【 4月30日 投稿法話 】
将来、父親の会社を後継する読者若者(23歳)が「2000年に大河ドラマで放映された『葵、徳川三代』を今、毎日見ています。家康公が秀忠公に『天下を取るは、至難の業。が、天下を守り続けるは、もっと難しい』と。この言葉は、最も心に響いてます。ところで住職は、お寺での代替わりは、どうでしたか」と。
対し、拙僧「父(先代)は、67歳の時、拙僧(当時37歳)に代を譲った。その時、まあ、冗談で言ったんだとは思うが『老いが深くなって譲ると、俺がやってきたお寺だ、と執着し、お前の邪魔をしかねん。そうならない前に、頭の柔らかい内に』と父が。『葵、徳川三代』は、拙僧も好きで見てたよ。家康公は徳川の天下が続くを世に示す為に、早めに秀忠公に将軍の座を。その秀忠公が『大名は皆、上様、上様、とわしを呼ぶが、心は皆、駿府(家康公所在地、静岡)に向いておる。が、10年も、上様、上様、と言われ続ければ、それなりの姿になる。家光も心配はいらん』と正室のお江さん(信長公妹お市さんの末娘)に。どの分野の代替わりも、この経緯は同じじゃかな」と。
更に、拙僧「父が拙僧に住職を譲って3年後、末期癌で余命1年の宣告を。他界するまでの1年間は、檀家さん、縁者さん達は皆、拙僧が全て父の指示(葬儀、年忌、法要、檀家参り。それ以外にも、病気相談、経営相談、訴訟相談などの様々な相談受け)によって動いていると、皆々その様に。よって皆、騒ぐ事も、慌てる様子もなく。が、父はその時、とても指導など出来る状態では。父に代を譲られる20年以上前から、時折、表舞台の仕事を父は拙僧に。後ろ盾がある期間に後継者は、大いに恥をかいて、様々な経験を。代替わりは、父親(先代)が元気な時期に。この『葵、徳川三代』は、その事を世に知らしめる為に、作られたドラマではないかと思うよ。因みに、豊臣秀吉公が『天下人は、天が決める』と言ったとか、言わなかった、とか。秀吉公他界後、実力者の家康公が天下を取ったは、当然の成り行きだった様に思われてはいるが、関ヶ原の前に秀吉公正室ねねさんが、もし『家康を討て』と豊臣家子飼いの大名、福島正則公、加藤清正公らに指示していたら、さて、どうなっていただろうか。関ヶ原の勝敗は、人心を掌握出来た、出来なかった、の差かな。三成公は、その生き様から、正義の人、という印象が。が、正義、正論は、押し付け過ぎれば、自ずと優しさが欠けるもの。これは君にとっては、今後の参考になると思うよ」と、この若者に。
更に、拙僧「寺院は、住職の質(力量、人格)が良い事も、勿論大事だが、寺院が栄えるに最も大事な事は、坊守(住職妻)さんの存在にて。坊守さんの事を別名『寺庭(じてい)さん』と言って、見ているだけで心が癒される雰囲気を持っている、という存在。庭の木々、草花、庭石など、雨が降ろうと、雪が降ろうと、風が吹こうと、慌てる事なく、全てを受け入れ、なすがままに。それが過ぎ去った後、落ち着いてその後始末を。拙僧の家内が、当にそれにて。結婚して35年。精神的にも、肉体的にも、常に助けられてきましたな。特に、人の上に立つ仕事をする人は、伴侶選びは、非常に大事だよ。歴史上、世に名を馳せた男性の横には、決まって賢い奥様の存在が」と。
【余談】
寺院といえば、やはり、先祖の弔いをするが第1義。その弔い行事の中で、知人若者からよく聞く愚痴が、墓参りの事。先日もある若者が「私の家は本家(父親が長男)で、代々の直系が本家の墓に。昨年の6月頃、親戚の叔父(父親の弟)が甥である私に『おまえ、墓に行ったら草茫々だったぞ』と、鬼の首でも取ったかの様に、上から高飛車に嫌味を。その叔父だが、自分の親が納骨されているにも関わらず、そのお墓に10年以上も足を運んだ事が。梅雨の時期は、半月もしない内に草だらけに。常日頃、お墓参りに足繁く赴いている人なら、草の伸び方を見れば、どのくらい日が経っているかは、容易に理解が。当時、草茫々だった事を、親戚の家々に言いふらしていたらしくて。もう、頭に来て」と。「親戚の人達からは、何か話があったの」「数人が叔父の言葉に同調して、父ではなく、私に嫌味な文句を。だけど、大半の人は『ほっとけ。言わせておけ』と私に」「じゃ、その大半の人達の心の内は『自分(その叔父と同調した人達)は墓参りに殆ど行ってない、という事を、自らの口で親戚中に暴露して回ったに同じ。自分の恥を言いふらしているだけ』と思ってるんだろうね。文句言いと言われる人達は、それその物についての知識のない人達が多いかな。知識がないから、的外れの文句を。いつか、真実を知った時、自分が恥ずかしい思いをするだけだよ。ほっときな」と拙僧、その知人若者に。
さてさて、明日からはもう5月。1年なんて、あっという間。ボヤボヤしてたら、また、何もせず終わった、という事に。今日の法話を書きながら、父(先代)の事が脳裏に。父(先代)から言われた言葉で拙僧、何が最も嬉しかったか、と言えば「俺は、子供に恵まれた」と臨終1ヶ月前に言われた事かな。これは本当に嬉しかったですね。
次回の投稿法話は、5月5日です。