醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   54号   聖海

2015-01-08 10:42:22 | 随筆・小説

 夏山に足駄を拝む首途哉(かどでかな)   芭蕉

句郎 「夏山に足駄を拝む首途哉(かどでかな)」。修験光明寺の行者堂には役行
   者の巨大な足駄が祀られていた。この足駄を拝み、芭蕉はひたすらに旅の安
   全を願ったんだろうね。
華女 修験光明寺とはどこにあるお寺なの。
句郎 栃木県を流れる那珂川の畔(ほとり)の町、黒羽にあった寺のようだけれど
   も現在は跡形もないらしい。光明寺は、源平合戦で活躍した那須与一が建立
   した寺だったようだよ。
華女 芭蕉は義経贔屓だから那須神社に参って那須与一を偲んだのよね。
句郎 「それより八幡宮に詣。与市扇の的を射し時、『別しては我国氏神正八まん』
   とちかひしも、此神社にて侍と聞ば、感応殊しきりに覚えらる」と「おくの
   ほそ道」に書いているから神社に参るだけで芭蕉は源平合戦に思いを深くし
   ていたじゃないかと思うね。
華女 芭蕉は感激家だったのね。私にはない感覚だ わ。神社に参って感動した経
   験なんてないわ。
句郎 この間、辻井信行さんがラフマニノフが住んでいた家を訪れ、ラフマニノフ
   が弾いていたピアノを弾かせてもらってえらく感動していたテレビ番組を見
   たよ。私がラフマニノフが弾いていたピアノに触れても辻井さんのような感
   動はないと思う。もちろん、私はピアノが弾けないからだけどね。
華女 それは分かるわ。それほど芭蕉は「源平盛衰記」を読みこんでいたのね。
句郎 「源平盛衰記」の話や「平家物語」の一節を人から聞き、感動していたのか
   もしれない。
華女 那須神社で芭蕉は那須与一を偲び、役行者が祀られている修験光明寺の行者
   堂で詠んだ句が「夏山に足駄を拝む首途哉(かどでかな)」なのよね。
句郎 役行者の大きな足駄が祀られていたからね。
華女 役行者とは修験道の開祖といわれている人よね。山岳修行を始めた人なので
   しよ。
句郎 そのようだ。奈良時代の仏教が堕落してしまった。日本の宗教改革をしよう
   とした人だと思う。
華女 山の粗食に耐え、山を走り、寒さと闘い、悟りを開く道を探ったのね。
句郎 強健な体を持った人でなければできない修行だったんじゃないかな。
華女 私はなぜそんな厳しい修行をしなければならないのか、その理由が分からな
   いわ。
句郎 芭蕉はなぜ苦しみに行くような旅をしたのかということと共通する問題だよ
   ね。
華女 自宅の暖かい部屋で美味しいものでも食べて俳句を詠んでいればいいものを
   わさわざ苦しみに行ったわけなのよね。
句郎 年取ってきちゃうとそんな気持ちにもなるね。旅をしてそれでどうなのと、
   いう気持ちにもなるよね。
華女 そうでしょ。
句郎 華女さんもお婆ちゃんになっちゃったから。芭蕉が「おくのほそ道」の旅に
   出たのは四六歳の時だから、当時にあっては、もう老境に入っていた。「老
   人の冷や水」のような行いが「おくのほそ道」への旅だったかもしれない。
   自ら厳しい生活を求めていくというのは若さだと思う。若さだよ。心の若さ
   が俳諧を極めたいという気持ちを生んだ。「夏山に足駄を拝む首途哉」。旅
   を全うしたいという気持ちを詠んだ句だ。神として祀られている役行者の霊
   験を浴び、元気に旅立つ。この気持ちを詠んだ句だと思う。