醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   69号   聖海

2015-01-23 09:40:09 | 随筆・小説

  芭蕉はなぜ松島で句を詠まなかったのか

句郎 「夏草や兵(つはもの)どもの夢の跡」。この有名な句を芭蕉はどこで詠んだか知っている。
華女 馬鹿にしないで。知っているわよ。平泉でしょ。
句郎 芭蕉は仙台、宮城野で「あやめ草足に結ん草鞋の緒」と詠んでから平泉まで句を詠んでいない。どうしてなのかな。
華女 宮城野から平泉までの間に歌枕が無かったからじゃないの。
句郎 そんなことはないよ。宮城野を過ぎると「壺の碑」を通っている。「壺の碑」は歌枕だと思うよ。源頼朝が「壺の碑」を詠んだ歌が新古今集にあるよ。
華女 どんな歌なの。
句郎 「陸奥のいはでしのぶはえぞ知らぬ書きつくしてよ壺の石文」という歌なんだ。
華女 芭蕉は頼朝が嫌いだったかしらね。
句郎 「末の松山」でも句を詠んでいない。もちろん、「末の松山」も歌枕だ。古今集東歌に「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山浪もこえなん」という歌なんだ。
華女 松島でも句を詠んでいなの。不思議ね。だって、「おくのほそ道」の冒頭で「松島の月先(ま)ず心にかかりて」と書いているのに松島の月を詠んでいないの。変ね。
句郎 どうしてなのかなと思っていたんだ。「三冊子」(さんぞうし)を読んでいたらなるほどね、と思った文章に出会った。
華女 「三冊子」(さんぞうし)とは「しろぞうし」「あかぞうし」「くろぞうし」を合わせて「三冊子」というのでしょ。芭蕉が書いたものなの。
句郎 いや、違う。芭蕉の弟子、伊賀上野の服部土芳(はっとりどほう)が師の教えを説いた俳論書だ。
華女 土芳はどんなことを言っているの。
句郎 少し長くなるけれども読んでみるね。「師のいはく、絶景にむかふ時は、うばはれて不叶(かなはず)、物を見て、取所を心に留メて不消、書寫して静に句すべし。うばはれぬ心得もある事也。そのおもふ所しきりにして、猶かなはざる時は書うつす也。あぐむべからずと也。師、松島にて句なし。大切の事なり」。
華女 ようするに、なんだと言っているの。わかったようで、わからない。曖昧模糊としているわ。
句郎 素晴らしい景色を見ると心が奪われてしまう。その景色を見て感じたり、思ったりすることがあっても句ができないならば、感じたり、思ったりしたことを書いておくだけでいい。無理して句を詠むことはない。師が松島の景色を見て句がないのは当然のことなのだ。このようなことではないかと僕は思っているんだけれどね。
華女 松島で芭蕉が句が詠めなかったのは松島の景色に圧倒されてしまたからなんだということなの。
句郎 そうなのかもしれないな。そうは言っても、実は松島で芭蕉は句を詠んでいる。
華女 「おくのほそ道」には載っていない句ね。
句郎 そうだ。
華女 どんな句なの。
句郎 「島々や千々に砕きて夏の海」。曾良の「俳諧書留」にも載っていない。「蕉翁文集」にある句だ。
華女 芭蕉はその句を気に入らなかったのかしら。わかるような気がするわ。
句郎 確かに、島々の磯が表現されてはいるが、夏の海でなくともいいような気がするものね。
華女 そうね。
句郎 芭蕉は曾良の句を「おくのほそ道」に載せている。「松島や鶴に身をかれほととぎす」だ。
華女 曾良の句が表現したことは何なの。
句郎 松島には鶴が似合う。鳴き渡り飛ぶほととぎすよ、鶴に身を借りて飛んでほしい。果たせぬ願望の句だ。