JUNSKY blog 2015

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初観劇 「M・A」 つづき

2007-01-05 23:50:08 | 観劇レビュー
さて、劇評です。

今から見る方のために荒筋は書きません。

しかし、私の印象は、ロベスピエールなどフランス革命における急進派の旧支配者に対するギロチンでの処刑という“暴力”を否定的に描く余り、フランス革命全体を否定しているように見えたということです。

ギロチンを“開発”したのは、旧支配者である絶対王政の権力であり、民衆の運動や民主運動家を弾圧粛清してきた道具であったはずなのですが、それには触れず、当時の左翼急進派がギロチンを使って王族を殺害したことのみに注目させるような構造となっています。

マリーアントワネットら王族が、民衆の困窮には目もくれず贅沢三昧の生活をしていたことには触れられ、その困窮する民衆を特徴付ける役どころとしてマルグリッド・アルノーが配されているのですが、
また、マルグリッドはマリー・アントワネットを軽蔑し、殺してしまいたいほど憎んでいることは表現されるのですが、
結局、「決起した民衆は暴走する」というイメージを観客に植え付けるものになっています。

そのうえ、急進派(ジャコバン党)には、赤い帽子を着用させるという演出を行なっているので、結果として『「アカ」に政権を取らせると大変なことになる』というメッセージを発信し、『共産党は恐い』という古臭い反共産主義意識を醸成することになりそうに思えます。

民衆に政権を取らせて暴走するよりは、多少腐敗堕落していても旧来の体制で行った方が無難なのではないか?と、観客をミスリードする可能性があります。

原作や脚本の限界があるのかもしれませんが、私はこういう印象を与えてしまうのは、栗山民也氏の演出によるところが大きいと思います。
特に急進派に赤い帽子を着用させるなどは、ステレオタイプ(ここでは、ありきたりの演出法の意味)の典型です。
山田洋次監督ならこういう短絡的表現はしないでしょう。
小池修一郎氏が「エリザベート」「モーツァルト!」に続いて演出するべきだったかも知れません。

政権を取ると暴走するのは、なにも民衆だけではありません。
ブルボン王朝もハプスブルグ王朝も民衆を収奪し、貧困にあえがせながら自らは贅沢三昧をし、これに反対する人々を大量に殺戮してきました。
アメリカの歴代政権は、宣戦布告もないまま、第二次大戦後も2百以上の戦争を世界で起こし(介入し)無辜の人民の命を奪ってきました。イラク戦争は中でも最悪の殺戮です。ブッシュは政権を奪取した民衆ではありません(政権は選挙の操作で奪取はしましたが・・・)。
日本でも戦国時代には、負けた側は一族郎党皆殺しになるのが当たり前でした。

そういう支配者側の暴力は描かず、被支配者であり政治的訓練も受けていない民衆が政権を奪取した時に、それまでの恨みや弾圧され殺された怒りから、旧体制の残骸を一掃するまで王族を殺戮したことを、あたかも「テロ」のように描くのは納得いかない点があります。
また、現在のように一定程度民主的政権交代が世界で現実になっている時点の「視点」から18世紀末の革命の嵐の時期を一方的に批判するのもどうかと思います。

何より、最初に書いたように、ジャコバン党の暴走の否定的側面を強調することで、フランス革命そのものの価値を貶めることには賛成できかねます。

アメリカの独立革命(1776)とフランス革命(1789)は、絶対王政という中世を終わらせ、民主主義の最初の政治体制を構築した点で、さまざまな試行錯誤があったにしても歴史的に大きな意義を持つものだと思います。

ちょっと政治論にはなりましたが、このミュージカルを見ての感想でした。

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