんだから、自分が言われていると思って、腹が立つのかな。住職の投稿法話には、こんな読者は、ほとんどいないみたいですが」と。


対し、拙僧「そうだね『文句言い』といわれる人達は、いつでも、どこにでも、一定数はいますよね。あんまりムキになってクレームを言い過ぎると『私はそんな人間である』と世間に向けて、自らで自らの事(人間性)を暴露してるのと同じなんだけどな。何せ、心の中にあるものしか、口からは出てこないから。心の中にないものは、口から出てくる事は絶対にないからね」と。「なるほど、そうですよね。ところで、住職。これまでに自分勝手な主張を、ああだ、こうだ、と言ってきた人って、おりましたか」と。昨今、また、この様なクレームにうんざりしてる人の問い掛けが、増えてきました。


対し、拙僧「SNSの中ではないですが、以前、愚痴を言いに来た20代のベンチャー企業の社長が『社員がうつ病になって、いつまでも会社を休むので、俺の親父はうつ病だったが、すぐに自力で回復させたぞ。お前、甘えとりゃせんか、と怒鳴ってやったんですよね』と。その後もこの若い社長、その社員さんを追い込み続けたと息巻くので、拙僧『君の知ってるうつ病のサンプルは、親父さんのその1つ(1例)だけかい』と返すと、血相変えて『私の叔父さんもうつ病でしたが、親父と同じく、すぐに自力で回復させましたよ』と、ムキになって言うので『なんだい、うつ病に関する君のサンプルは、たったの2つ(2例)だけかい』とその若い社長に返すと、ああだ、こうだ、と屁理屈三昧を言ってきたな」と。


続けて、拙僧「更に、その社長に『拙僧は1000人以上の葬式と、その倍ほどの人の、生き死に、に関わってきた経験から、例えば、同じ肝臓癌でも、同じリュウマチでも、100人いれば、100人とも、症状は違うんだよ。何の痛みもない人もいれば、耐えられないくらいの痛みに苦しむ人もおらっしゃる。また、同じ薬を投与しても、効果のある人もおれば、効果のない人もおらっしゃる。君は、えっと、何かい、自分が知っている事例(範疇)だけが、正解、と判断するタイプの人なんかい。そりゃ、社員さん達は、大変だわ』と返すと、凄い顔して黙って睨み付けてきたけどね。あれから10年以上になるが、今、どうなってるんだろうね。人は教えられても身に付かん。人は気付かないと身に付かんもんね」「なんか、この世の中、多くないですか、そんな人が。自分勝手な主張を言いたい放題(陰口)に言えるSNSが、普及した影響もあるのかな、住職」と、この読者女性が。


最後になりますが、文句(クレーム)、講釈、誹謗中傷、類の物は、自分の心の中で処理出来るものが大半ですわな。コンプラ、○ハラも同じにて。これ以上、自分達で住み難い世の中を作ってどうするんでしょうね。それも個人個人が自分の基準で文句を垂れ流して。この度のパリ五輪に出場された選手達への誹謗中傷も、呆れて物が言えなかったですな。こんな世の中にして、何が楽しいのかな。凄い世の中になりもうした。拙僧の婆様(生きていたら115歳に)は大変厳しい人でして、常に「文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとる。自分が気に食わん事を口に出すは、3歳の子供でも親に向かって言いよる。建設的な意見を持たずの文句は、ただの雑音に過ぎんわい」と言い切りよりました。大正生まれで、激動の昭和を生き抜いた人ですので。ほんと「御意」ですね。


【付録】

拙僧はこれまでに、約10年間でSNSに3000話の長短法話、また、法話の本を3冊、世に出させて頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで。尚、檀家は千葉県にも)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間は、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


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次回の投稿法話は、9月1日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 度々、「戒名って、本当に必要なんですか」という問い掛けがあるので、今日はほんの少し『戒名』のお話を。

2024-08-24 05:32:04 | 法話

【8月25日投稿分】


8月15日に投稿した法話を読まれた、拙僧の法話読者の老齢男性が「住職さん、戒名って、本当に必要なんですかね」と。この手の質問は、度々受けますよね。対し、拙僧「そうですね、じゃ、戒名の意味するところを、少しお話しをしましょうかね。戒名が一般庶民に与えられるようになったは、江戸時代の後期からでして、わが寺の檀家の中には数家ですが、その頃(江戸後期)から令和の世まで、脈々と戒名が過去帳に残っている家がありまして。これは何を意味するかといえば、誰1人として親を粗末に扱った子孫が出なかった、という証しでして。その家は今、非常に栄えております。『先祖を大事にするから、先祖の功徳が子孫に』と言いたいところですが、そんなんじゃないよ、とまでは言いませんが、実際は、親に感謝する、親を大事にする、という心が、つまり、感謝出来る子孫が、延々と育ってきているという事にて。そうなれば、当然、栄えていてもおかしくはないでしょ」「まあ、そりゃ、そうですわね」と、その老齢男性が。


続けて拙僧「で、戒名がいるか、という質問ですが、建前で言えば『阿弥陀の世界(あの世)に、名無しの権平、で逝かせる訳にはいかないから、戒名を』という事になる訳ですが、拙僧においては、それよりも、というところがありましてね。その江戸時代後期から過去帳に残っているという、わが寺の檀家の先祖の戒名を見てみると、使われている漢字の中に、どんな家柄(武士、商売人、坊主、百姓、漁師など)だった人か、どんなの仕事をしてきた人か、いつどこで亡くなった人か、どんな生き様をした人か、どんな性格だった人かが、わかる、読み取れる、戒名になっているものが、少なからずありまして。子孫にとっては、わが家の先祖を知る事が出来る、何よりの資料になるが、戒名、という事に。そう考えると、子孫にとって残っている戒名は、ロマン以外の何ものでもないでしょ。拙僧は、俗名を『山本博文』と申しますが『山本博文位』では、何をした人なのか、どんな人だったのか、さっぱりわからん。自分のルーツ(先祖、命の流れ)を知ろうと思ったら、区役所に行って戸籍を見るより、菩提寺に行って、戒名をみよ、ですばい」と。


すると、読者の老齢男性が「戒名授戒の意味は少しわかりましたが、でも、でもですよ」と。「高額な戒名料の事でしょ。拙僧のお寺では戒名料は無料にしておりますが、寺院によっては、お寺を維持していく為の貴重な収入源になっているところも。因みに、戒名料が高額になっていったは、仕掛けたのは寺院の側じゃないんですよ。戒名に使われる『院号』や『居士、大姉』は、昔は、お金を幾ら積み上げても、寺院に対し、余程の貢献をした人でないと、与えてはもらえなかったもの。貢献とは、寄付(お金)だけではなく、長い長い間、境内地の掃除をされたとか、度々お米や、お野菜を奉納されたとか、お寺の法要やその他の行事の手伝い(裏方で接待準備)を献身的にされたとか、ですね」と。


続けて、拙僧「それが昭和に入り、成金という人達が世に出てくる様になってから、戒名の授戒に変化が出てまいりまして。戒名を見ると、その人が自分の為(強欲)だけに動いた人か、人の為(奉仕)に動いた人かが、一目瞭然なんです。葬式の時に子孫が『父は世間的に地位も名誉も財産も。この字数少ない『院号』なき戒名では、世間体が悪い。何とかなりませんか』と住職に『院号の授戒』を嘆願。対し、住職が『お寺に何の貢献もしてない人に『院号』などを与えたら、貢献して『院号』を授かった他の檀家さん達から、文句が出るは必定。どうしても世間体を気にされるなら、他の檀家さんから文句が出ない様に、それなりの姿勢を見せなさい』が戒名料が高額になっていった経緯にて。つまり、戒名をもらう側の見栄から始まったもの。ところがそれをお坊さんが逆手に取って、超高額な戒名料に。が、わが寺だけでなく、戒名料を取らないお寺さんも結構に多いですよ。まあ、何にせよ、こんなに戒名料が高額になったら『戒名なんていらない』という人が増えてきても、仕方のない事ですよな」「そういう事だったんですね。だけど、戒名が『100年後の子孫の資料(ロマン)になる』なんて事を聞くと、考えさせられますな」と。

 

最後に、この老齢男性が「聞くところによると、生きてる内に授かる『生前戒名』なるものがあるとか」と。「はい、ありますよ。生前戒名を授かるが、本来は本筋です。わが寺の檀家にも、希望者には授けておりますよ。何年か前にはこんな話がありました。80代後半の檀家の爺様が『住職よ、わしに戒名を授けてくれんか』と。すると、横にいた婆様が『住職さん、遠慮気兼ねなく、この人に戒名を授けてやってくださいませ』と意味深な笑顔で。それじゃ、という事で『天寿院好色一代居士位』と墨書きすると、爺様絶句、婆様大笑い。お察しの通りです。この爺様、生涯を掛けて浮気三昧を。暫く無言だった爺様が『住職よ、これはいかんぞ、これはいかん。100年後の子孫に、この人、相当な色ボケだったんだな、と笑われ者に。何とかならんか』と。『そうだね、残りの人生次第だね。その結果次第で、天寿院伴侶一筋居士位(妻一筋の人生を全うした男性)に変えてあげるよ』と。『そうか、心を入れ替えるから、頼むぞ』と爺様が。拙僧は『お寺の仕事で、何が最も好きか』と聞かれたら、必ず『授戒(戒名授け)』と答えるかな。その人の歴史だもんね」と。


【付録】

拙僧はこれまでに、約10年間でSNSに3000話の長短法話、また、法話の本を3冊、世に出させて頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで。尚、檀家は千葉県にも)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間は、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。


金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808

金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093

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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、9月1日になります。添付写真は、拙僧の祖父母と父母の位牌です。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 人間は生まれてくる時も、死んでいく時も、第三者の手を借りないと何も出来ない。その事を自覚して、人付き合いを。

2024-08-19 05:44:48 | 法話

【8月20日投稿分】


昨日、拙僧の法話の読者という関東在住の女性から「愚痴になりますけど、聞いてもらえますか」と電話が。この話をここで紹介するは、この女性からの要望でして。女性曰く「同じ境遇の人が、世の中には必ずおられるでしょうから、この話を法話にしていただけたら、何かしら考えるきっかけになるのでは、と思いますので」と。確かに、類似の境遇にある人は拙僧の周囲にも、ちらほらとおられるには、おられますけどね。


その女性が「住職が法話の中で『子供は、親が育てただけしか、育ってない。親が作った家庭環境の中で、その親が育てる。親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事にて。鳶(トンビ)が、鷹(タカ)を産む事はありません。基本、蛙の子は、蛙にて。が、偶にですが、鷹(タカ)の様な鳶(トンビ)が育っている事が。その大半は、子供自身が自らの努力によって、鷹になってる様で。但し、これらの見解については勿論、例外というはありますよ』と。住職の言われる通り、基本は『この親にして、この子あり』だと思います。私の両親は、2人共が非常に温厚で、素晴らしい人達(人格者)でした。5人の兄弟、姉妹の中で、兄(当年72歳)だけが、住職の法話の例外に当たる人間で、両親に悉く反発し、我が強く、徹底した個人主義(利己主義)で、好き放題、やりたか放題の人生を」と。


続けて、その女性が「実はその兄が先日、何を思ったか、突然私に『俺は誰の世話になるつもりもない。俺が死んだら、骨はそこら辺に捨てとってくれ』と。それを聞いた時、思わず『はっ、今、なんて言ったの。兄さんのその骨を、いったい誰が、いったいどこに、捨てに行くの。私が兄さんより先に逝ったら、そんな後味の悪い事を、私の息子、つまり、あなたの甥にさせるっていうの。冗談じゃない。人は産まれてくる時も、他者の手(産婦人科医など)を借りないと、この世に出てくる事は出来ない。人は死んでいく時も、自分で歩いて火葬場に行く事は出来ないんだから、他者の手を借りないと何の処理も出来ない。誰の世話にもならない、ですって、現に、捨てとってくれ、と私に頼んでるじゃないの。お父さん、お母さんが永眠している菩提寺の納骨堂がちゃんとあるんだから、そこに納めて俺の永代供養を頼む、ぐらいの事が言えないの。それだったら、私の息子も快く受けられるわよ。立つ鳥跡を汚さず、とはそういう事よ』と思わず、言いたい事をぶつけちゃいました。その後は流石に、屁理屈こきの兄も気まずい顔をして、閉口しました」と。


更に女性が「住職、兄という人間はですね、1度も結婚をせず、生涯独身を謳歌した人で、若い時からの口癖が『俺が一生懸命に働いた金を、何が悲しゅうして、妻や子供に使わにゃならんのや』と。対し、私が『産んで育ててもらった恩は、産んで育てて返すが、当然でしょ。縁が薄くて結婚まで至らなかった人や、子供が欲しくても授からなかった人は、別だけど。これが何よりの親に対しての恩返しでしょ。兄さんは、育ててもらった経験しかないから、育てた経験がないから、待つ事(子供が成長するを)や、我慢する事(子供が成長するまで)が出来ないでしょ。だから、いつまで経っても考え方が自分中心で、大人になってないでしょ』と。この様な口論は、度々ありましたね」と。


続けて女性が「恐らく、兄も気付いているんだと思います。今、自分が、強がった言葉を吐いているという事を。自分が選んできた人生を自分で否定するは、あまりにも辛いからですね。それが証拠に、私とのこの度の口論、最後は閉口を。こんな事を思ったらいけないのでしょうが、兄は可哀想な人だと思います。せめて、晩年は素直になって、兄弟、姉妹、甥や姪と、親しく交流を持ってくれたら、と思うばかりです。住職が以前、法話の中で『人は晩年になると、失っていくものばかりにて。職を失い、親を失い、兄弟を失い、友人を失い、伴侶を失い、健康を失い、と。この失っていくものばかりの中で、孫、曾孫の存在は、掛け替えのないもの』と。ほんと、そうだと思います。住職、今日は愚痴を聞いてくれて、有難うございました。兄の愚痴を言いたくて電話をさせてもらったのに、兄の事を見つめ直すきっかけにもなりました。また、連絡します」と、この女性が。


人間というは、皆が皆、事情を抱えて生きているもの。事情の塊が人間ですから。第三者に迷惑を掛けずに生きている人間など、恐らく、誰1人もいないでしょうが、ただ、自分勝手な行動で人に迷惑を掛ける様な事だけは、極力、避けていきたいもんですな。


わが寺(金剛寺)には、納骨堂の中に『永代堂(添付写真)』を設けております。3年程前に建立させて頂きました。建立理由は、今後、独身者が増加し「先だった親と共に永代供養を」の依頼が必ず増加を。「そこら辺に捨てとってくれ」の人ばかりじゃないですもんね。また「自分の遺骨はどうでもいいが、流石に、親の遺骨を粗末にするは、忍び難い。なれば、自分も一緒に」と言って、お寺に相談に来られる人達も昨今は、ちらほらと出てくる様になりました。であれば、受ける側(寺院)もそれなりの準備を、で、永代堂の建立を。


【余談】

これは余談ですが、拙僧が幼い頃、育ての親(拙僧母離婚で不在)の婆様が「お盆が終わったら、朝晩が涼しくなるだろ。それはご先祖さん達が、お盆で供養してもらったお礼に、朝晩だけでも涼しくしてあげようと、暑さを持って帰ってくれてるからだよ」とその様に。このお年寄りならではの『情緒ある言葉』に対し、拙僧は幼い時期から、これが『嘘か本当か』など、どうでもいい、と。お盆が来る度に、この言葉が聞けるのを楽しみにしてましたね。『先祖に守られているんだ』という感じがして、非常に心地がよかった。また、婆様は「赤とんぼの赤い色は、ご先祖の血の色でな。とんぼの頭にご先祖が乗って来るから、捕まえたらいかんのだよ」という言葉も。いやあ、懐かしいですな。婆様は早いもので、今年で31回忌に。恩返しの為に毎年、祥月命日(立ち日)には、年忌法要を勤めております。生きていたら、113歳になりますかね。拙僧はこの身が息絶えるまで、婆様に育てられた恩が消える事はありません。生きている間は、ずっと恩返し(供養)を。


長くなってすいませんが、もう少しだけ、お付き合いを。面白い話が舞い込んできましたので。檀家の爺様が「住職よ、先日な、凄く心根の優しい孫(高校男子)が『爺ちゃん、これから先の夏は、暑くなる一方だから、春先か、秋が深まって、雪が降る前に死なないと駄目だよ』と。『何でや』と聞き返すと『夏なんて時期に死んだもんなら、年忌法要(立ち日か、立ち日近くで法要、3回忌、7回忌、13回忌、など)をしてもらえないかもしれないよ。うちの親(爺様の子供)なら、そんな事をやりかねんからね。今から先は、死ぬ時期は大事だよ。それと、死に顔は安らかな表情でね。うちの親(爺様の子供)の脳裏に、焼き付けとかにゃならんから』と。確かに、間違いないや、と思ったわい」と。対し拙僧「面白いお孫さんですね。まあ、しかし、生きるも大変だが、死ぬのも大変ですよね」と。


【付録】

約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。


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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、8月25日になります。添付写真は、わが寺の永代堂。