沼津駅在来線上りホーム「桃中軒」
創業明治24年 スゲー
少し遅い昼ごはんです。
何にしようかな?
タケホープは、天玉そば 390円
細君は、天ぷらそば 350円(写真無し)
懐かしい味です
熱海駅のホームで買いました。
地元の駅に帰りました。まだ明るい
青春18きっぷ 17年冬2~5回目を使用しました。
沼津駅在来線上りホーム「桃中軒」
創業明治24年 スゲー
少し遅い昼ごはんです。
何にしようかな?
タケホープは、天玉そば 390円
細君は、天ぷらそば 350円(写真無し)
懐かしい味です
熱海駅のホームで買いました。
地元の駅に帰りました。まだ明るい
青春18きっぷ 17年冬2~5回目を使用しました。
JR金谷駅
興津行きの電車がすぐ来ましたが、電車にトイレが無いので次の電車に乗ろう。
名所案内
諏訪原城跡 武田勝頼の築城による山城 徒歩30分
行きたいなぁ
11:51発 興津行きに乗車しました。
静岡駅まで乗りました。
上り電車
雨が強くなって来ました。
金谷宿(かなやしゅく)
大井川の川越しと金谷の急坂に挟まれた宿
大井川橋で大井川を渡り、左(下流側)に土手を歩き、250mほどで右へ。
島田市のマンホールの蓋に用いられています。
全く同じじゃないんですね
だけどパクリですよね
金谷宿川越し場跡
金谷宿本陣跡
金谷宿本陣跡
金山駅に着きました。
東海道金谷宿案内絵図
今回の「東海道を歩く」はここまでです
次回は「旧東海道石畳0.6km➡」に行きたいけど行けるかな?
作家の葉室麟(はむろりん)さんが17年12月23日に亡くなられました。まだ66歳でした。
今年になって葉室麟さん著作の「いのちなりけり」を読みました。
大井川橋
駿河と遠江(とおとうみ)の国境、大井川
江戸から五十二里二町、京まで七十三里十一町。
大井川は大猪河とも書く。信州の山間(やまあい)を水源とし、東海第一の急流で水はいつも薄く濁っている。川沿いには川越人足が七百人ほどいる。(いのちなりけり より)
春ごとに花のさかりはありなめど
あひ見むことはいのちなりけり
「古今和歌集」詠み人知らず
大井川橋
ここですよ。しまだ大井川マラソンのコース
大井川橋 橋長1026.4m あぁ長かった
東海道23宿目 島田宿
越すに越されぬ大井川
川会所や番宿が当時を彷彿
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われた大井川は東海道最大の難所といえるだろう。大井川は徒歩(かち)渡しの川。川幅が広く、水量も多いので川留めになることが多く、28日間留められた記録がある。そのような時は島田宿始め周辺の宿場は旅人でいっぱいになったという。
清水屋
清水屋で細君は酒饅頭を買いました。
帰宅してチンして食べました。
松江藩主松平不昧公の助言で一口大にした小饅頭は甘い香りの酒饅頭。
ペットショップの猫。右のが可愛かったけど手を舐めはじめ顔を見せてくれなくなった。
大井神社
往時の旅人が川越しと道中無事を祈願したのが大井神社です。参道の石垣は川越人足が安全に感謝して一つずつ運んだ河原の石だそうです。
今回は時間が無くて寄らなかったのでいつか寄りたいですね。
左の大井川川越遺跡に行きます。
ここは、しまだ大井川マラソンのコースになっています。
大井川渡し場手前には川越しを取り仕切る川会所(かわかいしょ) 休みでした。
千貫堤跡を過ぎた辺りから松並木の左側は田圃が広がり開放的
藤枝市 上青島の一里塚跡
江戸より五十一里
この松並木はすごいですね
道悦の陸橋 右側が東海道
蓮台越 大井川
島田駅
府中宿(静岡駅)から藤枝駅まで電車に乗りました。
今日大晦日は藤枝から金谷宿まで歩きます。
国道1号線と東海道が交差する「青木」の交差点から東海道を歩きます。
東海道を旅する方へ
ここに寄りませんでしたが、トイレが少ないのでありがたいですね。
東海道追分
千貫堤(せんがんづつみ)
田中藩領ほうじ石蹟
この写真を撮っていたらここの家の方に「大晦日に東海道を歩いているの?暇だねぇ」と呆れられたように言われた
変な取り合わせ
おかわりも変な取り合わせ
デザートも変な取り合わせ
これは部屋に持ち帰り用のコーヒーと細君のカフェラテだったかな?
泊まった部屋からの景色
チェックアウトをします。
夜はきれいだった。
北口からの藤枝駅とホテルオーレ
北へまっつぐ行きます。
わがまち藤枝
東海道19宿目 府中宿〔ふちゅうしゅく〕
家康のお膝元、駿府城下
東海道最大規模の宿場町
静岡おでん おがわ
「しぞーかおでん」のルーツがここにある
創業60年以上の「おがわ」は、おやつにおでんを買いにくる子どもからビール片手に1本つまんでいく大人まで、幅広い層の地元ファンから長く愛されているお店です。
タケホープ待望の初体験の「しぞーかおでん」です
でもね、年末の30日ですよ。
1枚目の写真は、ちょうど鍋で5千円以上買っていっていました。この日はこのようなお客さんが何人もいたそうです。静岡のソールフードなんですね。タケホープ達がこの日の最後の客になりました。
瓶ビール(サッポロ赤星)600円
タケホープは、静岡割り500円
ようやく煮えました。
うーん、また来たい
JR東海
草薙一里塚
日本武尊を祭神とし、草薙の剣伝説の草薙神社大鳥居
寄る?
東海道 府中宿
西郷・山岡会見の地
大御所 徳川家康の駿府城
残念ながら暗くなってきました。
駿府城跡はまた来たいですね
読めまっしぇ~ん たぶん追分
追分羊かん
東海道を行き交う旅人から徳川慶喜まで、広く好まれた蒸し羊羹の追分羊かん。
さくらももこさんも、ここの羊かんを食べていたそうです。
東海道は、公共のトイレが全然無いのう。昔の旅人のようにここで一服するのもいいかも。
ここでトイレを借りました。もちろん羊かんも買いましたよ。賞味期限が今月25日だ。忘れずに食べなきゃ。
羊かんは、よう咬んで食べや。
なんで?
東海道18宿目 江尻宿〔えじりしゅく〕
「清水みなと」で栄えた宿場
家康や信玄の名も残る
清水といえば清水みなと。その歴史は古く、奈良時代に百済への救援船が出航した。江戸時代には江戸と大坂を結ぶ重要な港で、駿府の外港として駿府町奉行支配の蔵が立ち並んでいた。当時の港は駿府方面から流れてくる巴川の河口が港として使われ、巴川の舟運も大いに利用された。
河童伝説の稚児橋。河童のプレート
巴川の尻(下流)という意味の江尻宿の中心は川の岸辺、現在の清水銀座(パル通り)である。徳川家康の命により巴川に稚児橋が架けられ、交通が便利になって栄えた。
巴川の上流側
河童伝説の稚児橋。親柱には愛らしい河童像がのっていますゲロゲーロ
魚町稲荷神社
永禄11年(1568)12月駿河に攻め入った武田信玄は翌年現在の江尻小学校の敷地に、江尻城を築きその後天正6年(1578)当時の城将穴山信君(梅雪)は、城を大改築し本格的な城とした。
タケホープは、穴山信君が大嫌いです
日本少年サッカー発祥の碑
御神木
井上馨候之像
トイレが無いんですよ。
頻尿タケホープは困るんです。
細井の松
マンホールの蓋
清水銀座の鯨像🐋 昔、三保に流れ着いたとか
東海道 江尻宿(えじりしゅく)〔十八宿目〕