映画 Good Night, and Good Luck 「グッドナイト&グッドラック」を5月13日午後9:15から見た。
アメリカで1947年から1954年にかけて吹きすさんだ、『赤狩り』(共産主義者追放)がテーマである。
今、このブログや全国数十万のブログで取り上げられている「共謀罪」とも無関係ではない。
マッカーシー上院議員達一部の議員が「この団体は共産党系」「彼は共産党員」と決めたら何の証拠が無くても、それが“公認”されてしまう。
何しろ、運動に参加もせず、支持もしていないのに「共産党」や共産党系の団体に友人・知人が居るだけで「非米活動委員会」に召喚され、共産党との関係を自白するか、それでなければその友人・知人を密告することを求められるのだから。
これに従わないものは、追放される(職を追われる)。
一例は、『ずっと前に離婚した元妻が共産党系団体(と彼らが言う)団体の集会に出たことがある』というもので、この映画にも主人公の部下の発言として出てくる。
この映画は、1953年に「非米活動委員会」で『赤狩り』の中心となったマッカーシー上院議員のやり方をCBSTV(TVがまだ始まったばかりの頃)で、マッカーシー自身の発言を編集して放映し、その「不公正なやり口」(と、言うよりは全くでたらめなやり口)を暴露したエドワード・W・マロー(エド・マローの愛称)の闘いを描く。
私どものようにブログで好き放題発言するのではなく、綿密な取材と裏づけを持ちながらも、まさに『職を賭して』(命を懸けて)告発するのである。
この『赤狩り』の目的が、戦争遂行の邪魔になる民主活動家を政界・経済界・文化界などから一掃するためのものであったことは、『赤狩り』の開始が朝鮮戦争を前にした(中国革命や朝鮮革命が進展していた頃)1947年であることで歴史的にも証明されている。
朝鮮戦争が1953年に終わると、今度はマッカーシー上院議員が1954年に上院の「問責決議案」を受けて政治生命を事実上失う。これは、彼一人に『赤狩り』の責任を押し付け、張本人(黒幕)は無罪放免になったということだと思う。
映画の始まりは、ある米空軍将校の父や姉が『赤である』と決め付けられ、それを理由にして職を追われるというニュースから始まる。本人には何の問題も無く合衆国に忠誠を尽くしているのに、家族の問題で職を追われるのはおかしいのではないかというところからエド・マローの取材と追究が始まる・・・
この後は、ネタバレとなるので、映画を見ていただきたい。
この映画では主として政府や軍部内の共産主義者とシンパの問題を扱っているが、1990年頃の「真実の瞬間(とき)」(ロバート・デ・ニーロ主演)では1947年から始まったハリウッドの『赤狩り』を取り上げていた。これは当に映画という思想を取り締まるものに他ならない。
「真実の瞬間」の中で出た“Naming Name”(知り合いが共産党との関係があるかどうか名前を密告すること)という単語に強い印象を受けたものであった。
『共謀罪』を作れば、こういう思想狩りの根拠を与えることになり、最初は共産主義者を名指しにして、国民の黙認を得ながら、結局国民が声を上げられない暗黒政治を敷き戦争に突っ込んで行くのである。これは日本でも外国でもみんな同じである。
他にもハリウッドの良心を示す、この問題を扱った映画が幾つもある。
続く
アメリカで1947年から1954年にかけて吹きすさんだ、『赤狩り』(共産主義者追放)がテーマである。
今、このブログや全国数十万のブログで取り上げられている「共謀罪」とも無関係ではない。
マッカーシー上院議員達一部の議員が「この団体は共産党系」「彼は共産党員」と決めたら何の証拠が無くても、それが“公認”されてしまう。
何しろ、運動に参加もせず、支持もしていないのに「共産党」や共産党系の団体に友人・知人が居るだけで「非米活動委員会」に召喚され、共産党との関係を自白するか、それでなければその友人・知人を密告することを求められるのだから。
これに従わないものは、追放される(職を追われる)。
一例は、『ずっと前に離婚した元妻が共産党系団体(と彼らが言う)団体の集会に出たことがある』というもので、この映画にも主人公の部下の発言として出てくる。
この映画は、1953年に「非米活動委員会」で『赤狩り』の中心となったマッカーシー上院議員のやり方をCBSTV(TVがまだ始まったばかりの頃)で、マッカーシー自身の発言を編集して放映し、その「不公正なやり口」(と、言うよりは全くでたらめなやり口)を暴露したエドワード・W・マロー(エド・マローの愛称)の闘いを描く。
私どものようにブログで好き放題発言するのではなく、綿密な取材と裏づけを持ちながらも、まさに『職を賭して』(命を懸けて)告発するのである。
この『赤狩り』の目的が、戦争遂行の邪魔になる民主活動家を政界・経済界・文化界などから一掃するためのものであったことは、『赤狩り』の開始が朝鮮戦争を前にした(中国革命や朝鮮革命が進展していた頃)1947年であることで歴史的にも証明されている。
朝鮮戦争が1953年に終わると、今度はマッカーシー上院議員が1954年に上院の「問責決議案」を受けて政治生命を事実上失う。これは、彼一人に『赤狩り』の責任を押し付け、張本人(黒幕)は無罪放免になったということだと思う。
映画の始まりは、ある米空軍将校の父や姉が『赤である』と決め付けられ、それを理由にして職を追われるというニュースから始まる。本人には何の問題も無く合衆国に忠誠を尽くしているのに、家族の問題で職を追われるのはおかしいのではないかというところからエド・マローの取材と追究が始まる・・・
この後は、ネタバレとなるので、映画を見ていただきたい。
この映画では主として政府や軍部内の共産主義者とシンパの問題を扱っているが、1990年頃の「真実の瞬間(とき)」(ロバート・デ・ニーロ主演)では1947年から始まったハリウッドの『赤狩り』を取り上げていた。これは当に映画という思想を取り締まるものに他ならない。
「真実の瞬間」の中で出た“Naming Name”(知り合いが共産党との関係があるかどうか名前を密告すること)という単語に強い印象を受けたものであった。
『共謀罪』を作れば、こういう思想狩りの根拠を与えることになり、最初は共産主義者を名指しにして、国民の黙認を得ながら、結局国民が声を上げられない暗黒政治を敷き戦争に突っ込んで行くのである。これは日本でも外国でもみんな同じである。
他にもハリウッドの良心を示す、この問題を扱った映画が幾つもある。
続く