拙僧の法話読者が「住職は相当数の相談を受けてこられたんでしょ。その数は」と。「そうだね。千の単位は軽く超えてるかな」「その中でこれは酷い、と思った話は何ですか」「酷いも、色んな酷いがあるからね。じゃ、1つだけ。これは数年前の話だが、当人が当時『SNSに私の話を投稿して下さい。考えなければならない人達が、おられると思いますので』というご本人の希望で投稿した話があるから、その話をさせてもらおうかね」と。
この読者に拙僧「当時、相談の電話をくれたは、還暦前の女性。その彼女が『私は幼い頃から、両親と兄から罵詈雑言に、虐待を。中学1年の時、兄が自転車の乗り方を教えてやる、と無理矢理私を自転車に。フラフラして乗ってる私を蹴り上げて、2ヶ月間入院する程の大怪我を。退院してくると、今度は父が、足を引き摺って歩く私の姿にイラっときて、夜中、私が寝ている時に、悪い方の足を無理矢理逆に折り曲げ、私は身障者に。私が20歳になった時、父が、相手を決めてきた、と私の気持ちも聞かずに結婚させられ、それから30年以上も、DVを夫から受け続ける事に。何度も両親に、離婚させて下さい、と頼みましたが、世間体が悪い、と聞き入れてはくれませんでした。そんな夫婦関係なので、子供も出来ず、55歳になってやっと、聞き入れてもらい、夫と離婚を。その時には既に両親は、兄夫婦に捨てられ、老人ホームに。よって私が、ホームに足を運ぶ事に。両親は歳を取っているので、以前の様に暴力を振るう事はないですが、毎日、罵詈雑言を私に。それでも足を運ばないと、ホームの人達に迷惑が。今は、そんな状態です。誰かに聞いてもらわないと、心が救われませんので、ご住職に』と。そんな話が」と。
この法話読者が「何とも、凄まじい話ですね」「だよね。拙僧が相談を受けてきた中では、最高級かもしれん。が、この女性、今はその両親も他界し、独り身で、生活も楽ではないが、出来る仕事をやりながら、人生で初めて、安らぎの時間を過ごせているとの連絡が。世の中には、この様な境遇の人が、どのくらいおられるんだろうね」「私も人に負けないくらい、辛い人生を過ごしてきたと思っておりましたが、上には上がいるもんですね。この女性と比べれば、私など」とこの法話読者が。
最後にこの読者が「実はですね。数年前『住職の140字の法話は、俳句ですよね』とメールを」と。「あれ、君だったんかい」「はい。が、昨今、住職の法話は長文に。何か、あったんですか」と。「140字では、伝わらない人が多くてね。長い、と文句を言われても、ある程度、詳細に書かないと。それでも伝わらない人(含み言葉を読み取れない人)はいるが、だけんども、これ以上の長文は、ね」「住職の法話投稿に対して『ここに(私に)関係ない話』と文句を言ってくる人がいますが、この世の中、関係のない話なんてないですもんね。読み取り方次第で、自分のどこかに当てはまりますもんね。文句言いの人達は、自分を中心に世の中が流れているかの様に、文句を言ってきますもんね」「まあ、そんな人も偶にね」と。