1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 SNSが普及してからは、全く知らない事にでも、全く知らない人にでも、文句や批判をする人が増加を。

2024-06-27 07:46:37 | 法話

【臨時法話】


ここ数日、ある事で落胆したという2人に拙僧、次の様な同じアドバイスを。「誰が詠まれたかは知らないが『手を打てば、はい、と答える、鳥逃げる、鯉はあつまる、猿沢の池』なるものが。奈良興福寺の近くに猿沢という池があって、池の周囲には何軒もの宿屋やお店が。その猿沢の池の辺(ほとり)で旅人が、パンと手を打ったら、宿屋の女中さんはお客さんが呼んだのかと思い『はい』と答え、鳥は危険を感じて飛んで逃げ、鯉はエサをもらえるかと思い集まってくる。『パン』という音を聞いただけで、受け取り方にこれだけの違いが出てくるんだよ。この世の中に『これ、正解』といわれるものはないよ」と。


続けて拙僧「今の自分にとって、それが『正解か否か』で判断をする人は多い。だが、今現在『これが正解』と思っているものも、知識、知恵、経験が増していけば、自ずとその考え方も変わっていく。だからこそ、人を批判しちゃならん。『文句言い、講釈言い』といわれる人達は、それその物に対して、知識が乏しく、思慮が浅い人が多いかな。その本質を知っている人達は、軽率な言動は起こさないよ。お笑いの水田(元、和牛)さんは前職がプロの料理人で、以前、番組で『料理の大変さを知っているからこそ、僕は妻が作ってくれた料理には一切、文句は言わない』と言っておられたよ。今後の参考に」と落胆の彼らに。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間は、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。


過去の法話は、以下で読む事が出来ます。興味がございましたら。


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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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次回の投稿法話は、7月1日になります。添付写真は、奈良の猿沢の池です。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 今日の法話は、個別エピソードの話です。拙僧の法話が長文になっていった理由を少しだけお話しを。

2024-06-23 06:12:06 | 法話

【6月25日投稿分】


今日の投稿法話は、檀家さんのエピソードを『個出し』にしたものですが、本来、拙僧の法話(SNS に投稿)は、例えば、同じ様な失敗、教訓(サラ金に借金、離婚、家庭崩壊、浮気、病気、臨終間際)を経験された人達のエピソードを4つ、5つ混合させ、1つの話に仕上げていく、というやり方をしております。1個人のエピソードをそのまま載せれば、檀家内で「この話は恐らく、あの人の話よ」と特定される可能性がありますので。が、当人さん達は、自分の事ですから「この部分は、私の話だ」と理解をしております。勿論、載せる前には、当人さん達の許可は取っております。結構、喜んでくれています。自分の事が活字になって、本などに載るなんて、そうある事ではないですもんね。


SNSに法話を投稿し始めた初期(10年程前、現在までに約3000話を投稿)の頃は、下記の様に短い法話を投稿。が、話の中に隠れている含み言葉を、読み取って頂けない読者さん達から、自分勝手な解釈による文句が、ちらほらと。その理由から、徐々に徐々に長くしていき、わかりやすい様に仕上げたのが、昨今投稿の長文法話です。本来は、短い法話の中から「この住職はこの法話で、何を伝えようとしているんだ」と読み取って頂くが、最も面白い読み方なんですが、なかなかそうはいかないですわな。因みに、下記のエピソード1から6の法話ですが、読めば1、2分ですが、人前で話すと、その当時の時代背景や、登場人物の心情の移り変わり(そう動くからには、そう動く理由がある。そう思うからには、そう思う理由がある。底意)を詳しく話すので、かるく1時間は超えていく内容です。それだけこの短文には、含み言葉が含まれている、という事ですね。



【エピソード1】   法話投稿初期は、この様な140字(ツイッター)で。

拙僧妻のご両親と同居が決まった時、当時17歳の娘(現在33歳)が「何故」と。「嫌なのか」と返すと「私は嬉しいよ。でも、お父さんの負担が」と。「有難う。が、お母さんは3姉妹。そんな家庭の娘をお嫁に貰おうと思う男性は、そのご両親まで世話する気がないなら、初めっから結婚しようなど思わん事だ。そう思わんかい」と。


【エピソード2】

檀家爺様が「住職、老人ホームや病院に行くと、1人暮らしの方が『私らはここ(ホーム)以外に行く場所がない』と寂しそうに。そう考えたら、わしらは幸せ者だよ。お寺に行けば住職や奥様、檀家同士の触れ合いが。私は孤独じゃない、と安堵出来る」と。こんな言葉を聞く度に、お寺の存在価値を自覚させられ、お寺を潰しちゃならんと拙僧、心に。わが寺の檀家さんの中には、独居老人が少なからず。その中には、天涯孤独者が数人。その数人は全て、公正役場を通して公正証書を作り、拙僧と家内が後継人に。何かあったら、病院から老人ホームから直に、お寺の方に連絡が。数年前も92歳の老婆から「気分が悪い」と夜中に電話が。家内と駆け付け、救急車を呼んで病院に。他界までの半月を家内が病院に寝泊まりして付き添いを。亡骸はお寺に運び、通夜、葬儀は本堂で。


【エピソード3】

家族、親族、知人が土地家屋を購入しようとする度に「この土地で変な死に方をした人はおらんか」とか「この土地に悪霊はおらんか」とか「霊が居座ってないか」とか、やたら気にする50代女性(檀家ではなく、相談がある時だけ来る人)が。そんな事を聞かれても、拙僧にわかるはずないのに。その女性が過労で短期の入院を。退院後、拙僧が「入院中はどうだった」と尋ねると「それはもう快適で。病院食は美味しいし、ドクターや看護師さんは優しいし。毎日、家よりも熟睡出来ました」と。「ほう、それはよかった。じゃ、その部屋で最期を迎えられた人達に感謝せにゃ」と言うと「ん、どういう事ですか」「なんね。常日頃は、その土地やその家で、他界された人達の事をやたら気にするくせに。あなたが入院していた病室では、恐らく、相当数の方々が他界されてまっせ。当然でしょ、病院なんだから」と返すと、みるみる顔色が。対し拙僧、その女性に「そんな顔しても、もう遅いよ。その病室で散々癒されて、無事に退院してきてまっせ、あなたは」と。その女性ですが、それからは、奇抜な(祟る、悪霊、類の)事を言わない様になりましたよね。


【エピソード4】

10年程前に某小学校の講演を頼まれた時、生徒さん達、保護者さん達にこの様な話を。「拙僧が小学6年の時、学校の校門前に、お婆ちゃんが営んでいた駄菓子屋(現在は家だけが残っている)さんがあった。その駄菓子屋さんで何人もの後輩(下級生)達が「お金を渡したのに『もらっとらんぞ』とお婆ちゃんが、がんとして聞き入れず、お菓子を買わせてくれなかった」と泣いて拙僧に。対し「お婆ちゃんは、故意にしている訳じゃない。お金を貰った記憶が吹っ飛んでんだ。だから、お菓子を貰う時にお金を渡せ、と何度も注意したろ。お前達は、これで何度目だよ。少しは学習せえよ。まあ、それでも、よかお金(本当の経済)の勉強をさせてもらってるよな」と拙僧、下級生達に。読者さん達には「小学6年の頃の住職(拙僧)が、そんなアドバイスが出来たんですか」と驚かれるでしょうね。お寺というところは、これに似た相談が山ほど来ます。拙僧の父は、固有名詞は出さず「勉強になるから聞いておけ」と小学生の拙僧に。勿論、全部が全部じゃないですよ。


【エピソード5】

某高校の講演で拙僧、生徒達と保護者達に「上杉謙信公が「敵に塩を送る」で牛馬の隊列を整えて、武田信玄公の甲斐国に塩が届けられたが、1月の11日のこと。人々はその時の恩を忘れない為に、それ以来、この日には毎年、祭りを行うようになったと。これが何百年も続けられた『塩市』の始まり。今は『飴市』に変わっていますが。また、400年以上続く、京都の地蔵盆は、明智光秀公が京都所司代を務めていた時が、最も京都が安心して暮らせていた事より、京都民が光秀公に対する御恩法事として始められた事が、由来の1つであると。数百年前に先祖が受けた恩を子孫が、今も尚、お返ししている日本人って、素晴らしいと思わないかい。また、伊達政宗公の時代、1611年に起きた慶長奥州地震(東北大震災)では、犠牲者が5000人以上も出たとの事。その時の教訓を後世に残しておかなければならないと『津波はここまで来た』という石柱(現存)を400年以上前の人達が。自分達の事ばかりでなく、後々のわが子孫達の為に。ほんと、有難いよな」と。


続けて拙僧、生徒達や保護者達に「そう考えると、いつ頃からこうなったのか知らんが、昨今では、産んで、育ててもらった親までも『要らん』と言って、病院に遺骸を受け取りに行かなかったり。病院から火葬場に直行し、葬式もせず、遺骨を置き捨てて帰ったり。住所や名前が記されている埋葬許可証をわざわざ遺骨箱から抜いて、生ゴミ置き場や、電車の中に捨て置きしたりと。それを子供や孫が見て育つんだが。子供達は、どこで命の尊さを勉強するのかな。そんな事ばかりしてたら、そりゃ、秩序のない国になるわな」と。


【エピソード6】

昨日の事ですが、読者の女性から「私の家庭は仕事の関係上、人が多く集まる場所でして。事あるごとに、ある事ない事を噂されて、とうとう息子夫婦が『こんな家には、おりたくない』と出ていってしまいました。人の口を止める方法って、何かないもんですかね」と。「拙僧の父(わが寺の先代)は、他界する10年程前に、やっと、自分が住める小さな家を建てる事が出来ました。ところが、晩年に再婚した相手が大きな商売をしている家の娘さんで、娘といっても50代ですが、誰が言い出しっぺかは知りませんが、檀家さん達の間で『奥さん(父の再婚相手)の実家に、建ててもらったそうよ』の噂が広まりまして。実際は、父が他界した後は、拙僧が残り半分のローンの支払いを。ところが、その事実を知っても、噂を広めた檀家さん達は『だって、みんなそう思ってましたよ』と悪びれもせず、自分達の正当性(みんなもそう思ってたんだから)を主張するだけ」と。


続けて拙僧、この読者女性に「世の中というは、人の口が多くなれば、多くなるほど、とんでもない事を 言い出す人間が増えてきます。本当の事よりも、嘘(噂話)の事の方が、広まりやすいもの」と言うと、この女性が「何故ですか」と。「人間というは、人の好感度が高くなる話や、幸福話は毛嫌いするでしょ。人の好感度が下がる話や、不幸話は寄ってたかって面白がるけど。ワイドショーの視聴率が高いも、週刊誌がよく売れるも、人間にそういう資質があるからだよ。噂を立てる人間は、どんな事でも、面白がって噂を立てますよ。そんな輩は、ほっておくしかないかな。まあ、そんな人達も、その内に飽きますよ。所詮、他人(ひと)の事だからね。それに、真実がわかった時、恥をかくは、自分だよ」と。「そうですよね。人の口には戸は立てられないから、ほっておくしかないですよね」と。


【まとめ】

法話の内容は混合話になっておりますが、1つ1つの出来事は、全て本当の話(事実)です。檀家さん達の協力なしに、個人、つまり、拙僧の経験だけでは、3000話以上もの法話は書けませんよ。お寺を継いでいく事を了承してくれた息子達には「父さんの本やSNS の法話は、しっかり読んでおきなさい」と言っております。拙僧がこの世から消えた後、自分達が住職(寺守)となり、檀家さんと関わり合う中で、その家族の事情(相談、言い伝わってきた家族の昔話、祖父母、父母のエピソード)を聞かされた時「あっ、この話は、本の中のあの話だ」と何かしらの参考になり、指導も、し易くなるだろうからね」と。


次回の投稿法話は、7月1日になります。投稿の添付写真は、拙僧の法話本です。






【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 結婚は人生の墓場、なる言葉は、勘違いしてる人が数多に。本来の意味は「お墓の中まで、一緒に行きましょうね」という事にて。

2024-06-19 11:08:56 | 法話

【6月20日投稿分】     


今日の法話は『父親の威厳』について、ほんの少しだけ、考えてみましょうかね。拙僧の後輩住職の娘っ子(現在21歳)が数日前、わが寺の法要を手伝いに来てくれまして、その時「おいちゃん(拙僧の事)、あのさ、私ね、彼氏が出来たんだよ」と。「ほう、そうか。そりゃ、上々やな。どれ、見せてみい」と。「えっ、見せろって、何を」「えっ、じゃあるか。スマホに入れとろうが」と。その彼氏の写真を見ていると、その娘っ子が「おいちゃん(拙僧の事)が『結婚相手は、容姿なんかで選ぶんじゃなかぞ。30年立ったら、契約違反だ、と叫びたくなるくらい変化しとる。太ってるわ、禿げ散らかしてるわ、と。そんな夫婦を山ほど見てきた。特に顔なんてくさ、女性は80歳を過ぎれば大半は、亀、になっとるし、男性の大半は、猿か犬、になっとる』と言ってたでしょ。だから私は、性格重視で、顔では選ばなかったからね」「ほう、スマホの写真だから、生(なま)とは多少違うだろうが、どう見てもこの男性、誰かに似てはいるが、男前だと思うが」と。


その会話中に、横から母親(後輩の妻)が「英照(拙僧の事)さん、この人(娘っ子)ね、父親(拙僧の後輩)の写真を彼氏に見せといて、死んでいる事を言わなかったのよ。どう思う」と。「ほう、そりゃ、正解だな」と返すと、娘っ子が「ほら、ね、おいちゃんなら、そう言ってくれると思った。まだ、結婚すると決まった訳じゃないんだもんね。そこまでいう必要はないじゃん」と。返して、母親が「えっ、なんで娘の肩持つんですか、英照(拙僧)さん。今度、その彼氏が家に挨拶に来るのよ」と。「そりゃ、楽しみだわ。鴨居に飾ってあるあいつ(拙僧の後輩)の遺影を見た時の、彼氏の表情が見ものだな」と。


続けて、拙僧「ところでくさ、スマホの中のお父さんの写真を見て、彼氏はどんな表情をしてたかい」と娘っ子に尋ねると「あのごっついガタイに、黒っぽい背広、坊主頭(住職だから)にサングラスでしょ。顔が引き攣ってた」「そうだろうな。こりゃ、ほんと、見ものだわ」「笑い事じゃないわよ、英照さん」と母親が。「だけど、インパクトは大だよ。一生、このスマホの写真(娘っ子の父親)が、彼氏の頭の中にこびり付く事になる。結婚後、夫婦喧嘩の度に、旦那の脳裏にあいつ(拙僧の後輩)の顔が浮かんできて、どんなものよりも勝る抑止力になるばい」「死んでる人が、抑止力になる訳がないじゃないですか」と母親が。「そんな事ないよ、なるよ。娘っ子は父親似だろ。娘っ子の顔には常にあいつ(父親)の面影が」と。そして、娘っ子に「彼氏が挨拶に来た時の状況報告を、おいちゃんに話して聞かせいよ」と言うと「結婚が決まりそうになったら必ず、彼氏をおいちゃんのお寺にも連れて行く。彼氏、ダブルパンチ(恐怖)だね、楽しみだわ」と、その娘っ子が。


さて、結婚といえば『結婚式』と、こうくる訳ですが、昨今は、葬式をしない家も増えてきましたが、結婚式をしないという家も、ちらほらと耳に。そうなると、メリハリもなくダラダラと。葬式においては、わが寺の檀家さん達には「故人に世話になったは、家族、親族だけではないよ。故人にお礼を言いたいという人達が、必ず一定数はおらっしゃる。その人達の心を蔑(ないがし)ろにする様な葬式をしたらあかん」と厳しく。結婚式においては「披露宴は様々事情や、その家に合ったやり方があるだろうが、式だけは、ちゃんと挙げなさいよ。結婚式というは、産んで、育ててもらった親への、また、古(いにしえ)の彼方から、1つの命をバトンタッチの様に繋いでもらったご先祖への、感謝を届ける大切な行事なんだから。神前、仏前、教会、どの形でもいいから、これだけは必ずやりなさい」と拙僧、檀家の若者達には、その様に言い聞かせております。


わが寺では、初婚はもとより、希望によっては再婚も、お寺の本堂で仏前結婚式をお受け致しております。加えて、何かしらの理由で結婚式を挙げられなかったご夫婦や、更には、後の世までも仲良く、未来永劫、夫婦であり続けたいという願いから、晩年になって心新たに結婚式を挙げ、契りを深められる老夫婦も。子供達、孫達、曾孫達も列席させて、和やかな結婚式を。晩年における式は、長年の苦楽の思い出も加わり、一味も二味も違ったものになって、なんとも知れん温かさ、奥ゆかしさを感じますよね。


【余談】

さて、余談ですが、今月(6月)も17日に1組、わが寺の本堂で仏前結婚式を。この1組とは、拙僧の長男の事なんですが、導師は父親である拙僧が勤めました。式は両家の家族のみ、披露宴はせず、家族親族で食事会を。友人達(息子夫婦の)との食事会は、後日の予定で。2年前に結婚した拙僧の長女も、それと同じ形式で。「こんな時期(コロナで生活が)に、檀家さんのお布施で生活させてもらっているお寺が、派手な結婚式、披露宴など申し訳ない」という子供達の意向を受けまして。檀家さん達へに通知は、後日、お手紙で。


因みに、結婚して子供が授かるまでの時間は、年齢に関係なく、そう大差はないとの事ですが、昨年の出生数が72万人で、人口が8000万(その内、外国人労働者は1割強)に到達するは、そう遠くない未来の様で。人口減少を防ごうと国は躍起になってますが、人口が減少している中では当然、赤ちゃんが産める年代の若者も減少を。加えて、初産の平均年齢が31歳では、産める数にも限度が。人口増加を望むは、とても無理な状況に。かく言う拙僧の長女も、31歳で長男(初)を出産。昨年、今年35歳と34歳になる長男夫婦に拙僧「人間には、それぞれ事情がある。事情の塊が人間にて。が、結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳にはいかんよ。子供を1人でも授かりたいと思っているなら、そろそろ考えなさい」と。で、考えたんでしょうね、やっと、長男夫婦も。


人口減少による問題は、色々な場面で顔を出し始めましたよね。英国人に嫁いだ拙僧妻の妹は、ロンドンに住んで25年に。その夫婦の息子(現在21歳、日本語ベラベラ)が「叔父(拙僧の事)さん、ロンドンは16時以降になると、雰囲気がガラッと危険な様相に変わるんだよ。その最大の理由は、やっぱり移民かな。日本は移民制度をとってないが、人口減少による外国人労働者の増加で、恐らく近々に、ロンドンと同じ状況になるんじゃないの。もう既にあちこちで、外国人労働者同士が喧嘩をしてるでしょ」と。


以前、拙僧の講演会に参加をしてくれていた、学力優秀校の女子高生達に上記の話を。講演会の冒頭で「この中で結婚したくないと考えてる子は何人いるの、手を挙げてごらん」と問うと、何と8割近くが手を挙げた。対し、拙僧「この講演会が終わった時には、その考え方を変えてやるからな」と上記の話を詳細に、様々な事例を加えて念入りに。そして、最後にもう1度「結婚をしたくないと、まだ、思っている子は、手を挙げてごらん」と尋ねると、8割いたのが、2割ほどに減少を。対し、拙僧「まあ、この先、君達の考えがどう変わるかはわからんが、このまま(日本の現状)いけば、かなりの確率で数十年後には、女の人が夜1人で歩けない国になるだろうね。『この国(日本)は昔、ものすごく安全な国だったそうだよ』という言葉が近い将来、人々の口から。そんなの嫌だろ、なれば、他者は関係ない、自分はどうあるべきかを、考えていこうな」と。その後、この女子高生の内の何人かから「絶対に結婚して、子供を育てるからね、住職」という手紙が届きました。


人口減少を食い止める事は、この国はもう、無理な話になりつつあります。今後、様々起こりくるだろう問題を、どう予想して、どう対処していくかを、真剣に考えていく時期に来ているのではないかと。世界で唯一残っていた平和で安全な国(日本)も、その神話は近いうちに崩れていく事になるでしょうね、このまま手をこまねいて、ほっておいたら、ですばい。こういう話をすると読者から「本当に、もう、手立てはないんですかね」という問い掛けが。対し、拙僧「数多の男性が戦死した、第二次世界大戦敗戦からこの国(日本)は、僅か20年で、世界第2位の経済大国に。その最大の功労者は、5人、10人産んで育てた女性陣にて。よって、手がない訳ではない。武田信玄公が『人は城、人は石垣、人は堀』と。人というをどう捉えるかで、今後の状況が大いに違ってくるでしょうね」と。


【追伸】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を、下記で読む事が出来ます。近頃は、有難い事に、他宗のご住職様達や、寺院の奥様(坊守、寺庭)達から「住職(拙僧の事)の法話を、檀家さん達に使わせてもらっていいですか」との連絡が頻繁に。「お役に立ちますれば、幸にて」と快諾を。SNSとは、良きご縁も頂けるので、有難いですね。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、6月25日になります。投稿添付写真は、わが寺の本堂。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 大人は、子供だと思って、舐めてかかると、大恥をかく事となり兼ねん。子供の思考能力は、時に、大人を超えております。

2024-06-14 11:55:10 | 法話

【6月15日投稿分】


今月(6月)に入って「私の事を覚えておられますか」と、若者から拙僧に電話が掛かってまいりました。会話の冒頭で即「ああ、あの時の子供さんか。はっきり覚えとるよ。よく、ここ(金剛寺)の電話番号がわかったな」と返すと「当時、講演を主催された団体の人に、尋ね聞きました」と。それは15年以上も前の事、ある団体に呼ばれ、600人以上の参加者の前で法話講演をさせて頂いた事がありまして、その講演での質疑応答の時間に、お婆ちゃんに連れられ、参加していた男の子が、大きい声で手を上げて「住職さん。キリストさんが復活するって、本当にそんな事があるんですか」と、拙僧に疑問をぶつけてきました。


対し、拙僧「こりゃ、たまげたな。君は、何歳 になるんだい」と問うと「8歳です」と。「キリストさんとは、何か深い関係でもあるんかい」と返すと「このお婆ちゃん(この子の横に座る50代半ば程の女性を指して)と、日曜日に教会へ行ってる」と。「そうか、そりゃ、感心だな。さて『キリストさんは、本当に復活するのか』の君の質問に対してだが、ところで、君の爺ちゃんは、ご健在かい」と尋ねると「今日はどこかへ仕事に行ったよ」「そうか。じゃ、爺ちゃん、婆ちゃんのその上の、爺ちゃん、婆ちゃんは」と尋ね返すと「大爺、大婆は、死んじゃった」「大爺、大婆の事は、覚えてるかい」「可愛がってもらったからね、当然、覚えてるよ」「覚えてるって事は、大爺、大婆は『今でも君の心の中で生きてる』って事だな」と返すと、この男の子が口を止め『ハッ』とした顔して、大きな声で「そうか、なるほど、そういう事なんだね」と、生き生きした表情を。「おっ、何か、気付いたんかい」と問うと「つまり、こうでしょ。僕がキリストさんの事を心の中で思ったら『いつでも、どこでも、復活してくれる』って事なんだよね」と。これには、再び驚いた。なんちゅう読解力や、と。この男の子の返しに、会場も少しザワザワと。


更に拙僧、この8歳の男の子に「それじゃ、君さ、1つ聞くが、君の心の中にキリストさんや、死んだ大爺、大婆が生き続けているとしたなら、君は日常生活において、どうしなくちゃならんと思うや」と問うと、速攻で「この人達が見てくれているから、心配を掛けない様にしなくちゃいけない、と思う。友達と仲良くして、一生懸命勉強して、お爺ちゃん、お婆ちゃん、お父さん、お母さんを大事にしなくちゃいけないと、そう思う」と。これには、再び三度、驚かされた。『育てた親の顔が見てみたい』という言葉がありますが、こんな子供を育てた親の顔がほんと、見てみたい、と思いましたね。『躾(しつけ)は、するものじゃない。躾は、見せるもの』ですもんね。


因みにイースターとは、十字架に掛けられて、お亡くなりになられたキリストさんが、その3日目に復活した事を祝う(復活祭)行事の事。日程は各々の国で違いますが、日本では、春分の日の後の最初の満月の、次の日曜日という事。今年は、3月31日だったそうです。イースターといえば、卵が印象深いですが、新しい命が誕生する『卵』は、生命や復活の象徴である事からだと。また、卵と並んで印象深いは『うさぎ(イースターバニー)』ですよね。うさぎは、1度に沢山の子供を産み、1年に何度も妊娠と出産を繰り返す事から、子孫繁栄の象徴という意味合いからだそうです。


さて、この電話をしてきた若者とは、ある事を思い出しながらこの時、会話をしておりました。そのある事とは、東京オリンピックの前だったかな、コロナの関係で『トイレが最も密になりやすい場所。この対策が最も大事』なる話が方々で。この時期、東京在住檀家の息子(当時小学6年生)と話をする機会があって、その子に「トイレで密にならない様な名案が、何かあるかい」と軽い気持ちで問い掛けると、その息子が「手洗い場に鏡を置かなきゃいいじゃん」と。拙僧も一瞬でその答えに『大正解や』と心の中で。「君、凄いな」と返すと「父さんから1度『男がいつまで鏡の前に立って、わが顔を眺めてんだ』と怒られた事があるんだ。鏡がなければ、手を洗ったらすぐその場から離れるでしょ」と。この東京在住檀家の息子の話、及び、この8歳の男の子(電話してきた若者の幼少期 )の話、俄には信じ難いでしょうが、全て実話です。脚色なし。子供を侮(あなど)る事なかれ、ですばい。当に『真実は小説よりも奇なり』ですね。


この電話を掛けてきた若者は、当時の思い出話や、社長である父親の下で今、汗だくになって従業員さん達と働いている話を熱心に拙僧に。話が一区切りすると「それじゃ、住職さん。また、連絡させて頂きます」と若者が電話を切ろうとしたので「おいおい」とそれを止めて「何か、相談があったんじゃないのか」と尋ねると「はい、ありました。でも、住職さんと話をしている内に、自然と答えが見つかって、自然とその問題が解決しましたので」と。「ほう、そうなのか。何のこっちゃか、さっぱりわからんが、何にしても、そりゃ、よかったな。また、電話しておいでや」「はい、必ず、近いうちに」と、この若者が。


電話を切った後、この若者との会話の余韻の中で拙僧、本堂の仏さん達を見ながら「そろそろ、引退を考える時期かな」と、そんな心に。「暫く様子を見て、息子達に代を譲ろうかな」と。「代を譲った後は、お寺に再就職させてもらって、息子達の下で働かせてもらおうかな」と。雇ってもらえたら、の話ですが。還暦(暦が還って赤子戻るので、赤いちゃんちゃんこ)も数年過ぎた事だし。代を譲った後は拙僧、父(わが寺の先代)の下で何もわからず、懸命に働いていた40年程前の初心に返って、あの頃の様に1歩1歩こつこつと、お寺の雑用のお手伝いでもさせてもらおうかな。身体(からだ)が動かなくなるまで。


さて、代替わりの成功例といえば、やはり、徳川家康公かな。2代将軍秀忠公が「大名達はわしを『上様、上様』と呼んではくれるが、心は皆、駿府(家康公在所、静岡県)の方に向いておる。が、10年も『上様、上様』と呼ばれ続けたら、それなりの姿になるわい」と言われたとか、言われなかったとか。拙僧も今の息子達の年齢の頃(30代半ば)に、住職の代を父から譲られ、大いに失敗し、大いに恥かいて、徐々にそれなりの姿に。親が後ろに控えてくれていたので、拙僧が頼りなくても、関係者(檀家さんなど)は皆、落ち着いたものでしたね。『代替わりは、親が元気なうちに』が、やはり大事(理想)かな。


【付録】

約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。近頃は、有難い事に、他宗のご住職様達や、寺院の奥様(坊守、寺庭)達から「住職(拙僧の事)の法話を、檀家さん達に使わせてもらっていいですか」との連絡が頻繁に。「お役に立ちますれば、幸にて」と快諾を。SNSとは、良きご縁も頂けるので、有難いですね。


拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。


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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話はあ、6月20日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん。が、教えてやらねば、尚、わからん。人の大半は、指示待ち人間にて。

2024-06-04 17:36:21 | 法話

【6月5日投稿分】     


拙僧父の時代から35年以上、安全祈願に伺っていた会社の会長(現社長の父上)さんが、1ヶ月程前に他界された。安全祈願とは、勿論『作業の安全』の事ですが、メインは『従業員一同の身体健全、無病息災、家庭円満』にて。会長さんが「従業員が健康で、家庭が円満であったら、事業繁栄など願わなくても、自ずとそうなる」と。この様な考え方を持って、拙僧に月初め、現地(事務所、作業場)祈願を依頼している会社は、数社あります。


会長さんが他界された次の月の1日、その会社に安全祈願へ伺うと、現社長(50代息子)さんが「実は住職(拙僧の事)さん、今年の2月頃ですが『あと1ヶ月で、この会社も倒産だな』と追い込まれていまして。だが、父が創業したこの会社を、父が存命の内に潰す訳にはいかないと思い、メインバンクに頼んで、借金返済を少し待ってもらう事に。が、融資の方は、といえば、全くその気がなかった様で、わが社の倒産を見込んで『いつ、掛けた梯子を外そうか』の時期を見計らっていた様子で。住職は、ここの会社がこんな状況であるを、薄々気付いておられたんでしょ。昨年の暮れ、住職は私に『人間は死ぬまでは、生きとかにゃならん。会社も潰れるまでは、踏ん張れるだけ、踏ん張らにゃならん。生活が掛かっている従業員の為にも』なる言葉を私に。その時、私が若い時(当時35歳)に、住職に言われた『犬も歩かにゃ、棒にも当たらん』の言葉が脳裏を過ぎりまして」と。


続けて、社長(50代息子)さんが「メインバンクのその塩対応に『動いてくれん』と踏んだ私は、熊本工場(支店)近くの小さな地方銀行に、土地活用(熊本工場の1万数千坪)の話を持っていきました。すると、その地方バンクさんが興味を示してくれて、わが社の意向を文章にして広域に公布を。すると2月の1ヶ月の間に、熊本半導体関連で広大な更地を必要(作業員の住居、資材置き場など)とする40社以上が名乗りを挙げてくれました。3月末に倒産の危機だったわが社が、僅か1ヶ月の間で、地獄から極楽とまでは言いませんが、好転を。月極め賃貸で契約をしてくれた企業があり、どうにか一息つく事が出来ました。前触れもなく、いきなりのこのご縁が。正直、面食らっております」と拙僧に。


対し、拙僧「紀元前後に実在した、南インド地方の高僧が『この世の中は、縁で繋がっていないものは、何1つもない。偶然という言葉は、人間が言った言葉である』と。『縁』というは、網の目の様な物でして、正直に真面目に懸命に生きていたら、その噂(評価)が網の目を辿って、方々に流れていく。そして、その時期が来たら、その噂を聞き知っていた人達(縁)が、物凄い勢いで網の目を辿って、社長さん、あなたの元へと。『何の前触れもなく』と、あなたはおっしゃったが、前触れの元は、あなたが徐々に築き上げてきたもの。全く縁のないものが、あなたのところへ届いた訳じゃないですばい。その網の目も、自分の生き方次第で、どんどん広がっていきますもんね。人間は『今の自分を苦しめているも、喜ばせているも、過去の自分の行い。先の自分を苦しめていくも、喜ばせていくも、これからの自分の行い』ですもんな。自らが牡丹餅を作って棚に上げておかにゃ、落ちてくる事もないし、種も蒔いておかねば、芽は出らんですばい」と。


更に拙僧、この社長さんに「世に『捨てる神あれば、拾う神あり』という言葉がありますが、その『神(人)』の心をどう動かすかは、自分(我が)の行い次第にて。また『正直者が馬鹿を見る』という言葉もありますが、いやいや、人を支えているは、人にて。最後に土俵の上に立っているは、やはり、正直者ですばい。勿論、何にでも、例外というのはありますが。社長んとこの従業員の人達も、決してその目は節穴ではないはず。会社が倒産寸前だろう事は、肌で感じていたはず。なのに、1人も辞めず、黙って黙々と働いてくれてたんでしょ。会長さん、社長さんへの恩義を裏切らずに。網の目上に流れているあなたの会社の噂(評価)の中には、当然の事ながら、会長(現社長の父上)さんの生き様(築き上げてきたもの)も、従業員さん達の仕事に対する姿勢も、含まれているはず。みんなして乗り越えたこの度の峠ですもんね。この事を決して忘れちゃならんですわな。まあ、あなた(現社長)の事だから、忘れないとは思いますが」と。


この会社の会長さんと現社長さんの生き様は、度々、檀家の若者達に人生の例題として話をする事があります。「自分の為だけに努力をしている者は、自分が努力をしただけしか、実りはない。給料を貰って仕事をするんなら、誰だってやる。何の損得も考えず、駆け引き無しに、人の為に動いてごらん。ここぞ、という時には、何処からともなく、救いの手がやってくるよ」と拙僧、檀家、知人の若者達に、その様に。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を、下記で読む事が出来ます。近頃は、有難い事に、他宗のご住職様達や、寺院の奥様(坊守、寺庭)達から「住職(拙僧の事)の法話を、檀家さん達に使わせてもらっていいですか」との連絡が頻繁に。「お役に立ちますれば、幸にて」と快諾を。SNSとは、良きご縁も頂けるので、有難いですね。


拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、6月10日になります。