その日航123便・ジャンボ747が524人の乗客・乗員を乗せたまま墜落した事故から早くも23年になるとのこと。
まだ、幼かった長男が、帰省で飛行機に乗ることをためらったことを思い出します。それまでは、「飛行機に乗る」ことを喜んでいたのに…
今年もその慰霊の日が巡って来ました。
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御巣鷹の慰霊支えて20年以上
日航の山守たち、今年も
朝日新聞 2008年8月11日14時29分
御巣鷹の慰霊支えて20年以上 日航の山守たち、今年も(朝日新聞) - goo ニュース乗客・乗員524人を乗せた日航ジャンボ機が墜落した群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に12日、23回目の祥月命日が巡ってくる。尾根では、今年も百数十人規模になる慰霊登山を迎えるため、日航の「登山支援班」が準備を進める。「今年も会いに来たよ」。そう声をかけてくれる遺族が、故人をひたすらしのべるように。
10日午後、御巣鷹の尾根で50~60代の男性6人が黙々と作業を続けた。登山道を直したり墓標を取り巻く草木の根を取り除いたり。前日から尾根に入って山小屋に泊まり込んだ登山支援班の面々だ。
事務職の傍ら、これまで20年以上、尾根に通い続けてきた篠原清子さん(60)は今年もまた12日は尾根に登る。「遺族の方々の思いの強さを目の当たりにしてきたので」
篠原さんは墓標を一つひとつ手入れし、遺族と一緒に山小屋に泊まって思い出話を聞いてきた。「来年もあなたの顔を見に来るわね」。そうした言葉が、何よりの励みになったという。昨年末に退職したが、遺族や村の人たちの支えがあって続けてこられたという思いが、今年も尾根へと足を向けさせる。
登山支援班の活動は事故翌年の山開きを前に始まった。いまでは登山口から40分程度で尾根へ達するが、当時は「登山道」と呼べるような道はなく、沢づたいに尾根まで2、3時間。
「今のままでは危険だ。これ以上、日航のために命を落とす人がいてはならない」。国際貨物部長の職を離れ、事故直後から現場に入った岡崎彬さん(78)のかけ声で、集まった数十人がツルハシやナタを手に登山道造りから始めた。支援班の面々は春から秋にかけて週末を尾根で過ごし、村人たちの助けを借りて山仕事を覚えていった。
当初、社内から「あいつら山で何やってんだ」と批判する声も上がるなか、「会社よりも遺族の方が理解してくれている」という思いを頼りに、支援班のメンバーは御巣鷹に登り続けた。
事故原因や日航の対応などをめぐる会社への遺族の不信感は、事故から23年たった今も払拭(ふっしょく)できたとは言い難い。それでも昨年8月12日、尾根に登って「昇魂の碑」に花を手向けた日航の西松遥社長に、事故で娘3人を失った70代の男性が支援班の20年以上にわたる活動について感謝の言葉を伝えた。(菅野雄介)
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所有者不明の遺品をDB化 日航ジャンボ機事故で
共同通信 2008年8月9日(土)09:01
所有者不明の遺品をDB化 日航ジャンボ機事故で(共同通信) - goo ニュース日航ジャンボ機墜落事故で、所有者不明のまま日航が保管している遺品約2700点の記録をデータベース化するため、同社がデジタルカメラで撮影していることが9日、分かった。また日航は、墜落時刻のまま止まった腕時計や大きく曲がったメガネや鍵など17点を安全啓発センターで展示する。11日から遺族に公開、18日から一般公開。