醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   56号   聖海

2015-01-10 10:27:02 | 随筆・小説

 
  野を横に馬牽きむけよほととぎす    芭蕉

句郎 ほととぎすを詠んだ句の中ですぐ思い浮かぶ句と言うと華女さんは何かな。
華女 「谺(こだま)して山ほととぎすほしいまま」。久女が詠んだ句ね。
句郎 芭蕉もほととぎすの句を二十句以上詠んでいる。
華女 だからなのかしら、「ほととぎす」が夏を代表する季語の一つになっているのは。
句郎 「おくのほそ道」の途上、芭蕉は那須の原で三句もホトトギスを詠んでいる。毎日、
   毎日ホトトギスの鳴き声を聞いて歩いていたのかなぁー。
華女 芭蕉はホトトギスの鳴き声に元気をもらっていたのよ。
句郎 まず「田や麦や中にも夏時鳥、元禄二年孟夏七日」と俳諧書留に曾良は書いている。
華女 孟夏というのは何月のことなのかしら。
句郎 曾良旅日記によると旧暦の四月だよ。旅日記によると四月六日から九日まで雨止ま
   ずとある。この間、芭蕉たちは黒羽の翠桃宅に留まっていた。この時「田や麦や」
   の句を詠んでいる。
華女 旧暦の四月七日は今の暦でいうといつになるのかしら
句郎 五月二五日のようだ。
華女 そろそろ梅雨の始まりね。蒸し蒸し、し始まる頃ね。
句郎 曾良の旅日記には「夏時鳥」と記している。この言葉を「夏のほとゝぎす」と「雪
   まろげ」という俳文の中では書いてる。また茂ゝ代草という俳文の中では「麦や田
   や中にも夏はほとゝぎす」と詠んでいる。句郎は「夏はほとゝぎす」と詠んだもの
   がいいと思うけれども華女さんはどう読んだらいいと思うの。
華女 そうね。「夏は」だと夏が強調されるように感じるわ。
句郎 雨が止み、黒羽を出て那須の篠原に向う。そこで「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」
   を詠む。この句を芭蕉は採り、「おくのほそ道」に載せる。気に入った句だったんだ
   ろうね。
華女 私も「田や麦や」の句より「野を横に」の句の方が力があるように思うわ。
句郎 きっとそうなのだろうと句郎も思う。芭蕉と曾良の一行は那須の篠原から高久の宿に
   向う。そこで「落ちくるやたかくの宿の時鳥」を詠む。芭蕉はホトトギスの句を都合
   三句、詠んだ。
華女 芭蕉はホトトギスの鳴き声が本当に好きだったのよ。そうでなければ三句も続けざま
   に詠むはずがないと思うわ。
句郎 この三句の中で一番いいのはやはり「野を横に」の句かな。
華女 そうでしよう。「野を横に」の句が一番いいと私も思うわ。
句郎 どこが他の二句と比べていいのかなー。
華女 そうね。いつだったか。加藤楸邨の書いたものを読んでいたら、「田や麦や」の句は
   なにか調子の渋滞が感じられる。生き生きしたものがないというようなことを書いて
   いたように漠然と覚えているわ。
句郎 生き生きした溌剌さが感じられないということかな。
華女 そうなんじゃないかしら。言われてみればそういう感じがするでしょ。
句郎 それじゃ、「落ちくるや」の句はどうなの。
華女 高いところからホトトギスの声が落ちてくるというのでしょ。高久の宿の高くという
   言葉と高いところから落ちてくるという言葉が掛詞なっている。その言葉遊びを感じ
   てしまう。ここがよくないと加藤楸邨は書いていたように思うわ。
句郎 華女さんは楸邨について詳しいね。
華女 そんなことないわ。昔、楸邨の弟子という人の教室に通っていたことがあるのよ。
句郎 へぇー。そこでどんなことを学んだの。
華女 昔のことだから、忘れちゃったわ。「柳より風来てそよと糸とんぼ」という楸邨の句
   を覚えているわ。これくらいかな。記憶に残っている句は。
句郎 「野を横に」の句は何がいいのかな。
華女 馬上にあった芭蕉が那須の原に向って出発しようとした時、ホトトギスの声が突然聞
   こえたのよ。芭蕉は馬丁に向かって馬をほととぎすの鳴いた方に牽き向けてくれとお
   願いした。芭蕉がほととぎすの鳴き声に耳を傾けていると馬丁も一緒にほととぎすの
   鳴き声に聞き惚れていた。馬丁は芭蕉に乞うた。わしに一句詠んでくだせえと。芭蕉
   は懐から懐紙を取り出すと「野を横に馬牽き向けよほととぎす」としたため、与えた
   わけね。だから、風流を解する馬丁を詠んだ句だと楸邨は馬丁の「ますらをぶりのや
   さしさ」が表現されているのがいいと言っていたように思うわ。