行きつけのスポーツクラブで、いつも読んでいる読売新聞を
他のメンバーが読んでいたので、いつもは読まない【日刊スポーツ】を
見てみたら、AKB48の篠田麻里子さんの福岡ヤフオクドームでの卒業公演
と同じくらいの大きさで、一面(後)全面を使って山本太郎さん当選の
記事を掲載していました。
それも、茶化したりせず結構まともな取り上げ方でした。
Web記事と一緒に御紹介します。
写メ添付(日刊スポーツ 2013年7月22日付け)
**********************
山本太郎氏、ネットで無党派つかみ初当選
日刊スポーツ 2013年7月22日(月) 9時10分
第2次安倍内閣発足後、初の大型国政選挙となった第23回参院選は21日、投開票された。無所属で出馬した俳優山本太郎氏(38)が東京選挙区で初当選した。昨年12月の衆院選に続く2度目の国政挑戦で雪辱を果たした。山本氏は約1000人の市民ボランティアと、インターネットを駆使した草の根選挙で、無党派層の浮動票をつかみ取った。自民党と公明党で過半数(122議席)を獲得し、与野党のねじれを解消した。
午後9時10分。NHKから当確が伝わると、選挙事務所に歓声が湧き起こった。山本氏だけが1人冷静だった。「スタートラインに立っただけ。今以上にいばらの道が待っている。万歳をやって打ち上げられない自分がいる」と万歳を拒否。代わりにガッツポーズで撮影に応じた。
ネットを駆使した草の根選挙戦が“神風”を巻き起こした。午後6時半の時点、東京選挙区で6位という情報が事務所に入った。途端、40人前後のボランティアが「いつ投票するの? 今でしょう!!」と書かれたボードを手にして一斉に街に繰り出した。電話やスマートフォンを使ってのライブ配信などで投票を呼びかけるスタッフもいた。投票率が低ければ、組織の後ろ盾がない山本陣営は不利になる。浮動票をつかもうと最後まで必死のローラー作戦を展開した。
昨年末に衆院選で敗れて以降もネットで自己主張を続けた。「半年間、学んだ部分があり、僕1人では成長できなかった。僕が守るものは党、議席、利害関係者じゃなく命、みんなで生きていこうぜということ」と覚悟を決めた。
魂の言葉を街頭演説はもちろん、移動中の車内でもネットで配信し続けた。「抱えた不安を言えなかった人が38歳の無職の話を聞き、不安を言っていいんだという雰囲気になっていった」。選挙戦で民意をつかんだ実感があった。
11年3月11日の東日本大震災で発生した、福島第1原発事故による放射能汚染に危機感を抱き、同5月に脱原発を宣言し、市民活動に身を投じて788日。政治家になる気はサラサラなかった。「政治家になりたいんじゃなく、何かを変えたくて僕は国会に行く」。俳優業はストップしているが「僕は仕事を奪われたけれど、国が正常になれば仕事は戻る。可能性は制限しない」と俳優業継続の可能性も否定しなかった。
これから1人で乗り込む国会の荒波は覚悟している。「達成するためには、投票してくれた皆さんの援護射撃が必要。政治家として育ててほしい」。民意に押し上げられ、ゼロからはい上がった山本氏がいよいよ国会に乗り込む。【村上幸将】
<山本氏国政への歩み>
◆11年5月25日 ツイッターで脱原発の意思を訴え、そのことでドラマの仕事がなくなったと明かす。
◆同27日 所属事務所からの退社を明かす。
◆同7月11日 佐賀県庁の反原発デモに参加。
◆同11月24日 欧州へ出発し86年4月に原発事故が発生したウクライナのチェルノブイリ、ドイツなどでドキュメンタリーを撮影。
◆12年2月 放射能汚染を懸念し、東京から大阪へ引っ越し。
◆同4月17日 横浜市の太陽光発電システム業「ソーラーリフォーム」に就職。7月17日に退社。
◆同5月29日 ツイッターで19歳のプロサーファー朱璃さんとの結婚を発表。
◆同12月16日 衆院選東京8区(杉並区)から無所属で立候補し7万票超を獲得も、石原伸晃環境大臣に約6万票差で敗れ次点。
◆13年5月27日 都内の市民集会で参院選出馬を宣言。
◆同6月11日 脱原発や反TPP(環太平洋連携協定)の主張が一致する政党との統一比例名簿作りを希望もかなわず、東京選挙区から無所属で立候補を表明。
◆同14日 都内で事務所開き。脱原発に加え、反被ばくを争点にすると表明。
◆同7月17日 午前0時14分、インターネット掲示板に殺害予告が書き込まれる。
◆同19日 選挙運動メールを受信者の同意を得ないまま送信するなど、改選公選法に抵触する可能性のある運動をした件で謝罪。
[2013年7月22日9時10分 紙面から]
山本太郎氏が当選「いばら道はこれから」
日刊スポーツ 2013年7月21日(日) 23時50分
「一人でも多くの被ばくを減らすため、先頭に立って活動していきたい」。「脱原発」を訴え東京選挙区で初当選した俳優で無所属新人の山本太郎氏(38)は、東京都杉並区の事務所で親指を立てて喜びを表現、支援者やボランティアらと抱き合い「太郎」コールに笑顔で応えた。
午後8時すぎに事務所に現れると、集まった支援者ら約100人が拍手と歓声で出迎えた。
開票作業を真剣な面持ちで見守り、当選確実が伝えられても「浮かれるわけにはいかない。いばら道はこれから始まる」と万歳はしなかった。支援者らを前に「皆さんが政策秘書。多くの声を届けたい」と決意を語り「一人じゃない」と右こぶしを突き出して気勢を上げた。
2年間ほとんど仕事は来なかった。「脱原発の主張を緩めれば仕事が来るかもしれないが、それはしたくない」と言い切った。
選挙戦ではターミナル駅前を中心にした街頭演説のほか、ツイッターやフェイスブックを駆使したネット選挙を展開。無党派層の大きな支持を得たとみられる結果に「ネットが全てではないが、大きな後押しになった」と振り返った。
昨年12月の衆院選に東京8区から立候補。落選したものの、民主党の候補者を上回る約7万1千票を獲得した。(共同)
[2013年7月21日23時50分]
山本太郎氏「既存の政治家にはならない」
日刊スポーツ 2013年7月22日(月) 15時27分
脱原発を訴え、東京選挙区で初当選した俳優で無所属新人の山本太郎氏(38)は一夜明けた22日朝、東京都杉並区の事務所で報道陣の取材に応じ「既存の政治家のようにはなりたくない。どこまでも市民に寄り添い、国会で言いにくいことを言わせてもらう」と意気込みを語った。
午前7時45分ごろ、事務所に現れた山本氏は「(昨日と気持ちは)全く変わりません」と表情を引き締め、テレビ中継に出演した。
勝因を「脱原発を政治利用していない。『脱被ばく』が重要で不安を抱えていた人とリンクできた」と分析し、「訴えてきたことを形に変えるスタートラインに立てた。政治に興味を持つ人も増やしたい」と話した。(共同)
[2013年7月22日15時27分]
*******************************************
(左のアイコンをクリックして
もらえたら嬉しいです)
*******************************************