一つ前の記事(本日4/17 午後6時半)で「ファシズム前夜」の予感を表明した筆者であるが、その後8時過ぎにNHK-TVを何気なくつけたところ、長崎の伊藤市長が狙撃され重態であるとの臨時ニュースを続けていた。
4月22日の投票日に向けて市長候補として選挙運動中のことであった。
いよいよ政治テロの時代に突入したのであろうか?
歴史を振り返れば、暴力団まがいの個別の政治テロが頻発する中で、「血盟団事件」「5・15事件」「2・26事件」と政治テロの嵐が続き、これを集束する形で軍部が権力を握っていった経過がある。
ヒトラーが政権に着くにあたっても、彼自身がでっち上げた「水晶事件」「国会放火事件」などを契機に権力を掌握していった。
政治テロがファシズム前夜であることは歴史が示している。
NHKは別として、民放がこのニュースをテロップで流すだけで通常の娯楽番組を続けていたことをチャンネルをまわし続けた友人から聞いたが、政治的鈍感さを示すものであり、心もとない。
とうの昔に、「ジャーナリスト精神」は失っているのだろうが、“マスコミ精神”さえ無くしてしまったのか?
それと、一つ不思議に思うのは、現地では安否情報が不明なのに、政府関係者筋の情報として「心配停止状態」というニュースをNHKが流したことである。
NHKの現地取材陣は、「容態の情報は掴んでいない」と言っているのにである。
こういう情報を政府筋から聞くと「政治的謀略」が背後にあるのではないか?!と疑うのは、うがった見方であろうか?
911のときに、まだ崩壊していないビルを背景に写しながら、そのビルが崩壊したというニュースを流し、そのニュース後に倒壊したという情報と似ている。
政府筋の絡んだ謀略ではないのかと疑ってしまう。
伊藤市長は、核大国に対して核兵器廃絶のイニシャチブを取るよう厳しく批判してきた気骨ある市長である。
被爆者団体や平和団体の集会にも積極的に出席して発言していたと言う。
そういう、アメリカにもの申す気骨ある政治家を抹殺しようとするなど許されるものではない。
山口組系の暴力団員というのは、単に兵隊として使われただけに過ぎず、犯人を動かした黒い糸は、もっと政治的に深い所に繋がっているのであろう。
政治テロは絶対に許されるものではない。
2007Apr17 21:30 JUNSKY
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【今日も御覧頂きありがとうございます。
政治テロを許せないと思われる方はクリックを!】
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お玉おばさんは、伊藤市長の昨年の原爆の日の「平和宣言」をブログに掲載されているので、ぜひお読みください。
asahi.comでは、自らも政治テロに会い瀕死の重傷を負った本島市長の談話も紹介している。
Web版の全文を以下に引用する。
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本島・元市長
「暴力は決して許されない」
90年に重傷
asahi.com 2007年4月17日(火)21:58
長崎市長だった90年1月に右翼団体の男に撃たれて重傷を負った本島等さん(85)は
「驚いている。いったい何が起きたのか。なぜ狙われたのか。無事であってほしい」と語った。
テレビが報じる銃撃現場の映像に目がくぎ付けにされ、自分が市役所玄関前で撃たれた時のことを思い出したという。本島さんは
「すべてに先んじて、暴力は決して許されないことだ」と語気を強めた。
本島さんは5期目を目指した95年4月の市長選で、新顔の伊藤一長市長に敗れた。
市長だった本島さんは90年1月18日午後3時ごろ、市役所玄関前で公用車に乗り込もうとしたところを、背後から近づいた地元右翼団体「正気塾」幹部の男が発射した短銃1発を受け、重傷を負った。
男は本島さんが88年12月の同市議会で「(昭和)天皇の戦争責任はあると思う」と答弁したことに立腹し、昭和天皇の喪が明けた時期に事件を起こした。男は懲役12年の判決を受け、服役した。
「天皇発言」をめぐって、前年の89年2月以来3回にわたり、市長公舎や市役所に実弾入りの脅迫状が届いていたほか、市役所のガラス窓に銃弾が撃ち込まれる事件もあった。
本島さんが銃撃された翌91年3月には、長崎新聞社と長崎地裁を同塾幹部らが銃撃する事件も起きた。本島さんの「天皇発言」に反対する意見広告を求めた民事裁判に敗訴したのが動機だった。
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伊藤長崎市長、銃撃され意識不明 容疑の暴力団員逮捕(朝日新聞) - goo ニュース
長崎市長撃たれ心肺停止 山口組系組員を現行犯逮捕 (共同通信) - goo ニュース
選挙戦の街に銃声数発 市長、背後から撃たれる(朝日新聞) - goo ニュース
4月22日の投票日に向けて市長候補として選挙運動中のことであった。
いよいよ政治テロの時代に突入したのであろうか?
歴史を振り返れば、暴力団まがいの個別の政治テロが頻発する中で、「血盟団事件」「5・15事件」「2・26事件」と政治テロの嵐が続き、これを集束する形で軍部が権力を握っていった経過がある。
ヒトラーが政権に着くにあたっても、彼自身がでっち上げた「水晶事件」「国会放火事件」などを契機に権力を掌握していった。
政治テロがファシズム前夜であることは歴史が示している。
NHKは別として、民放がこのニュースをテロップで流すだけで通常の娯楽番組を続けていたことをチャンネルをまわし続けた友人から聞いたが、政治的鈍感さを示すものであり、心もとない。
とうの昔に、「ジャーナリスト精神」は失っているのだろうが、“マスコミ精神”さえ無くしてしまったのか?
それと、一つ不思議に思うのは、現地では安否情報が不明なのに、政府関係者筋の情報として「心配停止状態」というニュースをNHKが流したことである。
NHKの現地取材陣は、「容態の情報は掴んでいない」と言っているのにである。
こういう情報を政府筋から聞くと「政治的謀略」が背後にあるのではないか?!と疑うのは、うがった見方であろうか?
911のときに、まだ崩壊していないビルを背景に写しながら、そのビルが崩壊したというニュースを流し、そのニュース後に倒壊したという情報と似ている。
政府筋の絡んだ謀略ではないのかと疑ってしまう。
伊藤市長は、核大国に対して核兵器廃絶のイニシャチブを取るよう厳しく批判してきた気骨ある市長である。
被爆者団体や平和団体の集会にも積極的に出席して発言していたと言う。
そういう、アメリカにもの申す気骨ある政治家を抹殺しようとするなど許されるものではない。
山口組系の暴力団員というのは、単に兵隊として使われただけに過ぎず、犯人を動かした黒い糸は、もっと政治的に深い所に繋がっているのであろう。
政治テロは絶対に許されるものではない。
2007Apr17 21:30 JUNSKY
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お玉おばさんは、伊藤市長の昨年の原爆の日の「平和宣言」をブログに掲載されているので、ぜひお読みください。
asahi.comでは、自らも政治テロに会い瀕死の重傷を負った本島市長の談話も紹介している。
Web版の全文を以下に引用する。
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本島・元市長
「暴力は決して許されない」
90年に重傷
asahi.com 2007年4月17日(火)21:58
長崎市長だった90年1月に右翼団体の男に撃たれて重傷を負った本島等さん(85)は
「驚いている。いったい何が起きたのか。なぜ狙われたのか。無事であってほしい」と語った。
テレビが報じる銃撃現場の映像に目がくぎ付けにされ、自分が市役所玄関前で撃たれた時のことを思い出したという。本島さんは
「すべてに先んじて、暴力は決して許されないことだ」と語気を強めた。
本島さんは5期目を目指した95年4月の市長選で、新顔の伊藤一長市長に敗れた。
市長だった本島さんは90年1月18日午後3時ごろ、市役所玄関前で公用車に乗り込もうとしたところを、背後から近づいた地元右翼団体「正気塾」幹部の男が発射した短銃1発を受け、重傷を負った。
男は本島さんが88年12月の同市議会で「(昭和)天皇の戦争責任はあると思う」と答弁したことに立腹し、昭和天皇の喪が明けた時期に事件を起こした。男は懲役12年の判決を受け、服役した。
「天皇発言」をめぐって、前年の89年2月以来3回にわたり、市長公舎や市役所に実弾入りの脅迫状が届いていたほか、市役所のガラス窓に銃弾が撃ち込まれる事件もあった。
本島さんが銃撃された翌91年3月には、長崎新聞社と長崎地裁を同塾幹部らが銃撃する事件も起きた。本島さんの「天皇発言」に反対する意見広告を求めた民事裁判に敗訴したのが動機だった。
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伊藤長崎市長、銃撃され意識不明 容疑の暴力団員逮捕(朝日新聞) - goo ニュース
長崎市長撃たれ心肺停止 山口組系組員を現行犯逮捕 (共同通信) - goo ニュース
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